小説
小さな災厄の来訪
 ”お姫様抱っこ”で持ち上げられている事に店を出てから気が付いて、アランはやっと状況を理解した。歓楽街の出口を出た頃になって、アランは抱えられたまま全力で暴れだした。

「お、お、お、降ろせー!!こんな、こんな、醜態…!」

 釣られた魚のように身をよじるが、魔王の腕はびくともしない。

「立つ事もままならない身で何を言うかね。
 足を掴んで引きずり歩く趣味はないし、肩で体ごと抱えて吐かれても困るし、腕で支えるには身長差がありすぎる。
 旅の恥は掻き捨てというものだ。諦めて身を任せるといい。
 寝た振りとかしておけば、部屋へ戻ってリーファに会っても恥じる事もあるまいよ」
「ぐ…く、くそぉ…!!」

 アランの酔いがどんどん醒めていく。こんな屈辱的な光景をあの女に見られるなどと、考えただけでもぞっとする。

 歓楽街から抜けた魔王城は、落ち着いた雰囲気に戻っていた。魔物の数も格段に減っている。というか、見回りらしき魔物以外、魔物らしい魔物が出てこない。

 あまり聞きたくはないが、聞かずにはいられなかった。酒のせいで口が軽くなっていると思いたい。

「…魔物が通らない道を歩いているのか」
「少し時間はかかるが、酔い醒ましにはなるだろうからな」
「何故」
「酷い姿を見られたくはないのだろう?」
「………恩を売ったつもりか」
「まさか。これは私の用事でもある」

 そう告げる魔王は、何やら上機嫌に見える。

 改めて、魔王の姿を覗き込んだ。当たり前だが、こんな至近距離で魔王を見るのは初めてだ。
 赤い瞳、青白い肌、銀色の髪は星屑が零れてきたかのような、艶がある美丈夫。

(良い…良いな…。全身甲冑の意匠が良い…)

 黒の甲冑の材質は分からないが、縁はところどころ金の装飾が施されており、華美すぎず地味すぎない。羽織る黒のマントも良い生地を使っているようで、時折繊維に沿ってマントがさらさらと煌めく。生地の光沢ではなさそうだ。

「…良い、鎧だな」

 これも酒のせいか。ぽろっと出た失言に、魔王が意表を突かれたのかように目をぱちくりさせた。

「お、分かるのかね」
「…王は民の見本で、士気にかかわるのだろう」

 数時間前に魔王本人が言ってみせた言葉をそのまま返されてしまい、魔王は失笑した。くっくっく、と声を押し殺して笑う。

「そうだったな。
 しかし残念な事に、これは自分で見繕ったものではなくてね。自前には違いないのだが」
「………?」
「リーファから、私の事は何も聞いていないかね?」

 アランは黙って首を横に振る。聞くも何も、突発的すぎて会話と言ったら先ほどの喧嘩しかしていない。

(…そういえば、喧嘩をしていたのだったな…)

 あれを喧嘩と言っていいかは分からない。言い合い、の方が近いだろうか。

(元はと言えば全部あの女のせいだ)

 と、先の諸々を思い出していたら、だんだん腹が立ってきてしまう。

「何も聞いていないなら、別に良い。しかし…ふっふっふ」

 こちらを余所に、魔王が何故か笑いをかみ殺しているのが無性に気持ち悪かった。

 アランが眉根を寄せて黙り込んでいたら、魔王は機嫌よく別の話を振ってきた。

「では鎧を褒めてもらった礼に、一つ良い事を教えておこう。
 リーファの事は、是非名前で呼ぶといい」
「………?」

 魔王の言っている事の意味が分からず、アランは怪訝な顔をする。
 アランよりもずっと長生きをしているだろうから、そちらも経験も豊富かもしれないが。

「…恋愛指南は求めていないが」
「はは、そんな風に聞こえたかね?まあ好きな形で聞き流してくれて構わんよ。
 …まずグリムリーパーというものなのだがね。
 あれは力ある者が自身を切り分けて、その個体数を増やしていくものなのだ」

