小説
魔女達の呪い
「怖気づいたあ?」

 夕餉を終えた後の側女の部屋で、リーファは素っ頓狂な声を上げた。

 呪いを判別だけでもしておこうと、リーファはヘルムートを部屋に招いたのだが、城に戻った時のアランの言動を話したら、ヘルムートからそんな言葉が返ってきた。

「多分、だけどね」

 ソファに座って出されたコーヒーに舌鼓を打ちつつ、ヘルムートは話を続ける。

「アランはエリナが苦手だからなあ。
 似たような人たちが城下でごろごろしてるって知ったら、さすがにビビるでしょ」
「それって…一時期エリナさんが、陛下をしごいてたって事と…」
「ああ、関係あるよ」
「…エリナさんって、すごい人なんですね…」

 しみじみと感心して、リーファも向かいのソファに腰掛ける。

 エリナは、見てくれはどこにでもいるようなおばちゃんなのだ。
 リーファよりも頭一つ分は大きいので威圧されがちだが、困っている人を放っておけない、お節介焼きで世間話が大好きな女性だ。
 そんな彼女が時々語る武勇伝があった。

 ───詰め所の兵士達に襲われて返り討ちにした。
 駆けつけた警備隊長もついでに張り倒し、それがきっかけで付き合いだしたのが今の旦那さん。
 剣の使い方がまるでなっていない兵士達を、基礎から徹底的に叩き込んだ。
 兵士全員に頭を下げられ、仕方なく一度だけ魔物との戦争に参加したら、気づいたら敵将を打ち倒していて領土を奪還していた───などなど。

 薬剤所でまったり新薬の研究に励んでいる彼女がそんな事を言うものだから、『ああ、またか』と以前はあまり間に受けなかったのだが、ここへ来てからはその考えを改めざるをえなくなってきた。

「もちろん、ラッフレナンドは兵役と薬学の国。
 魔物と領地を取り合う位だ。兵力には絶対の自信があるんだけどさ。
 それでもエリナが来てから、兵士達の士気が一気に上がったのは確かなんだ。
 兵士達の言ってる話は、九分九厘事実だよ」

 ここに入ってしばらくの間、兵士達に『エリナさんと近所付き合いしてるんですよ』と話すと、高確率で謎の心配をされた事を思い出した。

「近所で見かけるエリナさんは、普通のおばさんなんですけどねえ…」
「それが僕には信じられないよ。
 剣の稽古をつけてるエリナは、それはもう鬼気迫る姿だったんだ。
 魔物が化けてるんじゃないかって噂もあった位にね。
 アランも運がない。エリナに目をつけられて、あんな醜態を晒すなんて───」

 がんっ!!!

 不意に扉の向こうから何かを叩き付けた音が聞こえてきて、リーファの心臓が跳ね上がった。

 恐る恐る扉を見ると、若干へこんでいるような気がする扉がゆるゆると開かれて、その先から握りこぶしを突き出しているアランの姿が現れた。
 目を見開き、口元は憤怒を湛えている。こういうのを、鬼気迫る姿と言うんじゃないかと言う位、彼の表情は険しい。

 テーブルの先に顔を向けると、穏やかなヘルムートの額から珍しく大量の汗が零れている。

 つかつかとブーツを鳴らしヘルムートの真横まできたアランが、腹違いの兄を見下ろしながら口を開いた。ヘルムートはアランの方を見る事ができない。

「ヘルムート」
「な、何かな?」
「何の話を、していた?」
「え、ええとね。エリナが国に多大な貢献をしたっていう話をちょっとね。ね、リーファ?」
「え、ええはい。エリナさん、すっごく強い人だったんですよね。わ、私今まで知らなくて」
「お前には聞いていない」
「はい…」

 アランに半眼で睨まれて、リーファはしょぼんと落ち込む。

「ヘルムート、ちょっと来い」
「え、嫌だよ僕。まだコーヒー飲んで」
「来い」
「はい…」

 抵抗むなしく、ヘルムートはカップをソーサーに置いてアランと共に部屋を出て行った。

 リーファが耳を澄ませても、ふたりの足音が聞こえない。随分遠くまで行ってしまったようだ。

(陛下の醜態って、多分あの話よね…)

 扉を眺めながら、リーファは以前エリナから聞いていた話を思い出す。
 ヘルムートは知らないと思っていたようだが、リーファはエリナから、アランの事をそれなりに聞いていたのだ。

 まだ兵士になりたてで右も左も分からないアランに対して、エリナはそれなりに厳しく接していたらしい。
 と言っても、国の王子だと知っていた訳ではないから、特別他の兵士と違った事をさせていた訳ではない。
 ただ、兵士を志願した訳でもなくいきなり放り込まれただけ、という事はアランの態度から何となく分かったので、とにかく国に仕える心構えだけは徹底的に教え込んだのだとか。

 剣の打ち合いでエリナの気迫に腰を抜かしたとか、夜中おねしょをして泣きながらシーツを洗っていた所をエリナに見られて替えのシーツを渡されたとか。醜態というのは大方その辺りの事だろう。

 十年以上年月が過ぎて、身の丈もエリナとさほど変わらないほど伸びてなお、この国の王様は一人の中年女性に頭が上がらないのだ。

(思い出したくもない過去の一つや二つ、誰にだってあるよね…)

 ほんの少しだけアランに同情しながら、リーファは風呂敷の結び目を解いた。持参した道具と本を取り出し、準備を進めていく。