小説
半年越しの覚悟
「遅い!」

 翌日の朝、マイサがいる貴賓室に足を運んでみれば、彼女はややご機嫌ナナメに頬を膨らまし、腕を組んで待っていた。

 さすがに自前のドレスで歩き回るのは無理だと思ったのだろう。フリルをふんだんにあしらった、丈の短い黒地のワンピースを着ている。リーファも何度か着ているメイド達の支給品で、脚線美に自信があるマイサによく似合っていた。

 日が昇ってそれほど時間は経っていないはずだが、マイサからすればここにいる一分一秒も無駄には出来ないのだろう。

「ご、ごめんごめん。
 ま、まあ先に食事しに行かない?腹ごしらえしてからじゃないと何もならないし」
「…ふん、まあいいですわ」

 不満そうなマイサを伴って、リーファ達は貴賓室を後にした。

 この時間はまだ役所の業務は始まっていないから、城内もそこまで賑やかではない。しかし、兵士は定期的に巡回をしており、メイドは掃除に追われていた。

 そんな廊下を歩きながら、マイサは自分の肩を抱いて悩ましげに溜息を吐いた。

「何で陛下は、わたくしを先に呼んで下さらないのかしら?
 わたくしは陛下の事をもっと知りたいのに…」
「さあ…。
 一応、ソフィは見学に来ただけって話しておいたから、それが関係してるかもしれないけど」
「…確かに、わたくしが先に呼ばれて側女になる事が確定してしまうと、ソフィの見学がなかった事になりますものね。
 陛下のご温情、と言う事かしら?」
「そうかもねー」

 側女が増える分には問題ないのだが、そこを否定してマイサの反感を買う事にあんまり意味はない。さらっと相槌を打っておく事にした。

「それよりも、リーファ知ってまして?
 ソフィったら、お風呂に入るのも一ヶ月ぶりとか言ってましたのよ」
「えっ」

 不意に出た話題に、リーファはぎょっとした。

 入浴の文化が浸透しているラッフレナンドの民は、その多くが町にある公衆浴場に通って汗を流す。
 公衆浴場では当然料金を取るので、毎日通える者はそう多くはないが、それでも三日に一度位は行くらしい。

 ───らしい、と言うのは、リーファの自宅は薪焚きの浴室を設えてあるからだ。
 水を大量に使うし沸かす手間があるので、リーファも体を洗う分だけ沸かして使うのだが、その為公衆浴場へはあまり行った事がない。

「そ、そうなの?今まで匂いとか、全然気にならなかったけど…」
「いっつも水浴びで済ませてしまうんですって。髪も濡らしたタオルで拭いて終わりだとか。
 わたくし同じ女として情けなくって。
 あんまり酷いから、昨日大浴場で隅々まで洗ってやりましたわ。
 そしたら垢が出るわ出るわ…!」

 思い出してぞっとしたのか、マイサが歯を食いしばり肩を震わせて戦慄いている。
 昨日は『戦いは既に始まっている』と言っていたような気がするが、悪態をつきながらもソフィを甲斐甲斐しく世話するあたり、実にマイサらしかった。

「そっか。大変だったね…。
 あ、じゃあ脱衣所にあったオイル使った?あれ髪サラサラになるよ」
「もちろんですわ。
 さすが王城。オイルもローションも最高級品ばかりですわね。
 見なさいな、この肌の艶めき!
 …ま、まあ、リーファと同じ香りがするのは気に入りませんけど」
「陛下が好きな香りなんだって。きっと喜んでくれるよ」

 1階まで降りてくると、役所の準備を進めている役人の姿はちらほら見られる。
 まだ時間に余裕があるのか、書類の整理をしていたりパーラーで談笑していたりと、雰囲気は穏やかだ。

 食堂に繋がっている本城の東側の出口へ向かいながら、リーファは訊ねた。

「…ところで、マイサはどこか行きたい場所ある?
 一応、『邪魔にならなければ好きな所に行ってもいいよ』って言われてるけど」

 マイサの耳がピクリ、と動いた気がした。真剣な目つきで立ち止まり、ぐるりと本城を見回している。
 しばらく黙考し、赤らめた頬を手で隠しながらもじもじとマイサは口を開いた。

「じゃ、じゃあ、陛下の寝所へ…」

 寝所、と言われて思いついた場所は、本城の最上階にある王の寝室だった。
 リーファが先王オスヴァルトに取りついていた時に使っていた部屋だが、アランが使っている所は見た事がない。

 何となく使っている情景が思い浮かばず、ついマイサに訊ねてしまう。

「…止めないけど、そんな所行ってどうするの?」
「陛下の好みとか趣味とかを知るチャンスではありませんか。
 リーファはここへ来て、陛下の何を学びましたの?」

 言われるまま、脳裏に今までの思い出が通り過ぎる。
 吊り上げられたり、縛り上げられたり、罵倒されたり、痛い思いをさせられたり。

 ぶわっと変な汗が全身から噴き出した気がした。あれが好みとか、趣味ではないと信じたい。

「そ、そうだね。趣味を知る、いい機会かもしれない…かな。
 じゃあ食事が済んだら、行ってみようか」
「わたくし、朝食はエッグベネディクトがいいですわ。ありますかしら?」
「朝は皆早いからね。品が切れてないといいよね」

