小説
小さな災厄の来訪
 つい一週間ほど前、色々あって近所の人に協力してもらい一通り掃除をしたおかげで、家の中はそこまで汚くはない。
 とはいえ、最初の三日間は、炊事、洗濯、掃除、買い出し、衣替えで時間の多くが潰れてしまっていた。

 だが四日目からは衣替えも終え、買う物も減り、掃除で手を抜くポイントを理解。
『人の目を気にしなくても良いのは、一人暮らしの良い所だったなー』と思い出しながら、自由を持て余す事も増えてきた。

 六日目になってそろそろ働かねばと思い、リーファは診療所の戸口を叩いた。

 ◇◇◇

「うん、いいよ。じゃあ明日からお願いね」

『何でも良いので日雇いで雑務のお手伝いをさせてほしい』───そうお願いしたところ、診療所の女性看護師ジャネットから、なんともあっさり返事を貰えてしまった。

「ねえそこ、普通わたしに相談するのが筋なんじゃないかなー」
「いいじゃない、どっちみちOK出すつもりでしょ?ホラ、さっさと診察する」
「えー…。おみやげのクッキー取っておいてくれよ」

 医師でありジャネットの夫でもあるニコラスは、不満そうに診察を再開する。雑談は薬剤室兼休憩室でしているので、隣の診察室からは丸聞こえだ。

 今日の診療所は比較的空いていて、リーファが来た時間には三人しか待合室にいなかった。急患もいない為、診療所内の雰囲気はなんとも緩い。

 持参したクッキーをひとつまみしながら、出されたお茶で一息ついた。

「あ、ありがとうございます。とても助かります、けど…。
 来月から二人看護師を入れるって言ってましたよね?私を入れる余裕があるかなって」
「それがねえ」

 ジャネットが、はあ、と大きく溜息を吐き、診察室でニコラスも、ふう、と悩まし気に溜息を漏らした。

「少し前に急にマイサが辞めちゃってさ」
「はあ…?」
「『わたくし武者修行の旅に出ますわ!』とか言って」
「ええー…?」

 困惑して、つい癖でロッカーのシフト表を確認してしまう。表にマイサの欄はあるが、ある日を境に全部バツがついている。

「お城でパーティーがあったのは知ってる?」
「晩餐会の話ですか?陛下のお見合いを兼ねてたという。
 その日私お城にいなかったので、あったという事しか…」
「そうだったんだ。
 …その日パーティーに、あの子が乱入したらしくって。
 普通の日だと警備が厳しくて入れないけど、パーティーの日に着飾れば行けると思ったのかなあ。
 どうやって入ったか知らないけど、実際入れちゃったみたいだしね」

 リーファは、側女の代役としてマイサ達を城へ招いた日の事を思い出す。

(…そういえばマイサ、あの夜の事は覚えてなかったのよね…)

 後から聞いた話だが、夜、アランはマイサに一服盛り、散々怖がらせて城から出してしまったらしい。
 そして盛った薬の副作用で、その恐怖体験は全て忘れているらしい。
 つまりマイサからすれば、”城にいたはずなのに気が付いたら家に戻っていた”という、何とも奇妙な状況で翌朝を迎えたはずだ。

 あの夜何が起こったのか知りたくて、あるいは側女にしてもらいたくて、マイサはパーティーに乱入したかもしれない。

 ふと、リーファは思いつく。診療所には、持っていれば城へ入れる通行許可証がある。

「…あの、もしかして。ここの通行許可証を…?」
「あ、ううん。
 その日たまたまニコラスが仕事で城に行ってて、許可証はニコラス持ちだったから安心して」
「そ、そうなんですね。まあそれはそれでお城としては大問題でしょうけど…」
「あーそっか。侵入を見過ごした衛兵の責任になっちゃうのか」

 考えもしなかったらしく、ジャネットは「ははは」と笑っている。
 さらっと言っているが、城側からすれば結構な大問題である。

 ラッフレナンド城の内部は、外敵を迎え撃つ造りにはなっていない。
 城壁門の先に本城が建っているので、城壁門が破られてしまうと一気に玉座まで攻め込まれてしまうのだ。

 建築士達が何を考えて築城したのかはさておき、こういう造りになっている為、城全体を守る城壁門と、湖の手前にある城下門の警備は厳重になっている。
 多くの民間人は、まず城下にある窓口で必要な手順を踏んで許可証を発行してもらい、それを城下門と城壁門の衛兵にそれぞれ見せないと入城はできないのだ。

(大事にはなってないみたいだけど、この間はリャナの侵入も許しちゃったし…。
 大丈夫なのかな…?)

