小説
小さな災厄の来訪
 その日の深夜。
 リーファは人間の体を家へ残し、グリムリーパーとして城に姿を現した。

 上空から見下ろした城は、建物の要所要所に松明がともされ、時折巡回の兵士が灯りに照らされる。心なしか、城壁の哨戒路を歩く兵士の数が、いつもより多いような気がした。

 新月とはいかないが天上の月は限りなく細い弧を描いており、目を凝らさないとこちらは視認されないだろう。しかし念には念を押して、できるだけ非実体化したまま最上階の王の寝室へと飛んでいく。

(…いない)

 窓をすり抜け部屋へと入るが、そこには誰もおらず照明も灯されていない。
 普段からあまり使っていなさそうだなとは思っていたが、やはりベッドを使った形跡がないので、今日はここで休んでいないのか、と思い別の場所へと移動する。宛てはまだある。

 見張りのいない場所から壁を抜け、階段を降り、リーファが使っていた3階の側女の部屋へと向かう。

(階段の衛兵さんも、巡回兵さんもいない…。
 たまたま交代の時間なのかな…?)

 物静かな廊下を不思議に眺め、リーファは側女の部屋の壁に頭を突っ込み中を確認した。

 ここにはいないだろうと思っていた。伽をする女のいない部屋で寝る理由はないのだから。心当たりが2階の執務室と、王子時代の私室だったから、ついでのついでだ。
 だったのだが。

(…こんなところに)

 アランがベッドで寝そべっていた。
 毛布をかけない以前に服も着替えておらず、ブーツも履きっぱなしで横たわっている。

 ベランダへのガラス戸は開いており、カーテンを靡かせている。部屋の中に灯りはなく、見慣れない香炉から緩やかに煙がたなびいている。シェリーが言っていた不眠対策の香だろう。

 扉からするりと体を部屋へ移し実体化すると、程なく今の部屋の主の気配が動いた。どうやら起きていたらしい。

「…お前の入城を許可した覚えはない」
 ───「「あいたかった。」」

 剣呑な声音の後に、悲壮感の籠る声が聞こえてくる。これか、とリーファは肩を竦めた。

「ええ幽霊みたいなものですから。勝手に入りました」
「衛兵を呼ぶぞ」
 ───「「こちらにきて。」」

 何だか呼ばれたので挑発しながら近づいてみる。

「幽霊を捕まえられる凄腕がいらっしゃるので?どうぞどうぞ」
「どうやらよほど死にたいらしいな」
 ───「「こえがききたい。」」
「違う!」

 アランの悲鳴にも近い叫びが部屋中に響き渡る。

「何なのだこの声は!お前が城を出てからだ!あれからずっとだぞ!
 お前のせいではないのか?!お前が、お前が私を恨んでこんな仕打ちを───」
「私が恨む訳ないじゃないですか。恨んでいたら、ここに来ていません」

 至極正論を言われてしまい、アランは押し黙る。大きく溜息を零し、手で顔を覆う。

「───では何故」
 ───「「なぜ。」」

「探し物があって来ました。私のではないんですけど。
 でもここにはなさそうなので、別に探します。
 陛下はどうぞ、こちらでゆっくりなさって下さい」
「ま、待て」
 ───「「いかないで。」」
「…城を、勝手に歩き回られるのは迷惑だ」
 ───「「いかないで。」」

 癇癪を起こした大人の声とは対照的な、子供の泣き言のような幻聴だ。ほんの少し、後ろ髪を引かれるような気持ちになる。
 ふう、と小さく息を吐いて、リーファはアランに手を差し伸べた。

「勝手がお気に召さないのなら、一緒に歩きましょうか。
 大丈夫、私の用はすぐに終わります。
 あ、でも、私ここにいちゃいけないので、あまり実体化は出来ませんけど。
 巡回の兵士さんが来たら隠れますので、その時はお願いします」
「………………」

 とても不満そうではあるが、アランはリーファの手を取って立ち上がる。

 側女の部屋を扉から出て、城の北側の廊下を抜け、当初の予定通り2階へと降りていく。
 人の気配がないか慎重に歩き、私室か執務室か少し悩んで執務室へと進む。
 幸い衛兵にも巡回兵にも会う事はなく、問題なく執務室の中へと入る事が出来た。

「これですね」

 目の前の壁に飾られている物を見上げる。

 白い鞘に収まった長剣だ。柄に球状の金の飾り物がついている。剣全体が白く緩やかに明滅を繰り返しており、幻想的な雰囲気を醸し出している。雰囲気だけは。

「よいしょっと」

 飾られてある剣を降ろし、隅々までよく眺め、休憩用のテーブルにゆっくり置いた。

「専用装備化されてますね………これを外さないとどうしようもないので壊しますよ」

 手の中に長大なサイスを出現させる。執務室はあまり広くはないので、周りにぶつけないようにそっと刃先を剣に当てる。

 ───かしゃんっ

 当てた途端、剣からキラキラした金色の粒子のようなものが弾け、消えていく。
 慣れた手つきで改めて剣を持ち上げ、再び状態を確認する。

「剣の方には風の魔力がこもっているのでそのままにしておきますね。
 で、こっちの金の飾り物の方の呪いを外します」
「呪い…なのか」
 ───「「声が聞きたい。」」
「うるさい少し黙れ」
 ───「「側にいて。」」
「ああ…全く…!」
 ───「「行かないで。」」

 ぼさぼさになった頭を掻き、アランの髪がさらにぼさぼさになる。
 呪いの発信源が近いせいか幻聴の力がやや強い。

「後で説明しますから、待っていて下さい。中の呪いを外すだけですから」

 振り回されているアランを見て、つい苦笑いが浮かぶ。早く何とかした方が良さそうだ。
 リーファは飾り物を手のひらに乗せて、サイスでそっとつついた。

 ───パンッ!

 今度は大きく爆ぜた音がした。

 白く明滅していた剣は輝きを止め、飾り物から小指の爪ほどの白い綿毛のようなものが出てくる。

(残留思念………呪いを解いたから、出てきたのね)

「「この…が、でき…ら、あの…に、この………を、つたえ………たのに…」」

 綿毛のようなもの───残留思念は剣に寄り添い、うわ言のように生前の無念を呟いている。

(誰かに伝えたかった事があったのかな………でも)

 リーファは残留思念をすくい上げ、優しく語りかけた。

「あなたの無念は、ここに遺してはいけませんよ。
 ………おやすみなさい」

 手に包み残留思念にキスを落として、リーファは舌を滑らせそのまま口の中に入れる。
 魂ならまだしも、残留思念は味など無いようなものだ。頬張った小さなマシュマロが溶けていくように、嚥下すれば形も定まらずに消えて行った。