小説
つかまれた”なにか”
「───リーファ」

 長雨の季節が過ぎ、ゆっくりと夏の暑さが迫ってくるような、そんな日の午後。

 いつも通り休憩時間に合わせて執務室へ赴き、いつも通り執務机に飲み物とお菓子を配していると、ラッフレナンド国王アラン=ラッフレナンドに呼び止められた。

「はい、アラン様」

 背筋を正してアランの方を向く。
 名前を呼ばれ、呼び返す事で背中がもぞもぞしてしまう感覚は、だいぶ慣れてきたような気がするが。

(出来ればやめてもらいたいんだけどなぁ…)

 目上の方から名前を覚えられる事は、大変な名誉ではある。
 しかし、王の御子を産む為だけで城にいる庶民のリーファにとっては、大変な重荷であった。
 逆に、一国の王を名前で呼ぶのは誰から見ても不敬な行いだ。
 その為、急にアランからどちらの許可も下りて、正直かなり困惑している。

「一ヶ月ほど前、南の国ヴィグリューズで新王が即位した」
「は、はい」

 ヴィグリューズはラッフレナンドの倍以上の国面積を誇る国だ。
 広い範囲で砂漠が広がっている国だが、地域によっては雨量が多く、一部の緑豊かな土地で人々が暮らしている。
 北方が海に面している為、水産業が発達しており、主要穀物は小麦。
 昨今は地下資源の重要性が指摘され、研究が進められてる。
 ───と、城の公文書館で見つけた本に載っていた。

「新王となった人物とは個人的に親交があったのだが、こちらが王になり側女を迎えたと手紙にしたため送ったところ、『お前のような唐変木が見初めた女を見たい』と返事がきた」

 なんとも口の悪い王様だ。
 だが、このアランという王様の性格を思えば、そのくらい豪胆でないと親交には至らないのではないか、とも思う。

「そこでだ。
 こちらは、『そんなに気になるならば、そちらが自慢する美女をこちらに寄越せ。互いに見せあって、互いに気に入ったら交換しよう』と、返事をしていたのだ」
「ええ…」

 リーファが心底嫌そうに渋面を作ると、アランの顔に愉悦が満ちる。

「という訳で、明日。
 ヴィグリューズの新王が周辺各国に挨拶という名目で来るから、お前も立ち会うように」
「………あの、アラン様」

 おずおずと、顔の高さまで手を挙げて意見を述べようとしたが、

「行事が一通り終わったら立食パーティーを行うから、メイドと一緒に謁見の間に入れ。
 そこで私自ら、新王に紹介してやろう。光栄に思うがいい」

 どうやらアランは聞く耳を持たないようだ。

「あちらは褐色の巨乳美人が多いし、楽しみだなあ。
 お前もせいぜい頑張るといい。新王は側に女をたくさん抱えているが未だ未婚だ。
 楽しませる事が出来れば、妃の座も夢ではないぞ。───出来ればな」

 アランは優美に、しかし何か悪い意味で楽しむかのような眼差しでリーファを見上げる。

(私なんかが、王族の目に留まるなんてありえないのに…。
 恥を掻け、って事なのかな…)

 アランの無茶振りに、リーファは思わず溜息を吐いてしまった。

 リーファには、何の取り柄もない。
 容姿は庶民の中でも普通だと思っているし、せいぜい茜色の髪がこの近隣では珍しい程度だ。
 学生時代、勉強は中の下くらいだったし、運動はむしろ苦手な方だった。
 魔術だって、使えるものは護身術程度でしかない。ラッフレナンドなら目を引くかもしれないが、他国では鼻で嗤われるだろう。

 要は出来ない事を言っているのだ、アランは。
 あるいは、件の新王にアプローチをして玉砕し、話のネタを作って来いと言う事か。

 断りたい気持ちでいっぱいだが、ここで『無理です参加しません』とは言えない。
 リーファが御眼鏡に適わなかったとしても、相手の美女の事をアランが気に入るかもしれない。
 相変わらず縁談が決まる様子がないこの状況で、可能性の芽は潰せない。

「そう…ですね。アラン様の好みの女性に巡り合う機会は、逃してはいけません、よね。
 努力はしますけど、交換については、どうかあまり期待しないでおいてもらえると助かります」

