小説
小さな災厄の来訪
 結局、翌日昼にはヘルムートが診療所へ訪れ、『入城許可が下りた』と教えてくれた。

 アランは、『すぐに帰って来い』と言っていたそうなのだが。
 リーファは、『いやいやシフトの都合もあるし、そんな急には無理です』と返し。
 ジャネットは、『いいじゃん、王様の為に早く行ってあげなよ』と背中を押したり。

 色んな支度もあって、正味二週間でリーファは城へ戻ってくる事が出来たのだった。

 ◇◇◇

 某日午後、執務室。

「ふんふ〜ん、ふふんふ〜ん」

 今日のアランはいつになく上機嫌だ。聞いた事もない鼻歌を歌いながら書類一枚一枚に目を通し、サインを書いている。

「………………………」

 ヘルムートは、そんなアランを薄気味悪い思いで眺めていた。

 アランの仕事が捗る事は大変良い。機嫌だって、悪いよりは良い方がずっといい。例の幻聴も解消して、リーファも戻ってくる事が出来て、良い事ずくめだ。
 だが───

「リーファ」

 アランに名前を呼ばれ、淹れた紅茶を執務机に置こうとしていたリーファがびくりと身を竦ませた。

「は、はい」
「口が寂しい。一口寄こせ」
「はい、陛下」
「ん?」

 アランは眉を吊り上げて流し目を送ると、リーファは顔を青くして身を震わせた。

「…す、すみません、”アラン様”」
「うむ、よし」

 リーファが呼び方を訂正すると、アランはとても満足そうに頷いている。

(………なんだかなあ)

 見せつけられているような気分になりながら、ヘルムートはこっそりと溜息を吐いた。

 今日のお菓子はバーチ・ディ・ダーマ。サクサク小ぶりなクッキーでチョコレートをサンドしたお菓子だ。

 リーファは命令されるまま、ワゴンに用意していたお菓子をアランの口元まで持ってくる。

「──────」

 ぱくりと指ごとお菓子を持って行かれると、リーファは鳥肌を立ててしまう。更にリーファの指先をアランの舌が絡めとっているようで、すっかり顔から血の気が引いてしまった。

(…ああ、可哀想に…)

 アランの舌先からようやく解放されたリーファは、悲しそうな表情で自分の指を濡れ布巾で拭いていた。

 その光景を気の毒に思いつつ、ヘルムートはアランに訊ねた。

「仲良くなったのは結構なんだけど………何でそんな、名前で呼び合う仲になったんだい?」
「ふふん」

 機嫌よく鼻で笑い、ちょい、と指先でリーファを招く。
 首を傾げ近づいてきたところで、リーファの体を抱き上げ膝の上へ乗せた。「ひゃわあっ?!」と悲鳴が上がったが気にしない。

「『グリムリーパーは名前を呼んでやると従順になる』と聞いたのでな。
 ついでだから私の事も名前で呼ぶ許可を出してやった。
 光栄に思ってむせび泣くといいぞ、リーファ」
「私、別に今までのままで良かったんですが、───ぎゃーいたーい?!
 う、うわあ、うれしいなーーーいだだだっ!!」

 馴れ馴れしく指を絡め、リーファが反逆した途端指を締め上げて悲鳴を上げさせている。

(…何に絆されたんだと思ったけど…)

 ヘルムートではなくても、誰もがこの状況をおかしいと思うだろう。

 リーファに対して、今まですげない対応を取り続け。
 ようやく子作りをしたと思ったら、今度は城から追い出し。
 帰ってきた途端、名前呼びを許可するようになったのだから。

 幻聴が解消されたあの日の夜も、これと言っておかしな会話はしていなかった。珍しくリーファの名前を呼んだな、と思った位だ。

(…ただの気まぐれ、かな…?)

 アランとリーファが仲睦まじい光景自体は、ヘルムートとしてもありがたいのだ。
 見合いに感情は必要ないと言っても、女性に対して評判が悪い王では敬遠されてしまう。
 リーファと馴れ合っている姿を見て、評判が少しでも良くなるなら、それに越したことはない。

「…まあいっか。内々で名前を呼び合うくらいなら…。
 リーファ、多分ないと思うけど、公式の場では以前と同じようにね」
「あ、はい。多分ないとは思いますけど、───いったたた!」

 油断していたリーファの首筋に、アランが噛みついている。

(…うん、いつもの事だな)

 昔からアランは、浮き沈みが激しい性格だ。この様子だと、名前呼びも明日には撤回されているかもしれない。

 リーファの悲鳴が上がる中、ヘルムートはテーブル上の書類を横に退けて席を立った。自分もティータイムだ。
 ヘルムートはワゴン上の紅茶入りティーカップを手に取ると、アラン達の先の壁に飾られた長剣を見やった。例の魔王からの贈り物だ。

 白を基調とした細かい彫りが施された鞘の作りは良いと思う。アランは黒い服格好や鎧を好むから、良く映えるだろう。

「しっかし、こんな剣をアランに贈るなんて、魔王も太っ腹だね」

 リーファに何度も何度も「アラン様」と言わせ続けていたアランが、ふとその訓練を止めた。ふたりで揃って壁の剣を見上げている。

「…そういえば、そうですね。…えと、アラン、様?一体どうやって気に入られたんですか?」
「…さて、どうだったか………酒が入っていたからあまり覚えていないが…。
 ………ああ。鎧の意匠が良いからそこを褒めたな。いい趣味だと」
「えっ」

 ヘルムートは、そうなんだー、くらいにしか思わなかったが、リーファは違ったようだ。眉根を寄せて、明らかに動揺している。

「え、何?どうかしたのリーファ」
「あの、アラン、様。本当に鎧を褒めたんですか?」
「ああ。それがどうした」

 怪訝な顔をしているアランとヘルムートに、リーファはもごもごと困惑の理由を告白した。

「あー…いや。私も、話に聞いた限りで、本当の事は、知らないんですけど…。
 あちらの王様って、種族的には…リビングアーマーになるらしくって…」

 ぎしり───

 軋むような音を立てて、アランの体が石に変じたかのように固まった。リーファの言で、アランは自分が何をしたのか悟ったようだ。

 動かなくなったアランに代わり、ヘルムートが確認をする。

「…リビングアーマーって、あの、鎧に魂が吹き込まれてるって魔物の?」
「は、はい。
 リビングアーマーの多くは、自我が保てずに製作者の命令を聞くだけの魔物なんですけど…。
 彼の王様のように、自我が備わって生まれてくる方もいるそうなんです…。
 そんな方なので、その、鎧を褒められたっていうのは、えっと…」
「知らず知らずのうちに魔王を褒めちぎってたと。それは喜ぶよねぇ」

 ヘルムートがそう言ったのが、早かったのか遅かったのか。
 気付けば、笑顔が消えたアランの手がリーファの首に伸び、全力に近い力で絞め始めた。

「せめて、おまえは、わすれろ!いいな?!」
「は、はい!忘れ、忘れますから!首、首はもう嫌、───ぐえ」

 なんとも情けない、潰れた蛙のような悲鳴が響いた。

(…アランって、魔物を惹きつける才能があるんじゃないかなぁ)

 長剣を仰いだまま───その下で行われている理不尽な惨劇を見なかった事にして───ヘルムートはティーカップに唇をつけた。
- END -

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