小説
魔女達の呪い
 ヘルムートには不思議な才がある。
 ”山彦の耳”と呼ばれるそれは、常人の耳には聞こえないであろう遠くの音を聞き取る力だ。

 コントロールはあまり利かないが、屋外で耳をすませば城から城下入り口の喧騒程度なら聞こえるようになる。
 遮蔽物の多い城の中であっても、城の真ん中にいれば城内全域位は聞き取れるだろうか。

「「だ、駄目です、陛下…こんな所じゃ…」」
「ふん、側女の分際で私の命令を拒むとはいい度胸だ」

 廊下を歩くヘルムートの耳に届く、男女の語らい。どちらもよく知っている人物だ。
 男の方はこの国の王であり彼の異母弟でもあるアラン、女の方はアランの側女のリーファだ。

 リーファにも不思議な才がある。
 ”セイレーンの声”という、聞き取った者の興味を惹きつける声を持っている。それが理由かは分からないが、彼女の声は城内でも一際耳に届きやすい。

 ヘルムートの才で聞く彼女の声は、それこそ山彦のように何度も耳にこだまする。
 声自体に不快感はないが、どんな状況の声でも彼の耳に入ってしまうので、耳障りに感じる事もままある。

 庶民のリーファが城に入って五ヶ月程経過しているが、実はヘルムートは彼女という存在自体は前々から知っていた。
 その気になれば城と城下全域の声を聞く事ができるのだ。城下で暮らしていた頃のリーファの特徴的な声音は、時々ながら耳に届いていた。

 興味本位で城下に足を伸ばして、彼女を探した事もある。
 運良く見つける事が出来て『ああ、こういう子もいるんだな』と納得したら、興が削げてそれ以上は詮索しなかったが。

 そんな彼女がこうして城に入り、異母弟の側にいる。
 奇妙な巡り会わせを感じないと言ったら嘘になる。

「さあ、これを持て。私が満足するまで離すな」
「「だから、何度命じられても出来ませんってば。せめてお部屋へ戻ってからに…」」
「私は仕事で忙しい。その為にお前をここに呼び寄せ、奉仕させようとしているのだ。
 お前は黙って私に従えばいい」
「「待ってますから、陛下はお仕事を済ませて下さい。そしたら、喜んでお世話しますから」」
「今がいい」
「「うぐぐ」」

 心底悔しそうな気持ちが、リーファの呻き声から伝わってくる。

 ───かちゃん

 ヘルムートは執務室の扉をノックもせずに開けた。扉の先にいるアランとリーファに声をかける。

「昼間っからお盛んなのは結構だけど、もう少し声小さくしてやってくんないかなー。
 衛兵が気まずそうにしてるんだけど?」
「何の事だ?ヘルムート」

 執務室の突き当たりの椅子に座っていたアランが、ふふんとほくそ笑んだ。

 彼の目の前の机には、資料や提案書や報告書が山積みになっている。数十分前に来た時と、状況はあまり変わっていないようだ。

 そして彼の膝の上にはリーファが座っていた。
 不機嫌に顔を膨らませている彼女の手には、一冊の本が持たされている。

 声をあげるだけで真夜中の子供も目を覚ましてしまう”セイレーンの声”の為の、睡眠効果の魔力が込められた絵本だ。
 何でも、これを読んでもらうとたちどころに眠りにつけ、また寝起きも格別に良いらしい。
 あの手この手でリーファを困らせているアランが、この本にだけは文句をつけずに持たせている、ある意味価値のある本だ。

「ヘルムート様聞いて下さいよ。
 陛下ってば絵本を読んで仮眠を取らせろって言うんですよ。
 読んだら最後、がっつり六時間は起きれないのに仮眠とか無理に決まってるじゃないですか」
「絶対に起きれない訳ではないのだ。色々考えて起こせばいいだろう。
 無論、叩いたり蹴ったりは論外だがな。優しく丁寧に艶かしく起こせ。
 三十分以上かかったら罰ゲームだ」
「罰ゲームってなんですかー」

 泣きそうな顔で抗議の声をあげるリーファだが、アランは素知らぬ顔をしている。

 ヘルムートはげんなりと顔を覆った。

「…わざとか…」
「ん?どうしたヘルムート」
「君、最近メイド達になんて言われてるか知ってる?
『ヴァルトルの再来』とか言われてるんだよ」

 厭味を込めて言ったヘルムートの言葉は、アランの耳に正確に届いたらしい。見る間にアランの顔が渋くなっていく。

 アランとヘルムートを交互に見やって、リーファが不思議そうに聞いてきた。

「ヴァルトル…って、あの、三大賢王のヴァルトル王ですか?」
「へえ、民間ではそんな風に噂されてるんだ」
「学校でそう教わりましたよ?
 んーと…女性に優しい政治をした王様とか、確かそんなだったような…」
「ああ、それは弟王の事だね。僕が言ったのは、兄王の話」
「兄…王?」

