小説
半年越しの覚悟
「ソフィはどうかな?陛下は、側女が増える分には問題ないって言ってたけど」

 時間が差し迫っているのか、物凄い勢いでケーキを食べているソフィにも声をかけてみる。
 まさか話を振られるとは思っていなかったらしく、ぽかんとした顔をこちらに向けた。

「側女…でしたっけ?とかはあんまり興味ないですねえ。
 あちらに行ったら、礼儀作法にマナーに忙しいのでしょう?そういうのはちょっと…」
「割と自由だけどね。私も、自分の仕事…っていうか趣味はさせてもらってるし。
 それに、公文書館や禁書庫はなかなか面白い文献が多かったよ。
 薬剤所も充実してるし、勉強にはなると思うけど」
「………おや、そういう話をされますか。
 お城に封印された重要機密の眠る書庫…なかなか興味を引く話ですねえ」

 眼鏡を光らせてにやりと笑うソフィ。

 そこに、うっとり妄想を膨らませていたマイサが、きっ、とソフィを睨んできた。

「あらソフィ。あなたも立候補なさいますの?」
「え、いやあ。まだそうと決めた訳では…」
「負けませんからね!リーファ、迎えの馬車は来てくれますのよね?!」
「え、あ、うん。お願いはするつもりでいるけど…」
「ジャネットさんわたくし今日は早引けしますわ!
 リーファ、準備ができましたらわたくしの家まで迎えを寄越して下さいね!」
「は?ま、マイサ?!ちょ…!?」
「お疲れ様です!」

 そう言って、マイサは早々に自分の荷物をバッグに詰め、薬剤所を出て行ってしまった。
 廊下をつかつかと歩く音のあと、しばらくして診療所の扉の開く音が聞こえてきた。
 本当に自宅へ帰ってしまったらしい。何をしに行ったかは分からないが、診療所には戻るつもりはないようだ。

「………あ」

 思い出した事が急に降ってわいて、リーファは思わず声を上げた。

「マイサに言うの忘れた」
「何をですか?」
「…うんとね………何て言っていいのかな…。
 陛下はね、かなり勘が鋭い方なのよ。嘘とかすぐ見破っちゃう…というか。
 あの子、すぐに見栄を張りたがるから、そういうのはやめた方がいいよ、って言うつもりだったんだけど…」
「それはリーファの顔に書いてあるからじゃないの?
 誤魔化す時いっつも右側に頭傾ける癖あるし」
「え、そうなんですか?やだ、気をつけよ…」

 頬に手を当て頭を傾げ、リーファは悩ましげに唸った。その仕草が今ジャネットが言った誤魔化すポーズだと気付き、慌てて頭を起こす。

 見やれば、ソフィが愉しげに口の端を吊り上げていた。

「面白い話ですねえ。その嘘の見抜きですが…どの位のレベルなんでしょうか?」
「あー…そう、だね。オカルトレベル?」

 その言葉に、ソフィの瞳に輝きが灯った。
 リーファの両手をむんずと掴み、顔をずずいと近づけてくる。

「オカルト!素晴らしい!わたしも同席してもよろしいですか?
 いや、側女とかまったく興味はありませんが。
 オカルトめいた力のある王陛下の存在は、なかなか興味が尽きない…!」

 輝きなどという生易しいものではなかった。ソフィの眼光はギラギラだった。

(…そういえばこの子、オカルト大好きだっけなあ…)

 魔術のような”解明されたもの”には興味はないらしいが、怪談話、超常現象、奇怪な事件に興味を示すのがこのソフィという女性だ。

『出来るだけ嘘を見抜く力の事は内緒に』

 そうヘルムートから言われた為、オブラートに言ってみたつもりだったが言い過ぎたかもしれない。まあ言ってしまったものは仕方が無いのだが。

 ソフィの気迫に尻込みしつつ、リーファは何とか笑顔で答えた。

「う、うん。じゃあ一緒に行こうか。
 仕事は…さすがに終わってからの方がいいよね。
 明日は休み?シフトの具合は、大丈夫なのかな?」

 ロッカーに貼られていたシフト表を眺め、ジャネットが言葉を足してきた。

「そこは気にしなくてもいーのよ。
 来月二人看護師入れるし、ミハルとフローラにはアタシから話つけておくわ」
「助かります、ジャネットさん。
 …えと、午後の仕事、何か手伝える事ありますか?
 許可は貰ってるので、空いてますけど」
「そう?じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかなー」
「はい、喜んで。じゃあ、馬車の人に話してきますね」

 そう言うとリーファは席を立ち、薬剤室を出ようとした。
 すると、廊下を出てすぐ、リーファの目の前に白衣とワイシャツと茶色いネクタイが飛び込んできた。
 避けきれず、服の真ん中に顔が突っ込む。

「むきゅ」

 そこそこ痛かった鼻を押さえて頭を上げると、やや白髪が入り始めた黒髪の中年男性が、愛想の良い笑みを浮かべている。
 この診療所の医師、ニコラスだった。

「…ニコラスさん」
「やあリーファ、久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「は、はい、ご無沙汰してます。
 すみません、挨拶が遅くなりました。
 あ、あのですね。折り入ってご相談があるんですがひゃふっ?!」

