小説
半年越しの覚悟
 リーファのそんな姿を見て、何となく状況は察したらしい。ジャネットが小皿とフォークを配りながら神妙な顔つきで唸り声を上げた。

「…ふーん………何か、意外ねー」

 持ってきたおにぎりをもぐもぐ食べながら、ソフィも物憂げに瓶底眼鏡のフレームをくい、と正す。

「本当に。
 てっきり、リーファさんの積もりに積もったエロスな知識で、王様を篭絡しているのかとばかり…」
「いやあの、ソフィ大分誤解してるみたいだけど。
 そういうの全然ないからね?ね?」
「またまた───」
「…それで?」
「え?」

 話題が逸れかけた所で、途中から黙り込んでいたマイサが目を据わらせてこちらを見てきた。
 こちらが話しているうちに弁当は食べ終えたらしい。片付けられた弁当箱のその横で、彼女が手に持っているティーカップが、どことなく震えているように見える。

「まさか自慢話をしに来たのではないのですよねぇ?」

 戦慄いているマイサの物言いに、その場にいた三人が固まる。
 返答に窮していると、ジャネットが代弁してくれる。

「…ねえ、マイサ。今の、自慢話に聞こえたの…?」
「当たり前ですわ!
 城で何不自由なく暮らして夜には足繁く陛下が会いにいらっしゃるなんて、女にとって至上の喜びではありませんか妬ましい!」

 そうジャネットに食ってかかり、瞳に涙すら滲ませながらマイサはリーファを睨みつけてくる。

「あの日…!あの日わたくしが城に行っていれば…、いれば…!!」

 心底悔しそうなマイサを温かい気持ちで見返して、リーファは城入りするきっかけを思い出していた。

(…そういえばマイサの代わりに薬届けに行ったんだっけなあ)

 あの時は『マイサが行ったら城で厄介事を起こしかねない』と、手が空いていたリーファが行く事になったのだ。
 今思えば、マイサに任せておいた方が幾分かマシだったのではと考えてしまうが、それも過ぎた話だ。

(でも、『妬ましい』ねえ…)

 マイサに城での生活がとても素晴らしいものと思われるのはありがたいが、何故だか微妙な罪悪感が生まれる。
 しかし、ここに来た目的を見失う訳にはいかない。気後れしながらも、リーファは小さく頷いた。

「…うん。あのね。
 …もう、お城から出て行こうかなって、思ってて…」
「「「───!?」」」

 三人の反応は、大体予想していた通りだった。
 ソフィとジャネットは息を呑み、マイサは驚きながらも喜んでいるように見えた。

「な、何故か、聞いていいのでしょうか…?」
「ん、うん。まあ…性に合わないかなって。
 ちょっとでも陛下の役に立てればいいなって最初は思ったけど…。
 最近、本当に役に立ってるか考えるようになったっていうか…。
 側女…愛人として陛下の側にいるのは、私には向いてないんじゃないかなって…」

 話しながら俯くリーファを眺めて、小皿にケーキを移したジャネットは物憂げに天井を仰ぐ。

「まあ………分からなくはないわねー。
 ちょっと前まで忙しく仕事してたのに、ふとした拍子に城に入って食っちゃ寝する生活とか。
 アタシには耐えられないわー」
「そりゃジャネットさんならそう言うでしょうねえ」
「どういう意味かなー、んー?」
「いたいいたいいたいごめんなさいもう口答えしませ───がーっ?!」

 残像すら見える見事なフットワークでソフィの後ろに回り込み、ジャネットはソフィのこめかみをぐりぐりと締め上げる。
 悲鳴を上げてソフィはその腕を掴むが、引き剥がすには力が足りないようだ。

 リーファもケーキを小皿に移してちょっとずつ食べながら、次の言葉を待っているマイサに告げる。

「…でね。
 陛下の御眼鏡に適いそうな女性と交代って形でなら、城を出ても良いって事になったんだ。
 こんな言い方したくはないんだけど…ソフィかマイサか、どっちか私の代わりに陛下の側に来てくれる気はあるかなって。それを聞きたくて今日はここに来たの。
 私の名前が国の名簿に登録されてるらしいから、城に入ったら私の名前を名乗って生活していく事になっちゃうけど…」

 お仕置きが済んで満足したらしい。ソフィを解放したジャネットは、ようやく椅子に腰掛けケーキを頬張り始める。

「…なーんか、嫌な話ね。あっさりし過ぎてるっていうかさ」
「王族のしきたりというか、色々、事情があるそうなんですよ。
 私を側に置いてるのも、仕方がなく、って前に言ってましたし」
「仕方がなくで半年以上も城に置くかなあ」
「う、ううん。き、気の長い人なんじゃないですか?」
「そうなの?」
「…うーん」

 自分で言っておいて疑問に思うのも間抜けな話だが、ジャネットに指摘されてリーファの眉間にしわが寄る。

「…まあ、大体事情は理解しましたわ」

 いつの間にかケーキを完食していたマイサが、お茶を飲み干して席を立った。

「わたくし、行きますわ!」
「ほ、本当───?」

 リーファの言葉を手で遮って、マイサがふんと鼻で笑った。

「勘違いしないで下さいな。わたくし、別にリーファの為に行く訳ではありませんの。
 これは、陛下の為ですのよ」
「…陛下の?」
「ええ」

 リーファを蔑むように見ていたマイサはあっという間に目をキラキラと輝かせ、窓の先のラッフレナンド城を眺めた。

「陛下はきっと、胸ぺったんこで足も太くて色々性格的にも難アリのリーファと会うのも嫌になってたに違いありませんわ。
 つまりこれは、リーファの口から『出て行く』と言わせる為の作戦だったのです!
 自分で言った以上、後悔しても城には戻れませんからねえ。
 今陛下は、気に入らない愛人がいなくなって、新しい想い人を求めているはず。
 そう、言ってみればこれは陛下の為、国民としての義務なのです!」

 マイサは貴族の令嬢を思わせる上品さで、どこか誇らしげに自説を主張する。
 しばしぼーっとマイサを見上げていたリーファだったが、ふと、胸のつかえが取れたような気がした。

「………………ああ、なるほどー」

 手を叩いて納得していたリーファを見て、慌ててジャネットとソフィが突っ込む。

「いやそこ納得しちゃダメでしょ」
「もっと怒っていいんですよ?」
「だって…それは本当の事だし…。
 で、でもマイサ。
 側女…陛下の愛人になれば、私の名前で生活しないといけないんだけど、それはいいの?」
「ふっ、そんなの要は通り名みたいなものでしょう?
 わたくしと陛下の間の障害にはなんらなりませんわ。
 ま…まあいつかは、”マイサ”とか、”マーちゃん”とか呼んで貰えればいいなとは思いますけど…!」

 うふうふ笑いながら、マイサは顔を赤らめてくねくねと身悶えている。

 彼女を見ながら、リーファは内心ほっとしていた。突拍子もない話だから、即断られるかもしれないと思っていたからだ。
 アランに気に入られるか、ついでにマーちゃんと呼んでくれるかは正直よく分からないが、マイサの分析が正しいなら、リーファが城にいるよりもマイサがいた方がアランの為にはなるのかもしれない。