 扉を開けっぱなしだった事に今更気付いて、ヘルムートは扉を閉めながらリーファに答えた。

「ヴァルトル王には好きな女性がいたんだけど、その女性は他に好きな男がいて他国へ嫁いでしまったんだ。
 裏切られたとでも思ったのかな。いつしか王は、残虐な女狂いになってしまった。
 公式に残された記録だけでも相当なものだよー。
 町で見かけた女性を問答無用で城に幽閉して、家族が文句を言えば金で解決した。
 女性は逃げられないように、施術を施された。
 手足の腱は切り、耳は壊し、目は潰し、奉仕させやすいように歯は全て抜かれた。
 側女として捕らえられた女性は二十二人、施術の過程も含めて、悶死した女性は十三人。
 昼夜問わず聞こえる女性の悲鳴に、役人の半数は鬱と診断されたそうだよ」

 話しているうちにリーファの顔色が真っ青に染まっていく。辛うじて出た言葉は怯えに震え、噛み合わない。

「あ、あ、あの、それ、それで…そ、その王様、は…?」
「二十二人目の側女ヨーゼフィーネが連れてこられた時、彼女の親族だった施術担当者は、何とかしようと包帯と血糊を使って彼女の施術を誤魔化したんだ。
 隠しようもない場所は、担当者が風邪を引いたと言って後回しにさせたらしい。
 そうして、幾晩か過ぎていったんだけど…。
 ある日、王の所業にすっかり怯えた彼女は、半狂乱になって王を花瓶で滅多打ちにして殺してしまった」
「──────」

 リーファからはもう言葉も出ない。口をぱくぱくさせて、死にかけの魚のようだ。

 思った通りの反応をしてくれて、ヘルムートの口の端が緩んでしまう。アランがリーファを揶揄う理由がちょっとだけ分かってしまう。

「本来ならそのヨーゼフィーネは、国家反逆罪として処刑される事になるんだけど…。
 それをやると、国内外に王のやらかした所業が伝わってしまう。
 今後の事に貴族達が頭を抱える中、王弟のベナークが妙案を出したんだ。
 亡くなったのはベナークだったという事にして、ベナークがヴァルトル王として執政を行っていく、っていうね。
 賢王と呼ばれた所以はそこにあるみたいだよ。
 生き残った女性達は側女に、ヨーゼフィーネは正妃に迎えたし。
 女性に優しい法律が、彼のおかげでどんどん増えた」
「…弟王にも、黒い話はあるがな」

 ぼそっと発したのはアランだ。
 彼は未だ顔色の優れないリーファの背中や腰を撫で回している。労わっているのか単に撫でたいのか、その表情からはよく分からない。

「兄王を殺すよう、ヨーゼフィーネをそそのかしたって話?まあ、あり得たかもしれないね。
 しかしそれで、被害に遭わずに済んだ女性もいたかもしれないだろう?
 救われた者の数を考えたら、大した話じゃないさ」
「王の命より、民の命、か」
「民が王の犠牲になっちゃ意味がない」
「…ふん、分かっているさ。
 ………………おい、いい加減にしろ。いつまで暗い顔をしているつもりだ」

 アランは面倒臭そうに、リーファの背中を叩いた。

 は、と憑き物が落ちたように我に返ったリーファが、アランを見て困ったような顔をしている。
 そして物怖じしながらも、ヘルムートにしどろもどろと言い訳を始めた。

「あ、えと…陛下は確かにいじわるで、痛い事いっぱいしますし、横暴な事ばっかりしますけど。
 そんな、ヴァルトルの兄王様みたいな、人じゃないと、思うん、ですが。
 そ、そもそも、私の声が大きいのが原因だと…思うんです。
 私が声を上げなければ、いいだけで…。
 ………………その…………………誤解されないように………。
 こ…声上げないように、頑張ります………」

 しょぼんと肩を落としているリーファを、アランとヘルムートは眺めてしまう。
 そして。
 やがてどちらともなく、ふたりして噴き出した。

「ふっ」
「はははっ」
「どうだヘルムート。私の側女は従順だろう?」
「本当、君には勿体無いくらいだよ。あはははは」

 乱暴に頭を撫でるアランと、笑いが止まらないヘルムートに挟まれ、リーファはどうしていいか分からず顔を赤くして黙ってしまった。