小説
つかまれた”なにか”
 翌朝。
 久しぶりにせいせい眠れて、リーファの心は晴れ晴れした気分だ。
 睡眠時間自体は足りているけれど、毎晩どうしても寝る時間が遅くなってしまうから、程よい時刻に寝て程よい時刻に起きる、というのが如何に大切かを思い知らされる。

 もう少し寝ていたいが、昨日の事もある。リーファは身支度を整えて部屋を出た。

 階下へ降り、食堂へ向かう。いる確信はないが、いなかったらいなかったで別を当たればよいだけだ。出立の昼までにはまだ時間がある。
 どこかですすり泣くような音に首を傾げつつ、兵士や職員の賑わう食堂の少し手前の廊下でその姿を捉える。アランとブリセイダだ。

 あちらもすぐにこちらに気づいたので、リーファは近づいて礼儀正しく頭を下げる。

「おはようございます、陛下、ブリセイダ様」
「ああ、おはよう」
「おはよう、リーファ。ちょうど今、君の事を話していた所だったんだ。
 いやあ、昨日の蜜かけのゼリーは美味しかったなあ」

 昨日の事を思い出し、照れ臭くなって顔を赤くする。

「そうでしたね。思いのほか上手にできてびっくりしました」
「って事は、アランには食べさせた事がないのか。
 それでか、なんだかよく分からん顔をしていたのは」

 どこか得意げに、ブリセイダがアランを見やる。
 アランは不機嫌にブリセイダを一瞥し、目を細めリーファに問うてきた。

「…なんなのだ。それは」
「え、ええっと。ジャガイモからとれる、でん粉という粉があるんです。
 煮物のとろみをつける時なんかに使うんですけどね。
 それを水と砂糖と煮てゼリー状にして、炒った大豆を挽いた粉と蜜を絡めてみたものを、昨晩ブリセイダ様に召し上がって頂きまして。
 …父が、東の方の国にそういうお菓子があると言っていて、レシピを教えてもらったんです。
 レシピ通りのゼリー粉は同じものはなかったんですが、水で溶いて加熱して固まる粉ならでん粉でもいいのかな、と思いまして」

 昨日の調理風景を思い出したのか、ブリセイダは腕を組んで感心した様子で頷いている。

「あの白い粉があれほど透き通る菓子に変わるとは。
 見た目も涼やかで、体が火照っている時には打って付けだ。
 必要なものがないから別のもので代用する。君の発想力にはただただ感服したよ」
「勿体ないお言葉です。
 ゼリー自体に砂糖以外の甘みはないので、色々アレンジをしてみるのも面白いかもしれませんね。
 コーヒーを混ぜたり、牛乳を混ぜたり…」
「昨日の茶葉と合わせるのなら、あのままの方が良いだろうな。
 さっぱりしていて茶の風味にぴったりだ」
「それもそうですね」

 ふたりで和気藹々と話している内に、アランがどんどん不機嫌になっていく気がする。横で放たれる圧を、ブリセイダは気にした素振りもないが、リーファは内心引いていた。

「そうそう!それと、あの本も良かったな。
 半信半疑だったが、聞いているうちに体がふわふわしてきて、気が付けばもう朝だ。
 長旅の疲れが一気に取れた気分だ。
 いや、最初はどうしてこんな娘がと思ったが。これならアランが手放さないのもうなずけ───」
「ブリセイダさまぁああああああぁあ!」

 前触れもなく聞こえてきたブリセイダを求める声に、リーファに対するべた褒めは打ち切られた。

 声の主はペルペトゥアだった。
 彼女は、髪を振りほどき裸にシーツを巻いただけのあられもない格好で、ブリセイダの胸に飛び込んできた。

「ペ、ペルペトゥア?」
「後生ですぅう。置いていかないで下さいましぃぃい」

 昨日は優美なペルペトゥアだったが、今は見る影もない。ブリセイダもあまり見た事はないのだろう。慌てた様子で肩を抱き、ペルペトゥアの背中を撫でる。

「アラン…お前、何をやった?」

 ブリセイダに睨まれ、アランの顔に底意地の悪い笑みが浮かぶ。

「ああ。
 昨晩ペルペトゥア嬢がせがむものだから、いつもリーファにしてやっている通りに愛でてみたのだが」

 リーファの顔色がサッと悪くなる。

 ブリセイダに充てられた部屋は二人部屋で、恐らくペルペトゥアと二人で使う予定だったはずだ。
 しかし、結局あの日ペルペトゥアは戻ってこなかった。王の寝室か王子時代の私室かどちらかで、アランと一晩過ごしたのだろう。

