小説
小さな災厄の来訪
 魔王城というと物々しいイメージを覚えるが、実際に訪れてみるとそれほど酷い有様でもない。

 壁も床もやや青みがかった暗い色の石材で造られた建築物だが、天井のシャンデリアが煌々と床を照らす為暗く感じる事もない。大柄な魔物も多い事からか、廊下は天井が高く、横幅も広い。
 床の中央には金糸に縁取りされた赤い絨毯が広がっていて、足音を抑えてくれる。

 廊下の左右には所々に灰色の翼の生えた彫像が置かれており、その中のいくつかは、ぎぎ、と音を立てながら羽を広げている。さすがに全部が全部ではないだろうが、ガーゴイルも混じっているようだ。

 時折目に留まる、刃物で切りつけたような痕や、やや焦げた絨毯などを見なければ、ここが勇者と魔物の激戦区だと忘れてしまいそうだ。

 ◇◇◇

 謁見の間を抜けて途中の道を右に抜け、少し進んだ先の右側の壁を、案内のドラゴニュートが触れると、丁度人一人が入れそうな扉が現れる。
 扉の先は、中央に光の渦のようなものがある小部屋だ。左右の燭台は真っ赤な炎を照らしている。

 ドラゴニュートに促されるまま光の渦に入ると、視界が一瞬ぐらついて───別の部屋へと到着していた。部屋の形や様式に変化は無いが、左右に灯された燭台の炎が純白に燃えている。

(移動方陣…)

 リーファも使うのは初めてだが、こういう装置があるという話は聞いていた。ある場所からある場所へ一瞬で移動する方陣。

 橋渡しの腕輪と違うのは、物体を高速で移動させるか、一瞬で到着させるか、という所にある。
 腕輪は移動経路に障害物があると迂回しようと力が働くし、当然移動しているのだから時間もかかる。
 一方、方陣は障害物があろうがなかろうが関係なく、まさに今感じた通り一瞬で目的地に到着するのだ。

 グリムリーパーが使う、空間を飛び越える術に似ているが、あれは実体がないから出来る芸当だろうから、きっとこの方陣とは原理自体が違うのだろう。

 ◇◇◇

 目の前の扉を抜けると、一本の長細い廊下に出る。
 廊下も先程よりは幅狭く、天井も低い。廊下の端々の扉の高さも人の背の高さに合わせている事から、リーファ達くらいの体型の者専用の廊下のようだ。

 扉を出てしばらく進み、一つの扉の前でドラゴニュートは足を止めた。扉を開け、入るように促す。

 扉の中をざっと見やる。横長の部屋だが中央で目隠し程度に間仕切りがされており、左のスペースはリビングルーム、右はベッドルームになっているようだ。
 リビングルームは暖炉が設えてあるが、火はついていない。
 中央にはテーブルクロスのかけられたスクエア型のテーブル、木製の椅子が四脚。
 足元には、赤と紺の花柄の絨毯が広がっている。
 扉のすぐ側にはガラス戸のキャビネットが二つ置かれており、一つはグラス入れに、もう一つはワインらしき瓶が並んでいる。

 リーファとアランが部屋へ入ると、ふ、と音を立てて暖炉に火が入った。暖炉の中でゆるゆると熱源が広がり、部屋を温め始める。

 部屋の前に立っているドラゴニュートは、恭しく頭を下げた。

「本日はこちらの部屋でおくつろぎ下さいませ。お食事は、後ほどお持ちいたします。
 こちらのお飲み物は、どうぞご自由にお召し上がりください。
 ご入用の際は、そちらのベルを鳴らして頂ければ駆けつけますので」

 そう言って、グラス入りキャビネットの上のガラスのベルを手で示す。

「はい…ありがとうございます」
「それと、部屋のお外を出るのは推奨致しかねます。
 もし部屋の外で何らかのトラブルがあった場合、責は負いかねます」
「も、もちろんです」
「それでは、失礼致します」
「あ、ありがとうございました」

 一礼して去っていくドラゴニュートを、笑顔で見送るリーファ。

 扉が閉まり、足音が遠くなって聞こえなくなって程無く───リーファはぐるりと回れ右をした。
 興味なさそうにリビングを見回しているアランの前に立ち、両手でその胸倉を乱暴に掴んだ。

「っ!」

 身の丈の低いリーファがそんな行動をしたものだから、アランは前のめりにバランスを崩すが倒れるまでは至らない。

 全体重をかけ、アランの服を引きちぎりかねない膂力で自分の眼前に引き込んだまま、リーファは怒鳴りつけた。

「なんであんな事を言ったんですか?!」

 驚いたように目を見開く様はほんの一瞬だった。すぐに、憮然とリーファを睨み返す。

「…あんな事とは何の事だ」
「とぼけないで下さい!魔王陛下に言った事です!
 リャナの話だって、言わなくてもいい事ばかり言って!
 剣を使おうとしてた事だって…!
 こんな所であんな事したら、普通死んでるんです!分かります?!
 殺されても仕方がない事をし───っ?!」

 全力とは言え所詮女性の力だ。まくし立てている間に、アランはリーファを突き飛ばした。

 ふかふかの絨毯の上に転がり倒れて、それでもリーファはアランを睨み返した。

「事実を言った事の何が悪い。
 あの小娘がまだ生きている保障などどこにもないのだ。
 ───私が生きている保障もな」

 何の事かと眉根を寄せたが、それは今置かれた立場だという事にすぐ気づく。

 リャナの状況が分からないのと同時に、アランの状況もヘルムートらには分かるはずもない。
 それは、ある意味死んでいるも同然、と言われれば間違いでもないのだろうが。

「そ、それはそうかもしれませんけど…。
 だからって、あんな自棄にならなくたっていいじゃないですか…!
 私には守れとか言っておいて、自分はあんな事するとか…!」
「自分の命をどう扱おうが私の勝手だ。
 だがお前は、我が国の民として王を守るのが勤めだ。当然だろう」
「───ぐっ?!」

