小説
小さな災厄の来訪
 身支度を済ませて部屋を出てからも、リーファの混乱は増していった。

 アランの先導で魔王城の廊下を歩いて行くと、その道中で出会った魔物と挨拶を交わすわ、他愛ない雑談に足を止めるわ、というのが何度も続いた。
 会話の内容を盗み聞いた限り、どうやらアランは彼らと飲み食いを満喫したらしい。

(信じられない………でも、そうじゃないとこの状況は説明がつかないのよね…。
 腰の剣も、昨日は持ってなかったような気がするし…)

 腰にぶら下げている見慣れない剣───白い鞘に金の飾り物がついた長剣───を見やり、リーファは眉間のしわを深くする。

 迷う様子もなく謁見の間の前までたどり着き、アランは衛兵に声をかけた。

「アラン=ラッフレナンドだ。魔王に呼ばれ来た」
「お待ちください」

 大柄な紫色の肌を持つ悪魔は恭しく頭を下げ、謁見の間への大扉を開けてくれる。ふたりはそのまま入っていった。

 玉座には、昨日同様魔王が座っていた。
 ───が、部屋にいたのは彼だけではなかった。

(ああ、朝は遅いってそういう…)

 妙に納得がいって、玉座の周囲を見やる。
 四人の女の魔物達が玉座に寄り添って出迎えてくれる。ピンクの髪のサキュバス、緑色の肌のラミア、金の毛のワーキャット、白く透けたゴーストと種族はバラバラだ。

 玉座の魔王が少し困ったような顔をしていると、アランは、ふ、と薄く笑って声をかけた。

「おはよう。…お邪魔だったかな、魔王よ」
「お、おはようございます」
「やあアラン、リーファ。おはよう。
 丁度こちらの用意も整ったところだから気にしないでほしい。
 ───さあそなた達、これから大事な話があるから下がりなさい」

 四人の魔物たちから不満の声が上がる。

「ええ〜、そんなあ」
「魔王さまぁ」
「もう少し、もう少しお側にいさせてください〜」
「なんでも、なんでも、しますからぁ…!
 さ、昨晩のようにお命じ下されば、わたし…!」

 顔を紅潮させながら目を潤ませているゴーストを魔王は抱き上げ、膝の上へと乗せる。
 息がかかるかという程顔を近づけて、ゴーストの唇をなぞり、耳元で囁いた。

「『なんでも』、などと軽々しく言ってはいけない。
 男はその言葉に勘違いをして、女を粗雑に扱ってしまうものなのだから。
 結果的に、女が自分自身を軽く見てしまう…それでは駄目だ」
「は、はわわわ…」

 聞いているのか聞いていないのか、ゴーストの全身が真っ赤になって取り乱している。

「私はな、そなた達はもっと魅力的であるべきだと思っている。
 昨晩のそなた達は、この魔王の心をも揺さぶる美しさだったが…ここは終着点ではないとも感じた。
 研鑽を積み、己の魅力を高めておいで。外見だけに留まらず、内なる部分も磨くのだよ。
 ───努力する女性を、私は愛している」

 ゴースト同様、サキュバスもラミアもワーキャットも似たように顔を赤くする。

「「「「は、はいぃ…」」」」
「いい子達だ」

 四人の同意が得られた事で魔王はゴーストを膝から降ろし、それぞれの額にキスを落とす。惚けながら女達は謁見の間を出ていく。

 リーファは、扉の先へ消えていく彼女らをまじまじ眺めてしまった。あれが魔王の魅力、というものなのだろうか。

(…何か、すごいものを見せつけられた気分…)

 アランがごほんと一つ咳払いしてようやく我に返り、魔王の方へと向き直った。

「昨晩は世話になった」
「お、お世話になりました」

 今しがたの艶やかな雰囲気から一転して、魔王は人当たりの良い微笑を投げかける。魔王故にこういう事は慣れたものなのだろうか。スイッチの切り替えが早い。

「私も久々の珍客に良い刺激を受けたよ。ありがとう。
 …そうそう。リーファ、技術棟で手伝わせてすまなかったな」
「いえ、とんでもない。ああいう解呪の仕方は初めてで…お役に立てたかどうか…」
「謙遜は不要だ。技術部長のギイが喜んでいたよ。
『こんな丁寧な仕事をするグリムリーパーは初めてだ』と」
「そうでしたか。そう言って頂ければ嬉しいです」

 愛想笑いで応えて見せて、内心ガッツポーズをする。初めての仕事を言われるままやっただけなのだが、褒められるのは悪い気がしない。

 ヘラヘラしているリーファをつまらなそうに見下ろしていたアランが、魔王に向き直った。

「───そろそろ話をしてほしいのだが」
「おっと、そうだったな。
 リーファには少し話をしたのだが、昨日ラッフレナンド城でリャナの無事を確認した。
 何やら忙しそうにしていて、『楽しんでるから明日ね』と言われてしまってな。
 今日、城の側の離れ小島で落ち合う事になっている。陵墓となっている場所があるとか」

 ラッフレナンド城は、ラルジュ湖の一角に建っている天然の要塞だ。湖の周囲には離れ小島が点在しており、その内の幾つかは城からの船で行き来が可能になっている。陵墓のある島は、その中の一つだ。

「…本来神聖な場所故、魔物の出入りは望ましくないが…それ以外だと城外へ出るしかない。仕方がないのか」
「そういう事だ。時間は任せてあるが───さて、いるかな?」

 魔王はくるりと背中を向け、手を目の前にかざす。
 呼応するように、玉座の後ろにある巨大な水晶のような物体がぼんやり光を放つ。それの中に人型のような影が見えるが、ここからはよく見えない。

 指先に現れた水の塊が大きくなり、身の丈ほどに広がる。水鏡の表面に映像が浮かぶ。

 映ったのは、上空から見たラルジュ湖だった。リーファも時々見た事がある。
 湖の中にある一際大きい構造物がラッフレナンド城で、その周囲に島がちらばっている。

 件の小島を探しているのか、画面がころころ切り替わる。女性がいる白い建物のある島、祠だけがある島、そして。
 ずらりと墓の並んだ風景が映る。中央にはしっかりした石造りの建物があり、そちらも墓のようだ。

 映像がぐるっと回れ右して陵墓に背を向けると、背景に湖と城が望める草原が映った。舗装された石畳の上を、二人の男性と一人の女性が歩いているようだ。
 男性はヘルムート、女性はシェリーだが、何故かもう一人の男性の姿はアランに見える。

「え、なんで陛下…?」

 こちらにいるアランの眉間にしわが寄り、リーファは首を傾げる。
 魔王は呆れたように溜息を零した。

「さて、リャナが何かやらかしたか。まあいい。
 ───ふたりとも、準備は良いかね?」
「…ああ」
「よろしくお願いします」

 同意を受け取って、魔王は頷いて水鏡をかき消した。

 ふわっと、三人の周りを風が舞う。強くはないが流れのある風に体がふわりと浮いた。そして。
 ほんの少しの間だけ、意識が飛ぶ。