小説
半年越しの覚悟
 2階の執務室をノックすると、中から「どうぞ」と男性の声がかかった。

「失礼します」
「お邪魔致します」

 執務室にいたのはヘルムートだった。彼は窓際にあるソファに腰かけ、テーブルに書類を広げて朗らかな笑顔で出迎えてくれる。

「やあ、こんにちわ。リーファと………ええと、マイサ、だったね」

 執務室に入り扉を閉めると、彼は近づいてきて握手を求めてきた。マイサは少し物怖じしながら彼の手を取る。

「名前を覚えて頂けて光栄ですわ」
「僕はヘルムート=アルトマイアー。アラン…陛下の補佐をしているよ」
「それと、陛下のお兄様でもあるのよ」
「え?!そ、そうなんですの?」

 リーファが補足すると、マイサは目を丸くして驚いていた。
 色めくマイサを横目で見て、ヘルムートは手を解きながらリーファをたしなめた。

「こらリーファ。それ言っちゃダメじゃないか」
「え…ダメ、なんですか?」

 リーファは首を傾げて訝しんだ。今までアランとの繋がりについて何も言われていなかったから、急なお叱りに戸惑ってしまう。

「王の子供はそれなりの年齢になると、適性のある部署で働く事になってるんだ。
 それを踏まえた上で、王族として席に就く事が許された者だけが王子を名乗れる。
 …子供の頃は便宜上、殿下とは言われてたけどさ。
 僕は継承権は放棄してるから、王子には成り得ないただの一般人なんだよ」
「…でも、兄弟である事には変わりないですよね?」
「そうなんだけどさ。
 それを言いふらしちゃうと、『王になれー』とか面倒な事を言ってくる連中もいるんだよ」

 頭を掻いて笑うヘルムートを見て、以前彼が『王政とかどうでもいい』と言っていた事を思い出す。
 リーファも、彼は補佐の方が向いているのでは、と思うし、王の血統だからと担ぎ上げられるのは嫌なのかもしれない。

「…ああ、それは確かに面倒ですね」
「だろう?」
「あああああの、何故継承権を放棄なさったのですの?」
「んー…それ、聞きたいの?」

 割って入ってきたマイサの質問に、ヘルムートは含みを持たせた物言いをした。

 聞いてはいけない事だと直感したらしい。マイサは顔を青くして否定した。

「いいいい、いえ。そんな、さ、差し支えなければという話で…っ!」
「そんなに怖がらなくても。
 …まあ、今言ったみたいに面倒臭い、っていうのもあったんだけどさ。
 んー…なんて言ったらいいかな?簡単に言うと、妻が嫌がったんだよね」
「あ…」

 何かマイサの心に引っかかったのか、か細く呻いて押し黙ってしまう。
 しょげているマイサに代わって、リーファが質問をした。

「奥さんが…なんでまた?」
「彼女、庶民の出だからね。
 王族の扱いになると、彼女も貴族側の行事に参加しないといけないし。
 彼女から『堅苦しい生活をするなら結婚なんてしないっ』って言われたら、諦めるしかないじゃないか」

 肩を竦めて困ったように言って見せるヘルムートを眺めていたら、ついつい口の端が吊り上がってしまった。

「ああ。ノロケですね」
「え、やだな。そんな風に聞こえた?」
「それはもう」

 へらっと笑う辺り、ヘルムートも惚気たくて言っていたようだ。話に聞くだけで、愛妻家だという事がよく伝わってくる。

 我に返ったマイサも、ふたりの話に加わってくる。

「け、権力か愛か、究極の選択をしたって事ですものねっ。
 ………ああ、素敵…羨ましいですわあ………」
「それで?奥さんとはどこで知り合ったんですか?付き合いだしたきっかけは?」
「プロポーズの言葉はどんなだったんですの?式はやはりこちらの礼拝堂で?」

 質問攻めをし始めた女性陣にたじろぎ、ヘルムートはふたりを両手で遮った。

「こ、こらこらこら。君達僕の話を聞きに来たんじゃないだろう。
 アランの事聞きに来たんじゃないのかい?」

 王族と庶民の恋愛話という滅多にお目にかかれないエピソードに、つい気持ちが昂ってしまったようだ。リーファとマイサは揃って肩を落とす。

「は。…そ、そうでしたわ…」
「私はもうちょっと聞きたかったんですけど…」
「立ち話もなんだから、まあ掛けて。
 リーファ、お茶を淹れてくれるかい?」
「あ、はい」

 ヘルムートに促され、マイサは向かいのソファに腰掛けた。
 リーファは、テーブルの側にあったワゴンのティーセットで紅茶を淹れ始める。

 紅茶を淹れているリーファをちらりと眺めつつ、マイサはテーブルの書類を片付けているヘルムートに問いかけた。

「あの…アルトマイアー様から見て、陛下はどのような方ですの?」
「うーん。そうだねえ。僕は、子供の頃からアランを見ているからなあ。
 今でこそ図体はでかくなったけど、まだまだ子供っぽい所があるかな、とは思ってるかな」

 熱湯に紅茶の色がつくのを待ちながら、アランの常日頃の言動や周囲の者達の反応を思い出す。

「子供っぽい………エリナさんもそんな事言ってましたね」
「エリナも城仕えが長いからね。
 …そうだな。やっぱり昔っから変わってないかなって思う事もあるよ…よいしょっと」

 書類を抱えて席を立ち、執務机の上に積み重ねる。机には他にも色んな書類が雑多に置かれていて、溢れかえらんばかりだ。

「陛下の子供の頃とは、どんな感じだったのでしょうか?」
「小さい頃は、よく僕やシェリーについて回ってたね。
 臆病で泣き虫で怪談話が苦手で、一人寝が怖くて一緒に寝てあげてたなあ。ははは」

 ティーカップに紅茶を注ぎつつ、リーファは眉をひそめた。あの強面からは想像もつかない時代があったようだ。

「い、意外ですね。そういうのは全然平気なのかとばかり…」
「まあ、おかげさまで最近は大分慣れてきたみたいだけどね」
「???おかげ、さま?」

 ヘルムートが何か言いたそうに流し目を送ってきて、リーファはその理由に気が付いた。

(あ………わ、私の所為か…!)

 どうやら大亡霊や魂の回収作業を見て、怖がる程のものではない、とアランは考えるようになったようだ。

 ヘルムートの視線に気付いて、マイサもリーファを仰いできた。
 怪訝な顔をしているマイサについ苦笑いを返しつつ、リーファは何とか話を逸らした。

「む、昔から甘いものには目がなかったんですか?」
「ん、そうだね。週に一度は、おやつの時間はメイプルシロップひたひたのパンケーキだったかな」
「あ、ええっと、パンケーキがお好きなのですね…メモメモ」

 胸ポケットに忍ばせていたメモ帳と鉛筆を慌てて手に取り、マイサはメモを取り始める。

 ヘルムートがソファに座りなおすと程無く、リーファは三人分の紅茶をテーブルに差し出した。シルバーのトレイをワゴンに戻し、マイサの隣に腰を下ろす。