 そう返事をしてみせると、アランは少しむっとした。何故だか拗ねて見える。

「?…何か?」
「…つまらん女だと思っただけだ」
「はあ…」

 元より面白い話をした訳ではないので、そう言われても困るのだが。

 話が終わったようなので、ワゴンに戻る。もう少しでヘルムートが戻ってくるはずなので、それまでは待機しないといけない。

 仏頂面でしばらくイチゴのショートケーキを頬張っていたアランだが、ふと閃いたらしい。
 執務机に肘を立てて口の端を歪め、リーファを睨みつけた。

「ああそうそう。先に行っておこう。
 私は他の者に股を開いた女など、触りたくもないからな。
 ここに留まりたいというのなら、せいぜい貞操だけは死守しておけ。
 新王は忙しい身だが、一晩はこちらに留まってもらう予定だ。
 その間、部屋に連れ込まれなければ良いがなぁ?」

(…ヘルムート様が『側女がいないと困るから』って言うから戻ってきたのに…。
 この仕打ちは何なんだろう…?)

 こちらをちらちら見ながら反応を待っているアランに顔を向け、リーファは、はあ、と返答するだけで精一杯だった。

 ◇◇◇

 城でイベント事がある日は、出来るだけ人目につかないよう、リーファは側女の部屋にいる事が多い。
 次の日となり、朝から城内で賑やかな催しが行われていたが、今回も例に漏れず、リーファは食事とトイレ以外は極力部屋にいた。

 あっという間に時間は過ぎ、日が傾き始めた頃になって二人のメイドが部屋を来てくれた。てきぱきと、リーファの身支度を整えてくれる。

 着させられたのは、黄色い袖付きのエンパイアラインという形のドレスだ。ハイウエストで直線的なラインのスカートで何とも可愛らしい。袖は薄手の布地を使っていて腕が少し透けて見える。

「胃がキリキリしてきた…」

 お腹が痛いのは、締められたコルセットの所為ではないのだろう。リーファは眉間にしわを寄せ、悲鳴を上げているお腹をさする。

「そんな大げさな。ただのご挨拶じゃないですかぁ」

 サンドリーヌがクスクス笑う。レモンイエロー色の髪をかっちり巻いてツインテールにしている、ほんわかした雰囲気のメイドだ。

「実質初めてのパーティー参加ですもの。緊張する気持ちは分かりますよ」

 マルタが、リーファの短い髪に髪飾りを差しながらフォローしてくれる。こちらのメイドは銀糸に近い金髪で、ストレートの髪を編みこんでメイドキャップで丁寧にまとめている。

 ふたりとも、タイプは違えど甲乙つけがたいレベルの美女だ。特にキラキラ煌めいている金髪が良い。

「…なんで私なんでしょう」

 ぼそっと、リーファはぼやいた。

「ん?」と首を傾げるメイド二人の間で顔をそっと覆い、首を横に振る。

「私なんかじゃなくて、サンドリーヌさんとかマルタさんみたいな美人でいいと思うんですよぅ。
 私なんかが挨拶に行ったって、笑われるのが関の山でしょうし。
 ここには美人の女性がいっぱいいるんですから、もっと魅力的な方に代役頼めばいいと思うんです。
 玉の輿狙ってる人結構多いって聞いてますし。
 …別に御伽噺よろしく、見初められる夢がないわけじゃないですケド…」

 小声ながら早口で愚痴をこぼすリーファを見下ろし、何か齟齬が生じていると思ったらしい。サンドリーヌとマルタが交互に訊ねてくる。

「あの…?」
「ただのご挨拶、ですよね?」

 ふたりの不思議な反応に、リーファは顔を上げた。何か、会話の行き違いが起こっている。

「それが…なんかあちらが美人の女性を連れてくるらしくて、お互い気に入ればじゃあ交換しましょう、って話になってるらしいんですよ…。
 陛下は『ついでにあちらで妃にしてもらえ』とか言ってるし…。あ、ダメだ。いがいたい。つらい」

 キリキリしてきたお腹をさすって顔を青くしているリーファの頭上で、ふたりのメイドが顔を見合わせた。

「それは…」
「おかしいですね」
「…ふぇ?」
「だって───」

 サンドリーヌが話してくれた衝撃の事実に、リーファは只々素っ頓狂な声を上げる事しか出来なかった。