 本城東側の出口を出ると、その先の食堂に兵士や役人が入って行くのが見える。
 後を追うように、リーファ達も食堂に足を踏み入れた。

 ◇◇◇

 朝食を食べ終えたリーファ達は、まずはマイサの要望通り、王の寝室へと来ていた。
 最上階である城の4階は、王の寝室と王族用のウォークインクローゼットの二部屋がある。

 寝室は、城を囲む城壁よりも高い位置にあるから、正面のルーフバルコニーから城下を一望できる。まさに王だけが佇む事が許される部屋と言えた。
 これほどの広さが果たして必要だろうか、と考えさせられるほど、部屋は大きく間取りされている。

 側女の部屋にあるものの倍はあろうかというベッド。
 丁寧且つ華やかな彫りがなされている円卓と椅子が二脚。
 部屋いっぱいに広がっている絨毯は、寝そべりたくなる位にふかふかしている。
 壁に置いてある黄金色の全身甲冑は、傷らしい傷もないので観賞用なのかもしれない。
 仕事に必要な書類や用具は、執務室や王子時代の私室に揃えてあるようで、この部屋には使用頻度の低い物を置いているようだ。本棚を覗いてみると、もっぱら帝王学関係の書籍が多い。

(拷問器具の紹介本もあるのよね………)

 ぺらっとそちら関係の本のページをめくったが、見なかった事にして本棚へ戻す。
 改めて部屋を見回して、ここに入った時に感じた違和感の正体に気付く。

(あまり使ってないのかな…?)

 そう思う程度に、生活感というものがまるで感じられなかった。
 クローゼットは別室があるから良いとしても、本を除けば趣味を感じさせる戸棚もない。
 毎日掃除しているにしても、使い込まれた感がないほど綺麗過ぎる。
 朝から晩まで忙しいアランの事だから、本当に寝る為だけにしか使っていないのかもしれないが。

(もしかして、2階の王子時代の私室で寝てるのかな…?)

 アランの事を調べる為に来たが、見当外れの所に来てしまったのかもしれない。

 4階の警備を担当している衛兵のトビアスが扉の前で監視する中、マイサはベッドに寄り添い頬ずりをしていた。その表情はとても幸せそうだ。

「ああ…ここで陛下はお休みになるのね。そして明日はわたくしも…ふふっ」
「陛下が側女に用がある時は、側女の部屋に来るんだけどね。
 ああでも、正妃様を迎えれば、その方はここに入るのかな?」
「やだ、正妃だなんて…陛下のお心の中にわたくしだけが入っていれば十分ですのに…」

(そこそこ欲深い…)

 うふうふ笑っているマイサを横目に、リーファはふと考え込んだ。

(…あの日、陛下は何をしていたのかな…?)

 あの日、と言うのは、リーファがグリムリーパーとして初めてアランに接触した夜の事だ。
 アランがいた場所は、今リーファが使っている側女の部屋だった。
 どこを探したものかと彷徨っていたら、たまたま顔を出したアランを見つけて『幸運ってあるんだなあ』と思ったものだが。

(家具も揃っていたし、きっと普段使いしてたんだろうけど…。
 でも何であの部屋だったのかな…?)

 3階の西のフロアにある部屋は、全て側女専用の部屋らしい。
 側女が一日の大半を過ごし、肌を整え、王を待つ場所だ。
 王子であったアランには関係ないような気がしたが、ああして普段使いをしていたのなら、何か所以があるのかもしれないが。

(…私にはもう関係ない、か)

 心で言い聞かせるも、どうにも気になってしまう。未練を感じてしまう、リーファの悪い癖だった。

「リーファ、どうしまして?」

 マイサの声で我に返る。見れば、彼女は本棚の本を一冊手に取っていた。
 さっき見たのではっきりと覚えている。拷問に関する本だ。

 さっ、と顔が青くなった気がした。
 本を開いてあらぬ想像を掻き立てないうちに、リーファはまくしたてた。

「ああっ、う、うん、何でもないよ!そ、それよりも、次はどこ行こうか?
 今なら執務室にも入れるし、午前中の引見が終われば謁見の間にも入れるけどっ。
 1階の役所に行って、陛下の話を聞くのもありかもね。今の時間なら暇してるんじゃないかな?」

 いっぺんに次の移動先を訊ねられ、マイサは本を開く手を止め戸惑っていた。

「えっ…う、うん…そうですわねえ。
 じゃあ、今度は執務室にお邪魔しようかしら?」
「そうと決まったら早く行こうすぐ行こう!時間は待ってはくれないよー。
 あ、トビアスさん、どうもお邪魔しましたー!」
「?????」

 本を取り上げ本棚に戻し、リーファは半ば強引にマイサを押し出しながら、王の寝室を後にしたのだった。