 膝をついて腰を落としたアランの手が、リーファの細い首を掴み締め上げる。

「が…あっ…!」
「しかしお前の態度はいささか不敬だな。
 私に抱かれて、少しはでかい口が叩けるとでも勘違いしたか?
 身の程を分からせてやる必要があると見える」
「ぐ………うぅ………!」

 締め上げる力を強めるアランの口元に、笑みが零れる。窒息など生ぬるい。首をへし折るのではないかと思える程の膂力だ。

 リーファも自分の首とアランの指の間に指を差し込むが、差し込んだ指も砕かれかねない。

 満足に呼吸もできない中、意識が遠のくかと思いきや、リーファは思いの他冷静だった。
 いつかこんな事が来るんじゃないか、そう思っていたのもあったかもしれない。その為の対処法だって考えていたのだから。

 でもこんな風に使うのは、出来れば一生に一度位であってほしいものだ。

「───”は……じ…───けっ!!”」

 ───ばちんっ!!

「?!」

 怨嗟を込めた声で辛うじて放たれたソレは、空気の塊となってアランの額を打ち付けた。
 思わぬ反撃を受け、アランは弾かれたように仰向けに倒れる。

「───ごほっ!ごほっ!ごほっ!は、はあっ!はあっ───」

 いきなり喉元が解放されて、一気に入ってきた空気にリーファはむせ返る。

「ああ………ああぁ………っ!」

 息を正しながらアランを見やると、彼は痛みに顔をしかめ、額を押さえて起き上がれないでいた。

 今のは、発動単語のみで発動させる”一言魔術”と呼ばれる魔術だ。
 詠唱と発動単語を組み合わせる”詠唱魔術”と比べ、制御は難しく威力は大した事ない。しかし、油断している相手に意表を突く事ぐらいなら出来る、護身用と言える魔術だ。

 悪戯程度の威力の空気玉の魔術だったが、思ったよりも強い力で打ち付けてしまったようだ。加減は失敗したが、むしろこの位が良かったかもしれない。

「お前…!今何を…!?」
「はあっ…はあっ………、………馬鹿に…しないで…下さい…!
 これでも…魔術師、なんですから………!」

 這うように後退して、側にあった椅子にしがみついて立ち上がる。大きく深呼吸を何度かして、呼吸を正す。

「こんな…!こんな事をして、ただで済むと思ってはいまいな…!?」

 初めてかもしれない反逆だ。
 目下の者の傲慢な行いを目の当たりにして、アランの怒りが膨らんでいく。憤怒の形相は、普段なら気圧されて腰を抜かしているところだ。

 だが、怒っているのはアランだけではない。リーファもまた血が上っているのだから。

「ええ!全く思っていません!もう好きにして下さい!
 罰すると言うのならお好きに、殺したいのなら殺して下さって結構!
 でも、私を殺すならそれなりに覚悟して下さいね!?
 魔王陛下は、私が生きている間は、ラッフレナンドへの領地侵攻は控えると仰って下さったんですから!」

 テーブルに寄りかかって身を起こし、リーファににじり寄ろうとしていたアランがその動きを止めた。
 憤怒を湛えていた顔に、ほんの僅かの戸惑いが見え隠れする。

「…は、でまかせを」
「だと思います?えぇえぇ、私もついさっき、思い出したんですけどね。
 まさか魔王陛下が、一度会っただけの、私との約束を、覚えてるとは思いませんでしたし」

 煽るようにリーファは言葉を返す。まだ息荒く安定はしていないが、自分でもびっくりするほど一息で言いたい事が口から出てきた。

「信じないなら、それでもいいです。
 まあ他にも?私一応はグリムリーパーですし?ラダマス様にも可愛がって頂いている身ですから。
 グリムリーパーは怖いですよ?魂の回収はあくまで仕事。
 その気になれば、一度にたくさんの命を奪う事も出来るんですから。
 グリムリーパーによって一夜で滅んだ国の話とか、聞かせてあげましょうか?!」

 眉根をぴくぴく動かしながら睨み降ろすアランを、真っ向から睨み返す。

 恐らくアランは、自分の”目”でリーファの嘘を暴きたいのだろうが、残念ながら言っている事は全て事実だ。

(最後の話は聞いたのが父さんの口からだから、信憑性はイマイチなんだけどね!)

「…っ!」

 アランの怒りが顔によく出ているが、一方で目が戸惑いに揺れていた。
 アランの”目”にリーファがどう映っているのかは分からないが、少なくとも嘘ではない事ぐらいは伝わったか。彼は伸ばしかけた手を握り拳に変えて。

 ───だんっ!

「くそっ!!」

 派手な音を立てて、側にあったテーブルの天板に拳を叩き付けた。テーブルが一瞬ぶれて、中央に生けてあった一輪挿しが小さく震えた。

 アランが機嫌を損ねてそっぽを向いて少しして、ようやくリーファは胸を撫で下ろした。

(…言い………負かした…!)

 ある種の達成感と共に、頭の中にぶわっと不安材料が押し寄せてくる。

 リャナが無事ではなかったらどうしようとか、どれだけここにいれば結果が出るのだろうとか、アランをラッフレナンドまで生きて戻せるだろうかとか、アランとこのあと何話せばいいだろうかとか。

 問題が山積していて胃がちりちりするが、とりあえずあまり考えない事にする。
 どの道、こちらが出来る事はないのだから。