小説
小さな災厄の来訪
 窓から差す緩やかな日の光に眩しさを覚え、コーヒーの香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。

「ふにゃっ?!」

 ふわっふわのベッドに埋もれかけ、リーファは慌てて目を覚ました。もそりと、体を起こす。

 魔王城で宛がわれた部屋だ。紫を基調とした絨毯は品があり、今いるベッドも天蓋つきで美しい。居心地が良すぎていつまでも眠ってしまいたくなる。

(いや、ラッフレナンド城の調度品も負けてないし)

 心中でつい反論をしてしまう。それは自分のものではないから自慢する意味はないのだけど、どこかで張り合う要素を用意しておかないと色んなものがへし折れそうな気がした。

 それはそれとして。寝ぼけ眼をこすり、一度状況を整理する。

 ◇◇◇

 アランと一緒に橋渡しの腕輪の力でラダマスの城に強制的に飛ばされて、とりあえずラダマスに謁見して定期報告を済ませた。

 帰る途中、魔王の力で魔王城へ連れてこられてしまい、ひと悶着あったが、ラッフレナンド城にいるであろう魔王の義娘リャナの安否を確認する為、一晩泊まる事になった。

 で、自棄になったアランと喧嘩…というか言い合い?とにかく、怒って怒られてをして。

 その後、乱入してきたピンク猫の女獣人ダクマーに、魔王城の技術棟へ連れて行かれたのだ。

 技術棟では、剣の精製から魔術の研究まで色んな魔物が働いていた。
 グリムリーパーとして連れてこられ真っ先にやらされたのは、武具防具の呪い外し。

 人が作ったものにしろ魔物が作ったものにしろ、想いを籠めて作られたものには意図せずに何らかの力が付与されている事がある。
 剣なら、切れ味が良くなる、振る速度が上がる、風の魔力が付与される、などのメリットがあるのだが。
 中には、切れ味が悪くなる、重さが増す、何故か自分も傷を負う、などのデメリットしか付与されていないものも結構あるのだとか。
 それを選別して、いらない部分を呪いとして解呪するのが仕事だ。

 解呪されると、武器防具として若干の”空き”が生まれるので、最終的にそこにメリットになりそうな力を付与して仕上げるらしい。そこまではグリムリーパーの仕事ではないのだが。

 という訳で、回ってくる武器や防具を片っ端から選別して、解呪できそうなものを解呪する。そういう作業を、何とかというグリムリーパーに代わって何時間も続けていたのである。

 勿論、ただ働きではない。ちゃんと正規のアルバイトとして、まとまったお金を貰う事ができた。
 ここの所、労働らしい労働をしていなかったリーファにとって、大分きつい仕事ではあったが充実した気持ちになった。

 ところが。
 意気揚々と戻ってきてみれば、ふくれっ面しているであろうアランの姿は見つからず。
 慌てて魔王に訊ねたら、リャナの無事の報告と同時に『心配いらないから部屋へ戻ってゆっくりしていなさい』と諭されてしまった。

 部屋に戻り、せめて起きていようと食事と入浴を済ませ、リビングルームでアランの帰りを待っていた───はずだった。

 ◇◇◇

(何でベッドで寝てるんだっけ…?)

 首を傾げる。眠くなって無意識にベッドに潜るなんて器用な事できただろうか?と。

 隣のベッドを覗いてみたが、アランの姿はなかった。しかしベッドを使ったような乱れは確認できたので、ちゃんと帰ってきたようだ。ひとまず胸を撫でおろす。

 ベッドから立ち上がり着ているものをみると、リビングルームにいた時と同じ白のパジャマ姿だった。クローゼットに入っていた備え付けのものだ。

 昨日着ていた下着を含めた服一式は、バスルームに設えてあるクリーニングボックスに入れてある。そうする事で、翌朝には洗濯された状態で戻ってくるらしい。
 その為、今は下着もつけておらずスースーするのだが、最近の生活のおかげですっかりそれにも慣れてしまった。

 スリッパをはき、リビングルームへと足を運ぶ。目覚めた時から鼻を刺激する良い匂いがこちらからしているのだ。

 アランは、こちらに背を向けて椅子に座っていた。身支度は整えてあるようで、昨日と同じ黒を基調とした貴族風の服だ。

 その先のテーブルには朝食が並んでいた。ロールパン、ジャム各種、ベーコンエッグ、サラダの盛り合わせ。スープは色を見るにコーンポタージュだろうか。飲み物はコーヒーだ。

 アランは先に食事を終えたようで、コーヒーに口をつけていた。
 背中が、『話しかけるな』と訴えているように見えたが、そうもいかない。恐る恐るリーファは声をかけた。

「お、おはようございます…」

 背後に立たれて気付かなかった訳ではないのだろうが、アランは声に反応した。不機嫌に首だけこちらを向けて、ぼそりと告げる。

「…座れ」
「あ、はい」

(やっぱり、怒ってるよね…)

 肩を落とし、リーファはアランの横に座った。
 ───アランが座っている椅子の側の、絨毯の上に、正座で。

 その行動に怪訝な顔をしたアランが、感情のこもらない声音でぼやく。

「…何をしている」
「いやあの、陛下が座れとおっしゃったので」
「そこの、椅子に、座って、飯を、食え」
「は、はい…」

 お叱りの言葉が飛ぶと思い込んでいたリーファは、何だか恥ずかしい気持ちになりながら体を起こし───自分の格好を見て思い出す。まだパジャマのままだ。

「さ、先に身支度を整えてきてもいいですか?寝間着ではさすがに」
「座れ」
「はい…」

 抑揚のない口調で命じられ、リーファは諦めて奥の椅子に座った。
 テーブルナプキンを膝に置いて手を合わせる。

「いただきます」

 テーブルに置かれてからやや時間の経っているスープは、少し冷めているが十分美味しい。

 おしぼりで手を拭き、ロールパンを小さくちぎってイチゴジャムをつけて頬張っていると、おもむろにアランが口を開いた。

「食事後、身支度を整え次第、魔王と会う事となっている。
 予定は開けておくので急ぐ必要はないそうだ。まああの様子だと、朝は遅いだろうからな。
 謁見の間へ直接来るようにと言われている。道順は聞いている。
 ───以上だ」

 シンプルに要点だけ告げられ、リーファが言葉に詰まる。

(誰に聞いたんだろう………給仕に来た魔物とか…?)

 しかし魔王の『朝は遅い』理由は、聞いたというよりは知っている素振りだ。

 この一晩で一体何があったのか。尽きない疑問を投げかけようと口を開く。

「あ、ああ、あの」
「以上だ」

 それ以上何も話す事はないらしい。アランは瞼を落とし、ブラックコーヒーに舌鼓を打つと黙してしまった。
 こうなるともう何を問うても答えは返ってこないだろう。

 何があったかは分からないが、見たところ怪我をした訳でもないようだし、大事には至らなかったのだろう、と思いたい。

「分かりました…」

 険悪な雰囲気に喉が通るか不安がよぎったが、いずれも美味しく頂けて、あっという間に完食してしまった。