小説
藍色のジェラシー
 ヘルムートの立場に同情していると、廊下の方が賑やかになって行っている事に気が付いた。女性特有の黄色い声という奴で、それも複数だ。
 やがて、その声の群れは扉の前で止まる。

(あ…これは、もしかして…)

 何となく嫌な予感がして、ふたりは顔を見合わせ席を立つと、ノックもせずに扉が開いた。

 そこにいたのは、惚けた様子のアランと、にこにこ笑顔のヴェルナだった。
 その後ろにシェリーと二人のメイド、そして黒髪短髪の燕尾服に身を包んだ二十歳代位の男性が一人いる。恐らく男性はヴェルナの従者だろう。

「紹介しよう、ヴェルナ。補佐を任せているヘルムートと、側女のリーファだ」

 どうやら挨拶回りで来たようだ。だが、これも普段の見合いならやった事がないものだ。恐らくヴェルナが希望して、付き合っているのだろう。

 ともかく、紹介されて返事をしない訳にもいかない。ヘルムートは胸に手を当て、リーファはスカートをつまんで、頭を下げた。

「初めまして。僕の名前はヘルムート=アルトマイアー。
 お会い出来て光栄だよ。ヴェルナ殿」
「リーファです。どうぞ、よろしくお願いします」
「ヴェルナ=カイヤライネンと申します。以後、お見知りおきを───まあ!」

 優雅にお辞儀をするヴェルナだが、頭を上げてすぐ感嘆の声を漏らした。

 リーファの横をすり抜け、ベッド、ベランダ、机、暖炉、絵画を見て回る。
 ひとしきり見て回って満足したのだろう。くるりとこちらに振り返って、両手を叩いて賞賛した。 

「素敵なお部屋ですこと!」

 そしてアランの側に寄っていって、上目遣いで彼に請うた。

「決めましたわ陛下。わたくし、滞在中はこちらのお部屋でご厄介になりますわ」
「はあ?」

 ヘルムートが間の抜けた声を上げる。アランとメイド達、従者もきょとんとした様子だ。リーファも口を開けて言葉を失った。

 正妃候補は来城後しばらくの間、城に滞在が許される。
 その間に王や貴族達と親睦を深め、城の内情を理解する為だ。
 部屋を宛がわれる際、王の私室を希望する大胆な候補もいるが、現行使用されている側女の部屋を使いたいと言う者はそうそういない。

 ふと正気に戻り、ヘルムートがヴェルナに詰め寄った。

「い、いやちょっと、待って欲しいんだ、ヴェルナ殿。
 君には別の部屋を用意してある。
 ここは側女の部屋で、正妃候補の女性の寝泊りに相応しい場所じゃない」
「そうでしょうか?お庭を一望できるとても素晴らしいお部屋ではありませんか。
 こちらの”死の道を舞う乙女”も素敵ですわ。
 庶民の側女の方がお使いになるには、少し格式が高すぎるのではありません事?」
「な…」
「貴女がそこまで言うのなら、この部屋を好きに使えばいい」

 ヘルムートが言葉に詰まっていると、アランがヴェルナに甘い笑顔を向けて答える。
 それを見て、ヘルムートは更に表情を険しくする。

「アラン?!だって、この部屋は…!」
「私に逆らうのか?ヘルムート」
「っ…あのさあ…!」
「まあまあおふたりとも」

 不機嫌に睨み合うアランとヘルムートの間にリーファは割って入った。
 愛想笑いを浮かべて、アランに一礼する。

「分かりました。お部屋を離れさせて頂きます。
 ただ、私物がありますから、少し片付けさせて下さい。
 夕方までには、お部屋を空けておきます」

 アランの惚けていた表情が一瞬歪んだように見えたが、気のせいだったのだろうか。
 すぐにヴェルナに顔を向けてしまい、おざなりに言葉を返してきた。

「手早く、片付けておけ」
「はい」
「楽しみにしておりますわ。リーファさん」

 にこにこ笑顔で握手を求めてくるヴェルナに、リーファも笑顔で握手を返した。
 ライラックの花を思わせる薄紫の瞳に、思わず見入ってしまいそうになる。

 挨拶が済んだヴェルナは上機嫌にお辞儀をして、一行は部屋を出て行った。

 ヴェルナ達の賑やかな会話が廊下の端に消えた頃、扉を睨んでいたヘルムートが声を荒げた。

「な…なんなんだよ、あれ!」
「まあまあヘルムート様。怒らないで下さい。それより、気づきました?」
「何がだよ!」
「私達、ヴェルナさんに会いましたけど、何ともありませんよね?」

