小説
小さな災厄の来訪
 ばちん!───
 何かが弾けたような音に、リーファは目を見開いた。

 光景が一変している。
 石畳の広がる草原だ。正面遥か先には馴染みのあるラッフレナンド城の裏側が、振り返れば陵墓の入り口が見えた。
 草原と風の爽やかな匂いが、鼻を通り抜けた。空を見上げれば、青空が広がっている。

「パパだー!!!」

 声変わりが済んだ成人男子の声が聞こえたと思ったら、大柄なソレは側にいた魔王に飛びついた。
 魔王は、自身の胸の中で嬉しそうに顔をこすりつけているソレの頭を撫でてみせるが、その口元は引きつっている。

「パパ元気にしてた?あたしいなくて寂しくなかった?」
「寂しかったに決まっているではないか。心配したのだぞ」
「えへ。ごめんなさい。
 …ところで今なんか爆ぜた音したけど何?」
「うむ。魔力の力場に触れてしまったかもしれん。自然のものなら勝手に修復するだろうが…」
「へー。そんなのもあるのね」
「ところでリャナ」
「なあに?」
「アランが困惑しているので、その姿で抱き着くのはやめなさい」

 魔王の胸に飛び込んだソレは、見た目も声色もアランだった。
 しかし魔王の言とソレの言動から、間違いなくリャナが化けた姿だと理解出来た。

 絵面的に大変酷い有様で、視界の先にいるヘルムートは顔を青くし、シェリーは口元を押さえて何かを堪えている。
 当の本人であるアランは、リーファの数歩先にいるのでどんな顔をしているか分からないが、さすがに見たいとは思わなかった。

「えへ、ゴメン、忘れてたぁ」

 分かっていた事だが、舌を出しておどけてみせる辺りどうもわざとやっているようだ。
 親指にはめていた指輪のチャームから何かを取り出して捨てている。繊維のようなものが風に乗って消えた途端、成人男子の姿が年端もいかないサキュバスの少女の姿に戻る。

 リャナを抱き上げ、魔王はアランに声をかけた。

「アラン、リーファ。今回はリャナが世話をかけたようだ。この埋め合わせはいつか必ず」

 アランは静かに首を横に振った。

「気遣いは不要だ、魔王。
 むしろ昨日のもてなしで、充分すぎるほど埋め合わせをして頂いたと思っている。
 …そもそも我々は対立しあう者同士。
 これを機に二度と顔を合わせない事が、お互いにとって一番良い事なのでは?」
「ふふ。違いない」

 どこか満足げに魔王が手を差し出す。アランも、ふん、と笑って魔王と握手を交わした。

 リーファは、腕につけていた橋渡しの腕輪を外した。

「リャナ。橋渡しの腕輪、お返ししますね」

 リャナは魔王の腕の中のまま、それを受け取って自分の腕にはめる。

「もうあんな無茶な事しないで下さいね」
「もっちろん。
 リーファさん、またね。今度はちゃんとアポとって来るから」
「ええ、リャナもお元気で」

 ぱちんっ

 ハイタッチしてふたりでうふふと笑い、アランとリーファは魔王とリャナから離れた。

「それではな。そなた達の未来に幸多からん事を祈る」
「ばいばーい」

 リャナが大きく手を振って、魔王も略式の敬礼をしてみせて。
 体がふっと舞った途端、ふたりの姿が風に消えた。あとには何も残っていない。

(…ん?アポ取って来る?)

 ふたりがいた場所を感慨深く眺めて、最後のリャナの言葉を思い起こす。どういう意味なのだろうか。
 今すぐには答えが出そうにない疑問に頭を傾げていると、ヘルムートとシェリーがアランに駆け寄った。

「アラン、怪我は…なさそうだね?何もなかった?その剣は?」
「色々あってな…そんな事よりヘルムート、晩餐会は今夜だったな。予定はどうなっている?」

 アランをぐるっと見回して心配そうにしていたヘルムートが、ぽかんとした。

「何言ってるんだ。晩餐会なら昨日やったよ」
「何…?晩餐会は今日だろう」

 アランの疑問に、シェリーが「やはり」と呟いてフォローしてくれる。

「あのリャナという娘の話だと、移動系の術や道具は時間の感覚に誤差が生じる事があるそうです。
 当人は一瞬で着いたと思っていても、実は丸一日かかっていた、という事はよくあるとか。
 事実、陛下とリーファ様が城から出て、丸二日経過しています」
「…そうだったか」
「晩餐会は、まあ何とか済ませたよ。あのリャナって子が、さっきみたいにアランに成りすましてね。
 監視はしていたし、下手な事はさせてないから安心して。
 具体的な見合いはあの場では決められなかったから、後日で取り付けてある」

 知らないうちに話が進んでいる状況が面白くないのか、アランが眉間に寄せたしわを揉み解している。

「…考えがまとまらん。城へ戻って打ち合わせをしたい」
「だよね。分かってるよ。
 あ、そうそう。城内での販売許可証発行したから後で印頂戴ね」
「…何だか知らんが分かった。───それと」

 後ろにいたリーファを親指で示し、アランは淡々と命じた。

「あの女を城からつまみ出せ」