 唐突に起きた自分の異変に、リーファはくの字に身をくねらせた。

 力なくへたり込み自分の体を見ると、にこにこ笑顔のニコラスがくびれをがっちり掴んでいる。
 一緒に腰を下ろしたニコラスは、更に背中やふとももを丁寧に撫で始めた。
 怖気が走って押しのけようと力を込めるが、ニコラスは腕を回していてびくともしない。

「に、ニコラスさん、ダメ。ダメです…そこは…!」
「んー?どうしたんだい。ここにいた頃より随分感度が良くなってるじゃないか。
 王様に色々開発されてしまったのかい?
 悪い子だねえ。一体どんな事されたんだい?そっちの分娩台でちょっと話を…」
「性懲りも無く何やってんだアンタは!!」

 リーファのすぐ後ろにいたジャネットが、持っていたスリッパでニコラスの頭を引っ叩いた。
 すぱーん!
 と、何とも小気味良い音を立てて、ニコラスが廊下に転倒する。

 ニコラスから解放され、リーファはこそこそとジャネットの後ろに這うように回り込む。腰が引けていて、立ち上がるのはちょっと時間がかかりそうだ。

 ジャネットの横にいたソフィが、すっ、と手際良くシルバーのトレイを手渡している。
 スリッパを履きなおし、ジャネットはニコラスの前に立ちはだかった。

「この間入った子に何したか忘れた訳じゃないわよねえ?
 次やったらどうなるか、確か話したわよねえ?」

 せっかくの美人なのに、悪人のような面構えでニコラスに詰め寄るジャネット。
 ニコラスは座り込んだままじりじりと後ずさりするが、距離は狭まるばかりだ。

「ま、待ちなさいジャネット。わたしは別にやましい事があってしているのではないのだ。
 彼女の母親マリアンには恩義がある。
 嫁入り前のお嬢さんの心身のケアは、医師としても当然の事だろう?な?」
「それが尻撫で回すのとどんな関係があるんだこのエロ医師が!!」
「分からない奴だなあ。
 美乳担当のソフィと、美脚担当のマイサがここを離れるかもしれないんだ。
 美尻担当のリーファの美尻具合は把握しておかないとまずいだろう?」
「それが本音かああああ!!!」

 ニコラスが立ち上がり背を向けて逃走を図り、ジャネットがトレイを勢い良く投げつけた。
 風を切って飛んでいったトレイは、危険を感じてしゃがみこんだニコラスの頭上を通り抜け、廊下の先の待合室の椅子にカーンと音を奏でて落下する。

 ジャネットの攻撃は止まらない。壁にかかっていた絵画を掴み接近して殴りかかるが、ギリギリの所でニコラスが躱して逃げる。

 リーファが務めていた頃と変わらない惨状を眺めながら、同じく呆れ顔で光景を眺めているソフィに訊ねた。

「…入った子、いたんだ」
「辞めちゃいましたけどね」
「ちなみに担当は?」
「くびれ担当だそうです。感度が歴代最高だそうで。
 いつも通り、ジャネットさんが割って入ったので大事には至らなかったんですが…。
 すっかり怯えてしまいましてねえ」

 ニコラスの趣味は女性看護師にちょっかいをかける事らしく、セクハラな発言行動はリーファもマイサもソフィも同じように被害を受けていた。
 しかしそのちょっかいは限定的で、ジャネットがいる時しか起こらない。
 ニコラスの行動にジャネットが怒り、制裁が加えられて終了となるのだ。
 その為ここに務める女性陣は、ニコラスを『看護師にセクハラしてジャネットに殴られるのを楽しんでる人』と認識している。

 給料はそこそこ良く、周辺の貴族的な景観も楽しめるという利点のある職場なのだが、セクハラと夜勤のおかげで女性にはお勧め出来ない職場でもあるのだ。

 待合室に逃げ場はなかったのか、ニコラスは廊下を戻ってきた。通り抜けざま、リーファに優しく問いかける。

「君が望むなら、その担当をリーファに譲ってあげてもいいんだよ?」
「いえ、結構です」
「まだ言うか!」

 手馴れた仕草でジャネットが放った鉛筆の群れがニコラスの後ろ頭に直撃するが、さほど痛手には感じていないようだ。

(…距離を取り忘れるなんて…すっかり鈍ったなあ…)

 ふたりを見送りながら先の油断を反省していると、ソフィがぼそりと問いかけてきた。

「…ところで」
「…何?」
「城から離れたら、次はどこに務めるので?」
「…出来れば、診療所で働かせてもらえないかなって、ちょっと思ったんだけど…。
 やめた方がいいかな?」
「やめた方がいいです」
「裏道が使えるから行き来は楽なんだけどなー…」

 ───ごりゅっ。

「ほぎゃあ!?」

 ジャネットの飛び蹴りが変な音を立てて見事ニコラスの背中にヒットして、リーファとソフィは同時に溜息を吐いたのだった。