 元々リーファとの交換を前提に来てもらっていたのだから、何をされたかは容易に想像がつく。

「香を焚いたところで腰が砕けて、薬を盛ったら艶めかしく乱れるのでな。
 それはそれは扇情的で、色々使ってつい私も意地悪をしてしまった。
 充実した時間はあっという間に過ぎていくものだな。おかげで寝不足だ。
 だが、久々に好い女性を堪能出来て楽しかったよ。やはり体の相性は重要だな」

 よほど楽しかったのだろう。アランは満足そうにペルペトゥアを見やり、ちろり、と舌なめずりする。

「ひぃっ…」

 ペルペトゥアの身がびくりと竦んで、それを察したブリセイダが彼女をかばう様にアランの前へ立った。

 アランは口の端を吊り上げ、心底楽しそうに問うた。すっかり悪人面だ。

「さて。お互い同意があれば交換という事だったが…どうする?」
「…お前最初からそのつもりだっただろ」
「そんな事はないさ。誓ってな。
 だが体の相性が良ければ、それだけ要求するものも増える、そういうものではないか?」

 ぐすっぐすっとすすり泣きしているペルペトゥアの震えが、ブリセイダにも伝わったようだ。
 王城の廊下での珍事に、通り過ぎる役人や兵士達が遠巻きにその場を気にし始める。
 諦めたとばかり、ブリセイダは大きく溜息を吐いた。

「…仕方がないな。
 まあ元々リーファはここから離れる気はなかったようだし、ペルペトゥアがこうなってしまった以上、交換はないものとするしかないか」

 渋々と言った様子のブリセイダとは対照的に、すごく満足そうにアランは嗤った。

「そうか。それは残念だ」
「本当だよ全く。リーファが来てくれたら、側に置いたりしてもいいなと思ったのに。
 ───リーファ」
「あ、はい、ブリセイダ様」

 呼ばれてブリセイダの側に近づくと、彼女はリーファに耳打ちした。

「交換の件は白紙に終わったし、君の気持ちもあるから今回は帰るけども。
 君がもし、アランの事が心底どーでも良くなってこの国を出たくなったら、いつでもヴィグリューズへおいで。
 歓迎するよ」

 そう言うと、リーファの額に優しくキスを落とした。

「は………はい」

 きゅ〜、と体温が急上昇した。顔が真っ赤になって、湯気が出そうな頬を冷まそうと手で押さえる。

 体が離れても動けないでいると、アランがリーファの首根っこを掴んで引き寄せた。ぐりぐりと、礼服の袖で額を拭ってくる。

 アランの不機嫌な目と、ブリセイダの余裕そうな目がかち合ったが、

「ブリセイダさまぁ」

 縋りつく侍女の頬の雫に気が付き、ブリセイダは優しく拭う。

「うんうん分かってる。ペルペトゥア、君を見捨てたりしないさ。
 これからも私と一緒の道を歩んでおくれ」
「はいぃ…」

 にこっと笑ってブリセイダはペルペトゥアを抱き寄せ、艶やかな黒髪に顔を埋めた。ペルペトゥアの頬に赤みが増して、熱っぽく俯いた。

 朝っぱらからイチャイチャしているカップルを見せつけられながら、リーファは新手の拷問を体験していた。
 拭う力が強すぎて、リーファの額がヒリヒリし始めている。

「あ、あのアラン様、すっごく痛いんですがっ」

 リーファの額をすりむく作業を止めずに、アランは仏頂面でぼやいた。

「お前とブリセイダの話はヘルムートから聞いている。何もない、健全な夜を過ごしたと」
「はあ、まあ」
「だが、体のどこかに癖がついているやもしれん。
 今夜は一晩かけてじっくり調べてやるからそのつもりで───」
「何言ってるんですか。今日は早く寝て下さい。
 香と薬の同時使用も連続使用もダメって言われてるでしょうに。
 エリナさんに叱られたいんですか?」

 手を振り払って振り向き、リーファはぴしゃりと叱った。
 珍しく怒っているリーファを見下ろし、アランは顔をしかめる。

 媚薬効果のある薬も香も、それぞれが単独で使用する事を前提で作っている。その為、同時使用も連続使用も何が起こるか分からないのだ。
 嘔吐や意識障害、最悪死んでしまう可能性だってある。

 アランとペルペトゥアの様子を見る限り、そこまで深刻な状況には至らなかったとは思いたいが。
 何かの拍子に重篤な症状が出てからでは遅い。薬を抜く時間も、睡眠時間も必要だ。

 額を赤くし頬を膨らませて睨み見上げているリーファに、アランは怪訝そうに訊ねてきた。

「…怒って、いるのか」
「心配しているんですっ」

 鼻息荒く答えると、アランがちらりとブリセイダらの方を見やる。
 少しの間考えるような素振りをして、アランは不機嫌にぼやいた。

「………蜜かけのゼリーが食べたい。本もだ」
「いくらでも作りますし、いくらでも読みますから」
「………分かった」

 相変わらずの無表情だが、心なしかアランが拗ねているように見えた。
- END -

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