小説
小さな災厄の来訪
(当然と言えば当然か…。
 身の危険があったとは言っても、側仕えごときが一国の王様をたしなめるなんて…。
 普通なら首を刎ねて打ち捨ててもおかしくないのに、そうしなかったのは陛下の温情なのかな…)

 ラッフレナンド城城壁門前で、リーファは久しぶりに着た私服のワンピースを不思議な思いで撫でる。城で支給されていた服は彩りも肌触りも良いので、色褪せ毛羽立った私服は何だか着心地が悪い。

 みすぼらしい格好で荷物を一式抱えた見慣れた女がいるものだから、城での顔見知り何人かの視線を感じる事があるが、皆仕事があるから声をかける者はいない。

 周りの人たちの邪魔になってはいけない。
 城壁門の方へと靴の爪先を向けようとした時、後ろから声をかける者が現れた。

「リーファ」

 声を聞けば分かる。ヘルムートだった。振り返って彼を見やると、少し急いできたのか息切れをしている。
 後ろを一人、良く知っている小柄な兵士が追ってきた。ヘルムートは彼に指示を出して、馬小屋に向かわせている。

「馬車を出すから乗って。送るよ」
「歩いて帰れますよ。そんなに遠いわけじゃないですし。
 それにほら…陛下を怒らせてつまみ出された女を、国の馬車で送るのは…ちょっと」

 後ろめたい思いでぼやくリーファを見下ろして、ヘルムートが、は、と笑う。仕草は穏やかだが、その笑い方はアランとそっくりだ。

「アランはああ言ったけど、執務に集中する為に暇を出した扱いになってるからね。
 すぐに戻れるよ、きっと」
「そうでしょうか…。
 でも、期待してがっかりするのも嫌なので、期待しない事にしておきます」
「後ろ向きだなあ」
「それだけの事をしてしまったなって自覚はありますし…」
「そこのところは帰りがてら聞かせてもらうさ。
 アランにも聞くつもりだけど、多分言いたくない事は言わないだろうから」

(なるほど、それが馬車を出す理由…)

 納得していると、馬車がガラガラと音を立てて近づいてきた。
 黒い馬二頭が引く箱型馬車である。御者台に御者が一人。兵士は馬車に追従して歩くようだ。

「陛下については離れていた時間があるので、そうお話しできる事はないかと思いますが…分かりました」

 馬車にふたりで乗り込む。馬の嘶きと共に動き出した馬車に揺られる。

 城壁門を抜け、城下へ抜ける唯一の橋を渡り終えて、リーファはぽつりぽつりと話し出した。

 ◇◇◇

 一通りの説明を終えた頃には、リーファの実家はすぐそこまで迫っていた。

「まあ、大体の事は分かったよ」

 熱心にメモを取っていたヘルムートは、メモ帳をペンごと閉じる。

 何も言ってこないヘルムートを怪訝に眺めて、リーファは訊ねた。

「…責めないんですね?」
「何が?」
「その…陛下を怒らせてしまった事とか、守れなかった事とか…」

 もじもじと身を揺らすリーファに、ヘルムートは肩を竦めるだけだ。

「リーファの言う事なんて聞く子じゃないから仕方がないさ。
 むしろリーファの行いは、最善じゃないかなとさえ思ってる。
 …そうだな。あえて言うなら、技術棟で武具製造の手伝いをしたって話が気になったかな」
「…!」

 思いがけない所を突かれて、リーファの体が強張った。背中に嫌な汗がじわっと広がった気がする。

「敵の武具が使いやすくなったって事は、領地を取り合ってる僕たちからすれば敵の火力が上がったも同然だ。利敵行為と思われても仕方がない」
「そう…ですね。つい手伝ってしまったんですけど、それってマズいですよね…」
「でもその場にはアランもいた事だし、下手に反抗して刺激するのは得策じゃなかったと思うからなあ。
 そこはそれ、聞かなかった事にしておくさ」

 馬車の動きが止まり、外の兵士が戸を叩いてくる。ヘルムートがエスコートして、リーファを馬車から降ろしてくれる。

「そうそう。これを渡しておくよ」

 ヘルムートは、じゃらりと音の鳴る手のひら大の麻袋を渡してきた。

 手に持てば結構ずしりと重い。恐る恐る麻袋を開いたら、金貨と銀貨、そしてプラチナ硬貨がごっそり入っていた。
 ざっと見た限り、向こう五年は飲み食いに困らずに暮らせるお金だ。

 血の気が引いてきているのが分かる。恐ろしい大金に手が震えてきた。

「当面の生活費だよ。好きなだけ使って」
「こ、こ、こ、こんなに使えませんよ?!」
「うん、わかってる。だから、城へ戻る事になったら余った分は戻してくれればいいんだ」
「ほへ?」

 リーファは首を傾げ、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 ヘルムートの笑顔が消えるが、怒っている訳ではない。真剣な眼差しで、声音をやや低くして続けた。

「正妃が決まっていないこの状態で側女までいなくなるのは、僕は良しとは思ってないんだ。
 アランの性格上、このまま順調に正妃が決まるという事もない。
 僕が出来るだけ早くリーファが戻れるようにしてみせるから、それまで待っていて欲しいんだ」

 つまりヘルムートは、このお金を使い切る前にリーファを城へ戻せると考えているようだ。

「…ヘルムート様は、私が戻れる自信があるんですね?」
「うん、あるよ」

 何ともあっけらかんとした返答だ。
 あんなに怒らせたのに、怒らせた事を伝えたのに、ヘルムートはリーファを戻せる自信があるという。
 リーファには俄に信じがたいが。

(兄弟、だからなのかな…)

 アランとヘルムート。血のつながりは勿論、一緒にいた時間が誰よりも長いから言える事なのだろう。
 一人っ子のリーファにはよく分からない感覚だ。家族を持てば分かるものなのだろうか。

「分かりました。待ってみます。
 …ああでも、日がな一日何もしないで籠るのは性に合わないので、働きに出てるかもしれませんけど」
「構わないさ。気長に待っていて。───それじゃあね」
「はい、ありがとうございました」

 リーファはスカートをつまんで恭しく頭を下げる。ヘルムートは軽く会釈して、馬車に乗り込む。

 箱型馬車と一礼して去っていく兵士を見送って、リーファは大きく溜息をついた。