 またもや話が変わったような気がしたが、とりあえずグリムリーパーという種族に関わりがある話らしい。

「当代の王が何らかの理由で死ぬと、今存在しているグリムリーパーの中で王を決める。
 そうして選ばれた者は他のグリムリーパー達を吸収し、知識や経験を統合するのだそうだ。
 任意とは聞いているが…恐らく殆どの者が王に取り込まれるのだろう」

 覚える気はさらさらなかったが、魔王の声はアランの耳にするりと入ってきた。アランにはない、落ち着きと深みのある声音だ。

「独りとなった新たな王がまず何をするかというと、自身の分身を作るのだそうだ。
 ”分霊”などとも言うそうだが、その表現が正しいのかどうか…。
 とにかく、王より分かたれた者は”子”として名を与えられ、人格を獲得する。
 王の知識や経験を持った子は、各地に散ってグリムリーパーの務めを始める訳だ」

 短い時間で見たグリムリーパー達の姿を思い出す。
 ラダマス、入り口にいた男、給仕に来た者達。そして───

「…それで、あの髪と目の色の…」
「ああ。
 子の容姿は、ラダマスの赤い髪と真紅の瞳に良く似る。多少色味に違いはあるようだがね。
 リーファはハーフだが、人間の肉体の方がラダマスの見た目に近いようだ」

 リーファの話を出されその容姿を思い出そうとするが、酒気と眠気が相まって上手く思い出せない。

(まあ、思い出さなくてもいいか…)

 思い出すと、先の言い合いまで思い出して、また腹を立ててしまいそうだ。

「そういう生まれ故かは分からないが…。
 グリムリーパー王の子らは、自身の名を呼ぶ者に対して従順なのだそうだ。
 子にとって産みの親である王との違いは名前しかないものだから、名前を呼ばれる事で自身の人格を安定させているのだろう。
 ───なかなかどうして、繊細な者達だよ」

 魔王の話は、ようやく最初の提案と繋がったようだ。
 腕の中でうとうとしながら、アランはぼんやりと内容を整理した。

(要は、名前で呼んでやれば、グリムリーパーの特性上言う事を聞きやすいと)

 珍妙だが、納得出来ない話でもない。
 リーファを見ていても、真に受けやすいというか、鵜呑みにしやすいと感じる所はあった。
 アランが言う事は話半分に聞いているような素振りを見せるが、ヘルムートの話は割と疑念を抱いていないようだった。

(名前を呼んでやれば、少しばかりは言う事を聞くようになるか…?)

 一考する余地はあるだろうか、と思ったが、

(…なんでそんな手間をかけてやらねばならんのだ)

 と、やはり先の言い合いを思い出し、気持ちが一気に萎えてしまった。

(あの女が原因で、私は剣を向けられ、遥か遠方の地へ飛ばされ、魔王に屈する事になった。
 私に楯突き、脅し、暴力まで働いた。
 心が広い私であっても、到底許せるものではない。
 城へ帰ったら、罰を与えなければ───)

 悶々とリーファへの憎悪が膨らんで行っていると、魔王の歩みが緩やかになり、とある扉の前で止まる。

(───どこだ、ここは)

 宛がわれた部屋ではない。扉の装飾が違うし、何より両開きの扉だ。

 アランの体はゆっくりと降ろされた。心地良い腕の中から解放され、眠気が徐々に抜けていく。

 どこか楽しそうな表情で魔王がその扉のノブに手をかけたが、ふと、こちらを向いて訊ねてきた。

「ところで、アラン、と名を呼んでも?」
「…好きにしてくれ」
「ならば、お言葉に甘えるとしよう。
 …それではアラン。そなたのお眼鏡に適うものがあるかは分からないが、まあ見ていってくれ」

 扉が開かれたその先にあった光景に、アランは思わず息を呑んだ。

 棚から壁から、性格を感じさせる理路整然と並んだ様々な武器と防具が置かれている。
 手入れが行き届いており、錆も刃こぼれも傷もついていない。というか、その多くが補修されている。
 武器や防具など使えれば良い位にしか考えていないアランでも、ここにある一品一品が一級品であるぐらいの事は分かる。
 武器庫の類であれば、ここまで見栄えを重視する事もないはずだ。

(これはまさに、コレクション───)

 どこか色気すら放つ美術品の数々に、アランは呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。