 いきり立っていたヘルムートが、リーファに言われて我に返る。
 落ち着かない様子で体を探ったり手鏡で自分を確認しながら、自身を確認している。

「………ホントだね?」
「あとですね。どうして皆ヴェルナさんを慕うのか、私達はその感情が来ないのか。
 その理由は分かりませんけど、少なくともあれが魔術や呪術でない事は分かりました」
「…どういう、事?」
「ええとですね。
 魔術や呪術っていうのは、時間があって、場所があって、呪文があって、術具があって、始めて成立するんです。
 要は、準備が要ります。
 で、準備が要るって事は、何の術を使うかその予兆を知る事もできるんです。
 と言っても、漠然としたものなんですけどね。
 この漠然としたものっていうのは、距離が近い程、威力が大きい程、分かりやすくなります。
 でもヴェルナさんと接して、それを全く感じませんでした。
 だから、あれは定義上は魔術じゃありません」

 リーファの説明にヘルムートはなんとも言えない表情を向けてくる。理解が追い付いていないようだ。

「…随分曖昧だね」
「言葉にすると、こうなってしまいますけどね。
 でも、私も魔術師の端くれですから、自信はありますよ?」
「じゃあ、あの残念なアランは何なのさ?」
「魔術っぽいのに魔術や呪術じゃないものに心当たりがあるんですが…。
 何か調べるのはちょっと手間がかかるんで………とりあえず、部屋を片付けていいですか?」
「あ、ああ。そうだね」

 落ち着かない様子で応えるヘルムートに頭を下げて、リーファはクローゼットの扉を開けた。
 私物を取り出しながら、部屋の中をぐるりと見回して先の事を考える。

(切り散らかしたロープは片付けておくとして…。
 ベッドメイキングは、あんな状態のメイドさん達にお願い出来るのかな…。
 キャビネットの小瓶は、出来ればどこかに移しておきたいし…。
 あとは、戸棚の荷物か…あれ持って移動するのはちょっとやだな…)

 自分の私物は少ないが、人様に見せられないアランの私物が多すぎて頭が痛くなりそうだ。
 どうしたものかと考えあぐねていると、ヘルムートがらしくもなくソファにどかっと腰をかけた。

「アランがあんな事言うなんて…悪夢を見ている気分だよ…」

(…あんな事…か…)

 顔を手で覆い大きく溜息を吐いて唸っているヘルムートの姿を見て、リーファはふと思いを巡らす。

 ふたりは異母兄弟で、ヘルムートの方が六歳程は年上なのだと言う。
 アランよりも背は低く物腰も柔らかで、どちらかというとヘルムートの方が若い印象を受けるが、成長の過程で兄よりも弟の方が年上に見えるようになる、という事はままあるらしい。

 アランの従者という形でヘルムートが今までついてきたのなら、兄弟仲は決して悪くはなかったのだろう。
 少なくともリーファがここに住み始めてから昨日までは、仲違いをしている姿は見た事がなかった。
 しかし今のアランは、ヘルムートを睨みヴェルナの言いなりだ。
 ヘルムートとしては受け入れがたいものがあるのだろう。

(ヘルムート様って………時々陛下の事、子供扱いする時があるのよね…。
 六歳も歳が離れてると、そうなっちゃうのかな…?)

 リーファは一人っ子だから兄弟間の感情はよく分からないが。

「…そうですね」

 同意を求められているような気がして、抑揚のない声音でリーファは言葉を返した。