「まあ城には入れたけど、怪しそうにしてるところを兵士にとっ捕まったらしくてね。
 ニコラスや上の人達の計らいで帰してもらえる事になったんだけど、その時王様に言われたらしいのよ」

 そこで話を切って、ジャネットが手を差し出したので、ついリーファはその手を取ってしまった。

 ぐいっと引き寄せられ席を立った勢いで抱き寄せられ、貴族の紳士のような立ち振る舞いをするジャネットと目がかち合う。

「『どうか許してほしい、お嬢さん。王という身分はとても危険なものなのだ。
 陰謀、謀略、反逆…身内すら信用ならない時すらある。
 そんな渦中に君のような素敵な女性を置いて、もし君が酷い目にあったらと思うと胸が張り裂けそうだ。
 …力のない私を許しておくれ。そして君はどうか、別の人と幸せなってほしい』」

 ぼっ、と火が付いたようにリーファの顔が真っ赤になった。
 解放されて紅潮した顔に手を当てて、何故かキュンキュンしている自分に動揺する。

「あ、やばい。それはきます。キュンときます」
「でしょー?ってゆーかさ、リーファも王様からこのくらいの事はされてるんでしょー?にっひっひ」

 アランのしかめっ面が脳裏によぎった途端、頬に広がった熱気が冷めていった。
 そもそも、今回の口説き文句を発したのはアランの姿を模したリャナなので、残念ながら無関係だ。
 しかしいつぞやの見合いでは、本意ではないとは言ってもそれらしく見合い相手を口説いてはいたから、出来ない事はないのかもしれない。やらないだけで。

 両手で顔を覆って、何だかやるせない気持ちになってしまった。

「………………………。
 なんでやらないのかなぁ…?」
「どしたの?」

 考えていた事がぽろっと口から出てしまった。我に返り、リーファは慌てて誤魔化した。

「あ、いえ、何でもないです。
 …それで、マイサはどうしたんです?」
「ん?うん。なんかそれで感極まっちゃったらしくてさー。
『常に危険にさらされている陛下をお守りできるよう強くならねば』ってなって。
 丁度町に来てた有名?らしい武芸者に頼み込んで、武者修行の旅に同行させてもらう事になったんだってさ」

 さらっと事情を聞いて、リーファ困惑した。

 マイサは戦いの心得がある女性ではない。
 ニコラスのセクハラを華麗にスルーしたり、しつこくつきまとう男性に足払いをかけて転ばせたりと、全く武勇伝がない訳でもないが、腕も足も細いどこにでもいるような女性だ。
 そんな彼女が武者修行の旅を思いつくという所から、既に想像の範疇を超えていた。

「そうやって繋がるんですか………。
 いやいやいや、その繋がりはおかしいのでは…」
「リーファ」
「はい?」

 両手をがっしり掴まれて、ジャネットに真正面から見つめられる。エメラルドの光彩の瞳に見入ってしまって目が離せない。

「───恋は、病よ」

 息がかかるほどの至近距離で告げられた言葉に、リーファの頭は金槌で殴られたかのような衝撃を受けた。

 病。心や体に不調や不具合が生じた状態の事。
 誰もがかかり、誰もが苦しみ、誰もが越えなければならず、越えた先に何かを得て、そして何度でもかかってしまうもの。
 そう、これは真理だ。

 世界の真実のような何かに触れた気がして、リーファは真顔で頷いた。

「…繋がりますね」
「繋がっちゃうのよお」

 にへら、とジャネットも同意してくれる。

 頬を染め、「うふふふふ」とふたりして微笑みあう光景を、処方箋を持ってきたニコラスとそれを受け取ったソフィが眺めていた。

「…ねえソフィ。君には繋がったように思えたかい?」
「恋が病かは計りかねます。
 しかしオカルト路線ならアリではないかと」
「ああ。君だとそっち行っちゃうんだねぇ」

 ソフィの視界の外からニコラスのもう一方の手が伸びてきたが、ソフィは肩を撫でようとしたそれをペチリと叩き落とした。