小説
魔女達の呪い
 解呪から一週間後。
 リーファはラッフレナンドの遥か西、国境代わりの山脈に程近い僻地の森に来ていた。
 トリストの森と違って名前はついておらず、ただ鬱蒼と木々が広がっている。
 道なき道を抜け、森の外からも見える巨木の袂が目的の場所だった。

 かつてはこの丈夫な木の上に、小屋が一軒あったという。
 だが、屋根も壁も二百年という月日によって全壊。
 木の成長によって家財すべてが地面に落ち、土に溶けてほぼ何も残っていない。
 埋もれかけていたガラス瓶の破片で、かろうじて人の痕跡が垣間見える程度だ。

(私だけでもよかったんだけどな…)

 後ろで周囲を見回しているアランとヘルムートを見やって、リーファは溜息を零す。

 既に呪いは解けているものの、『王の儀式に絡む聖域が呪いで蝕まれていた』という事実はさすがに体裁が悪いと考えたらしい。
 呪いが解けた事を公にする為、『魔女が住んでいた土地で呪いを解きに行く』という筋書きでアランとヘルムートが同行する事になった。
 まだ貴族達に公式で伝えてはいないものの、城内では下準備が大々的に行われ、何だかんだで出向くのが一週間も先延ばしになってしまっていた。

「魔女ヴァレリエが住んでいたという場所はここか。何もないではないか」
「さすがに二百年も前だからねえ」
「文献によれば、呪いが判明し兵がここに来た時、既にヴァレリエさんは自害していたそうです。
 遺体は、グレゴワール王の温情でこの場へ埋葬されました。…あれですね」

 リーファは木の側に石が置かれただけの場所を見やる。
 大きな石が一つ、どっかりと置いてあるだけで墓碑名すら刻まれていない。

 アランが、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「…雑だな」
「まあ、こんな辺境に確認に来る物好きなんていないだろうからね。
 むしろ、魔女狩り全盛の中でやっただけマシなんじゃない?」

 三人が墓石に近づくと、長い尾の魂が浮遊している。魂の色は白いがとても薄く、今にも消え入りそうだ。

「よく二百年も大亡霊にならなかったね。
 そうでなくとも、他のグリムリーパーに食われてると思ってたんだけど」
「恐らく、一度はグリムリーパーに回収されていると思うんです。
 ただ今回解呪をしたので、呪術の形成に使っていた魂の一部が戻ってきているんでしょう。
 残留思念、と呼ばれているものです」
「要は残りカスか。そんな状態で会話が成立するのか」

 適当な木を背にして座り込んだリーファの体から、グリムリーパーが抜け出す。手を掲げると、手甲の宝珠から小さな魂が勢いよく飛び出した。

「エニルも、かつてはヴァレリエさんの一部でしたからね。
 二位の魂を会わせて、具現化しやすくします。
 ………さあエニル。お母さんがいますよ」

 エニルの魂が、少し物怖じしながらヴァレリエの魂の側に寄っていく。二位の魂が絡み合うと、消えそうになっていたヴァレリエの魂が次第に色味を帯びるようになる。

 リーファは魂達に触れ、それらに具現化を促した。朧な魂は、膨張し形を歪ませ、やがて人型にその姿を変えていく。

 現れたのは深緋色の長い髪が緩やかに波打つ、長身の美女だった。
 タイトな紫紺のドレスをくすんだグレーのマントで覆い隠し、座り込んだまま物憂げな表情を浮かべている。

 彼女は視界が開けた事をゆるゆると自覚したらしく、ぎこちなくだが驚いた様子で周囲を見回した。
 そして同じように人の姿を取ったエニルが、膝の上で自分を見ている事に気付く。
 癖の強い金髪、頬へと触れて、少年が誰であるのか理解したらしい。

「あなたは…エニ、ル?」
「おかあさんっ」

 名前を呼ばれて、エニルは満面の笑みを浮かべて母親の胸に飛び込んだ。

 覚醒直後の混乱もあって、ヴァレリエは戸惑いながらも子供の背中を撫でる。

 そんな母親を見上げ、エニルは一気にまくし立てた。

「あのね、あのね。えにるね、わるいこなの。
 わるいこは、おかあさんのいうことをきいちゃいけないんだっ。
 あそこは、くらくて、せまくて、さみしいから、あかるくて、ひろくて、たのしいところにいったんだよっ。
 おひさまはぽかぽかしてたよっ。おほしさまはきらきらしてたよっ。
 おはなは、いろんないろなんだよ、しってた?
 もりのなかは、どうぶつさんがいっぱいいて、とりさんといっしょに、えにるそらをとんだんだよ。
 おしろには、ひとがいっぱいいるんだ。
 おっきいひとが、えーいやあってやってたんだ。あ、うまさんもいたよ。
 あと、おしろに、こわいひとをとじこめるところがあるんだよ。
 えにるわるいこだから、こわいひとこわくないんだよ。すごいでしょ?
 それでね、それでね」

 次から次へと自分が体験した事を語り続けるエニルを見下ろし、ヴァレリエが目をぱちくりして困惑していた。

 微笑ましい光景を眺め、リーファの口元が緩んでしまった。

(色んな所に出かけたものね…)

 ここ一週間、リーファは暇を見つけては色んな場所にエニルを連れて歩いていた。
 そう遠くへは行けなかったが、城内、城下、時には近隣の森にも足を運んでいた。

 エニルは初めて見る色んな物に興味を示した。
 次々と質問を投げかけられリーファも困りはしたものの、確実に知恵をつけていったエニルを温かい気持ちで応援した。

 やがてエニルは、知恵をつけた事で一つの疑問に行きついた。自分の事だ。

「あとね、あとね、えにるはねー…ええっと、ねえ、りーふぁ。あれ、なんだっけ?」
「エニルは、いらない子じゃなかったんですよね」
「そうそう、えにるいらないこじゃなかったんだよー」

 そこでようやく、ぼうっとしていたヴァレリエは自分が仕出かした事を思い出したらしい。背中をさする手が震え、怯えるようにエニルを見下ろしている。

「そう………わたしは確か、呪術をかけるためにあなたを…!」
「思い出しましたか?」

 声をかけられて、ヴァレリエはようやくリーファと二人の人間を視界に入れた。
 こちらを見た瞬間、ほんの少し彼女の表情が崩れる。驚いているような、悲しんでいるような、ない交ぜの表情だ。