小説
半年越しの覚悟
 食事の時間はあっという間に過ぎ、彼女達をそれぞれ3階の貴賓室へ送って。
 大浴場で湯浴みを済ませ、リーファは側女の部屋に戻って来ていた。

(なんか…何かが、気になる…)

 腑に落ちないというか、気に障るというか。
 心が燻り、リーファは落ち着かない様子でベッドに突っ伏していた。

 話がトントン拍子に進んでいく。それはいい事なのだろう。
 城を離れる事は、リーファの当初からの希望だし。
 アランは、文句ばかりの側女とこれ以上顔を合わせる必要がなくなる。
 マイサは、元々玉の輿を狙っていたと言っていたし。
 ソフィだって、心細い一人暮らしをせずに何不自由なく暮らしていける。
 万々歳だ。

 なのに───なのに。

(何が引っかかるんだろう…?)

 あまりにも順調に事が運びすぎてて、何かが気持ち悪い。

『陛下はきっと───リーファと会うのも嫌になってたに違いありませんわ』

 マイサが言っていた事を思い出す。
 彼女の話が事実なら、アランがこの一件に乗り気なのも分かる気がする。でも。

『仕方がなくで半年以上も城に置くかなあ』

 ジャネットの言葉も脳裏によぎる。
 会うのも嫌なのに、半年以上も城に置く理由とは何なのだろうか?

(私が連れてきた子と交換だなんて…。
 陛下が気に入った女性を連れてきてくれれば、喜んで城から出たのにな…)

 はあ、と何の為か分からない嘆息が零れた所で。

 ───がちゃ

 側女の部屋の扉が、藪から棒に開いた。

「入るぞ」
「!」

 考えに夢中で、完全に気が緩んでいた。
 慌てて起き上がり顔を向けた先にいたのは、不敵な笑みを浮かべたアランだった。

「…陛…下…」

 扉を閉めたアランは、左手にシルバーのトレイを持っていた。トレイにはショットグラス二つと、緑色の瓶が乗っている。

(なんで…?)

 怪訝な顔をしているリーファを余所に、アランは何も言わずそのトレイをテーブルに置いた。

 顔を見たくなくても、城の主が来た以上歓迎しない訳にもいかない。
 リーファはベッドから降り、アランの側まで来て首を垂れた。

 顔を上げたリーファの浮かない顔を見て、アランはふんと鼻で嗤う。

「納得がいかないか?お前が望んだ事だぞ」
「…別に、納得していない訳では…」
「ならば何故それほどむくれる?」

 と言いながら大きな右手がリーファの顎を鷲掴みにして、むくれているらしい両頬を揉みしだいた。

「む、むくれてないれす…」

 アランの振る舞いはいつもと変わらず傍若無人だ。もしかしたら、リーファが城を出て行く事など気にも留めていないのかもしれない。

(一人で悩んで、一人で悲しんで………なんだか私、馬鹿みたい…)

 感傷に浸っていたのは自分だけだったのだと思い知らされ、溜息が零れた。ある意味、その位さっぱりしている方が気は楽だ。

「そ、それよりも………今日のご用は?」
「最後の相酌だ。付き合え」
「…はあ」

 自分から飲み物を持ってくるのは初めてだが、最後だからこそ、この位のサービスはしてくれるのだろう。

 リーファはソファにアランを招き、自分も隣に腰掛けた。
 緑色の瓶にはラベルが貼られているが、ラベルに書かれた文字はこの国の公用語ではないようだ。

(兵士さん達が使ってるっていう暗号に似てるような…?でも、ちょっと読めない…)

 いずれにしても、アランも飲むつもりでいるようだから、害があるようなものではないのだろう。

 コルク栓を開けグラスに中身を注ぐと、とろっとした白濁色の液体が入っていた。ほんのりアルコールの香りもしてくる。

「お互いの、幸あらん事を願って…乾杯」
「…乾杯」

 チンと音を鳴らして、互いのグラスがかち合う。

 アランに促されてグラスの酒を口に含むと、ほんのり感じるアルコール分と一緒に果物のような濃厚な甘みが広がった。
 目をぱちくりさせて、リーファはグラスをしげしげと眺めた。城に居て初めて飲んだ味だ。

