小説
藍色のジェラシー
 その日の夜。

 リーファの新しい寝室は、側女の部屋のすぐ隣になった。この部屋もリーファのいた部屋同様、側女専用の部屋らしい。
 側女同士が隣室というのは何かといざこざが絶えないような気もするが、城内に部屋はいっぱいあるし、そうそう隣室に仲の悪い者を配する事はないのだろう。

 前の部屋を合わせ鏡にしたような配置になっているが、ベッドの形状は違うし絵画もかかっていない。
 使われず久しい為か、あまり掃除は行き届いていないようだ。
 リーファが出来る限りやったものの、シェリー達メイドはヴェルナの世話にかかりきりだった為、手を借りれず時間が足りずで掃除は中途半端だ。

 食堂で夕食を済ませ、湯浴みを済ませれば後は寝るだけ。
 壁側に置かれた椅子に腰掛けながら本を眺めていると、隣の側女の部屋からアランとヴェルナの声が聞こえてきた。どうやら、夕食から戻ってきたらしい。
 本を構え、リーファはその時をただ待つ。

 ◇◇◇

 部屋を彩る調度品の数々にヴェルナの心は躍る。
 デザインは古いものばかりだが、もともと宛がわれていた来賓用の寝室のそれよりも価値は数段上だと分かる。
 話によれば、ここは王が私室代わりに使っていた部屋らしいから、良い物が置かれているのは納得だ。

「陛下。お気持ちは嬉しいのですが、まだわたくし達は知り合ったばかり。
 お部屋までご一緒ですと、側女の方がやきもちを焼かれるのでは?」

 寄り添ってくる王の手が、ヴェルナの腰のくびれに纏わりつく。
 感じやすい所を探るかのような指先の動きに、ヴェルナは熱い吐息を零す。

「そんな事、貴女が気にする事ではないよ、ヴェルナ。
 …それとも、私の事が嫌いかな?」

 少し拗ねるように訊ねる王を見上げ、ヴェルナは目を細め薄く笑う。

「まあ、陛下は意地悪でいらっしゃるのですね。
 こんなにも素敵な陛下の事を、嫌いになどなれるはずもありませんわ」
「ならばヴェルナ。私に貴女を教えて欲しい。貴女の全てを私は知りたい」

 熱っぽく告げて迫る王を、ヴェルナが拒む理由はない。体が密着するほど近づいた王に、ヴェルナは嫋やかに寄り添った。

「…陛下がお望みでしたら、喜んで」
「そんな堅苦しい肩書きで呼ばなくていい。
 どうか貴女の透き通るような声音で、アランと、そう呼んではくれまいか?」
「はい、アラン様…」
「ヴェルナ…」

 王はヴェルナの顎を持ち上げて、艶やかに濡れた唇にキスをした。
 最初は浅く、次はしっとりと。
 内に沈む感情を引きずり出すように、王の舌はヴェルナの口の中をかき乱す。
 情熱的なキスに心が揺り動かされている内に、ヴェルナは身の置き所を見失っていた。
 気付けばベッドに寝転ばされていて、王が満足そうに見下ろしている。

「ああ………ヴェルナ…美しい…」

 気に入ってくれたようで、再び王はヴェルナにキスをしてきた。
 右手はヴェルナの背中のファスナーに手をかけ、左手はドレス越しに腰を撫で回す。

「はあ………っ」

 王の愛撫で気持ちが昂っていく。
 履いていた真っ赤なハイヒールが、ベッドの側に落ちて行った。
 絡み合うふたりから熱い吐息が零れる中、どこからともなく女性の声が聞こえてくる。

「むかしむかしあるところに、アガタという女の子がいました。
 アガタの髪の色は雪のように真っ白で───」

 どうやら御伽噺のようだが、せっかく盛り上がってきた所だったのにムードが台無しだ。
 場違いな朗読に、ヴェルナが怪訝な顔で王に問う。

「…あの声は何なのでしょうか?」

 王も忌々しげに顔を上げ、部屋を見回している。

「…さて。どこかの誰かがスピーチの練習でもしているのではないかな」
「…そう、でしょうか」

「お父さんにもお母さんにも似ていないアガタは家を飛び出し、旅人が教えてくれた───」

 王もヴェルナも互いに向き合おうとはするが、その声に邪魔をされて気持ちが揺らいでしまう。無視してもいい御伽噺が、自然と耳に入ってきてしまう。
 話の内容が佳境に入った頃、王が眉間にしわを寄せて唸り声を上げた。

「む…っ?」
「アラン様…?」
「何だ…?頭がぼうっと…」

 体を起こし辛そうに顔を押さえ、王が呻く。
 王の顔をヴェルナが覗き込むと、彼の瞳が重たげに沈みそうになっている。何とか開けようと堪えているが、睡魔に逆らえないようだ。

「どうなさいました?医師を、医師を呼んで参りましょうか?」

 場違いな御伽噺は尚も続く。

「たどり着いたのは森の奥にある大きな山の麓。
 そこには、白い髪と真っ赤な目、そしてとがった耳を───」

 不調を見せたくないのだろう。王は気力を振り絞り、ベッドから離れようとしていた。
 天蓋のベッドの柱に寄りかかり呼吸を正すが、一向にその具合は良くならない。

「だい、じょうぶ、だ………しん、ぱいは───」

 やせ我慢の言葉はそこで尽きた。
 柱を掴んでいた手は滑り、派手な音を立てて王が絨毯の上に崩れ落ちる。
 この異様な光景に、さすがのヴェルナも取り乱してしまう。

「アラン様?アラン様!しっかりして下さいまし!今、誰かを呼んで…!」

 慌ててベッドから体を起こすヴェルナだが、起き上がった直後ヴェルナの視界がぐらりと揺らいだ。ベッドで蹲り、立ち上がる事が出来ない。

「しかしいくら聞いて回っても、その人たちはアガタのお父さんとお母さんではないと言いました───」

 意識が濁って行くのに、御伽噺の声だけははっきり聞こえてくる。
 まるで『全部聞いてから眠りなさい』と、母親に言われているかのようだ。

(あれは、誰の為に、聞かせているの…?この城に、子供が、いるはずは、ないのに…)

「あわてて家にもどるアガタですが───」

 ヴェルナもまた眠りの誘いに抗えず、意識が落ちていく。