「…美味しいですね」
「だろう?
 いつも高いワインを不味そうに飲んでいたようだからな。お前の口に合うのを持ってきた」
「…すみませんね、子供舌で」
「全くだ」

 少し呆れた表情で微笑み、アランは自分のグラスをテーブルに置いた。

(こうして顔を合わすのも、これで最後だな…)

 見納めだと思えばこそ、まじまじとその尊顔を見ていられる。

 波打つ金髪は照明に照らされてキラキラと艶めいて見える。
 憂いを帯びた藍色の瞳は宝石の様に美しく、いつまでも眺めていられそうだ。
 鼻筋の通った顔立ちは、色気すら感じさせる。

(結局この顔には慣れなかったなあ…)

 くい、とグラスを傾け、白濁色の酒を嚥下する。ぽよぽよと、体が温かくなるような気がした。

 リーファの身の回りの男性はどこか土臭く人間味に溢れた人が多かったから、アランのような貴族然とした男性との接点は殆どなかった。
 この別世界の住人のような顔立ちに、いつかは慣れるだろうと期待はした。
 どちらかというと庶民寄りな顔のヘルムートは、割とすぐに慣れた。
 掛け値なしの美女であるシェリーも、同性という事もあって大分慣れたと思う。
 でも、このアランという男性の顔は、いつまで経っても慣れる事は出来なかったのだ。

(顔の好み…なのかなあ…)

 綺麗であっても好みかどうかは別問題、という事なのかもしれない。

(まあ、結局陛下の及第点には届かなかったしね…。
 顔が好みじゃないのは、お互い様だろうし…。
 もしかしたら陛下も、私の顔に慣れなかったのかもなあ…)

 やや早いような気がするが、疲れて酔いが回ってきているのだろうか。
 目の前の王を接待しなければならないというのに、もやもやと色んな事を考えてしまう。

「お前がここを離れる事になれば、それからはどう過ごすのだろうな」

 アランが首を傾いで訊ねてきて、リーファはぼんやりした頭を奮い起こしてぽつりぽつりと喋り出した。

「え、ええっと…。
 …多分、診療所に再就職になるでしょうかね………あちらは人手が足りないようでしたので…。
 あとは、時々墓地へ行って魂浄化して………お給料貰ったら、好きなものいっぱい買います。
 …読み損ねてた本読まないと。折角呪術用の杖を作った事ですし、勉強もしてみたいですし。
 それに…地方にも行ってみたいですね…。
 外へ出て、思ったよりも浄化されてない魂が多い事に気づきましたし…」

 つまらないものを見るように、アランは目を細めた。

「何一つ、浮いた話がないが?」
「………そういうのは、よく分かりません」
「グリムリーパーの呪いか」

 グラスは小さい為か、また一口含むと器の半分ほどまで減ってしまう。
 名残惜しそうにしていたら、アランが瓶の酒を注ぎ足してきた。

「どうなんでしょう………その辺の事は、あまり頭に入って来ないんですね。
 御伽噺とか好きで、よくハッピーエンドになるお話とか読みますけど…。
 誰かを好きになって、結婚して、子供を生んで…。
 でも最後は、私が好きな人や子供の魂を、刈り取らないといけないんだって思うと。
 それはないなって、思うんですよね…」

 気が付けば、グラスの中身が空になっていた。

(いつ飲んだっけ…?)

 不思議に思ってグラスを目の高さまで持ち上げると、その先にアランの顔があった。

 いつまで経っても慣れなかった顔。
 美しいけれど、好みではなかった顔。

「聞きたいな」

 どこか嬉しそうな声が、リーファの耳元をくすぐる。