小説
偽り続けた者の結末
 ───マルセルに連れ去られて間もない頃に話は遡る。
 リーファは、シュリットバイゼという国の都市リセンティートにいた。

 シュリットバイゼは、ラッフレナンドの南に隣接している国で、芸術の都と呼ばれるほどの文化発信地だ。

 北のアランティは絵画や彫刻などの空間芸術の町と呼ばれ、西のブレーヴェは音楽や文学などの時間芸術が、東のラントールは演劇などの総合芸術が発展しているらしい。

 そして、その中心にある都市リセンティートは、王都であると同時にファッションの都としても有名だ。
 レンガ造りの華やかな街並みに、多くの洋服店が軒を連ねる。ショーウィンドウには最新の流行服が飾り立てられ、ただ眺めるだけでも十分楽しめる街だ。

 その中の一店舗。
 ”ガルテン”という名前の洋服店の試着室から、嫌そうな顔でグリムリーパーのリーファが姿を現す。

 青藍色のワンピースはフリルがついて可愛らしく、中に来ている白地のシャツにはワンポイントで刺繍が施されている。
 一番目立つのは前掛けで、エプロンとして使うには勿体ない程細かい刺繍がいっぱいに縫われている。
 橙の長髪はフィッシュボーンという編み方で結われ、小さな花の髪飾りが散りばめられて華やかだ。

 試着室の外で待っていたマルセルは、リーファのその姿を見て満足そうに拍手した。

「素晴らしい…やっぱり俺の見立ては間違いじゃなかった…。
 胸は、もうちょい小さい方が好みだけどな」
「うるさいです」
「ん?そんな態度とっていいの?
 そのままじゃ、あんたラッフレナンドに帰れないよ?
 俺たち夫婦なんだからさ、敬語はなしにしようぜ!」

 余裕の表情を向けせせら笑うマルセルは、会計の為にカウンターへと歩いていく。

「…こんな、こんなチョーカーさえなければ…!」

 首にはめられた黒革のチョーカーを指で引っ掛け、リーファは独り悔しく歯ぎしりした。

 マルセルによれば、このチョーカーは”此岸の枷”と呼ばれるグリムリーパー専用の装飾品なのだという。
 人間と一緒に生活する上で、何かの拍子にグリムリーパーとバレる事がないようにする為のもので、これを身に着けている間は強制的に実体化させられてしまう。
 同時に魔力も抑えられてしまう為、いつも着ている鎧やサイスは具現化が出来なくなってしまうのだ。

 リーファも、このチョーカーをはめられた直後から強制的に実体化させられていた。
 鎧はおろか下着すらも消失してしまい、渋々マルセルの気の向くままに着せ替え人形を体験させられている。

 チョーカーは魔術により鍵がかけられており、マルセルしか外せない代物だ。サイスも具現化できないリーファにはどうしようも出来ない。

「まあまあ。そう怒るなって」

 会計を済ませ、マルセルはリーファの後ろから腰に手を回してきた。するすると指を胸下まで這わせながら、耳元で囁く。

「俺が欲しいのは、同族結婚支援制度の臨時収入だけ。
 それが手に入ったら、あんたは好きにしてくれて構わないから。
 離婚だってしてやるし、ラッフレナンドにだって帰してやるよ。
 ほんの数日、俺に時間をくれるだけでいいんだって」

 魔物側の支援制度の話は、服物色の合間に聞かされていた。
『それってグリムリーパーは関係ないのでは?』と思ったが、支援の詳細を知っている訳ではないから憶測でものは言えない。

 貧乳好きを謳っていたのは何だったのか。リーファの胸を揉もうとするマルセルの手の甲をつまみ捻る。
「いって」と悲鳴を上げたマルセルの束縛から抜け出し、リーファは洋服店を出ながら訊ねる。言われた通り敬語は抜きだ。

「…それで?今からどこへ行くの?手続きなら役所よね」

 退店の挨拶をしてくる店員に軽く愛想して、マルセルもリーファを追いかけてくる。
 道を知っている訳ではないからどこへ、という事はない。ただの散歩だ。

 リセンティートは、南側が内海に面した都市だ。レンガの街並みを背にすると、どこまでもどこまでも海が広がっている。
 下を見下ろすと大小様々な船が何隻も停泊していて、潮風の香りと共に港町の風情を運んでくれた。

 リーファは、港と内海の境界線にポツンと佇んでいる標高の高い建築物に目を向ける。どうやらあれが、シュリットバイゼの王城らしい。
 何となくラッフレナンド城を思い出すが、あちらは”最後の砦”の性質を持つのに対し、シュリットバイゼの王城は、内海から来る侵略者を防ぐ”前線基地”の役目があるのだとか。
 この先にある大国ヴィグリューズとも戦争をしていた時代があったらしく、かつては激戦区だった、と洋服店の店員が教えてくれた。

 空はすっかり日が暮れて、街灯が点き始めている。ラッフレナンドと違って魔術師は忌避の対象になっていないはずだから、魔力灯の類なのだろう。
 夜になっても明るい街並みのおかげで、人通りは多い。夕食の時間は過ぎた頃だから、飲みに出歩く人がいるのかもしれない。

「役所に行く前に寄りたい所があるんだよ。
 いや〜、俺って人気者だからさ〜。何もしなくても女の子が寄って来ちゃうんだよね〜。
 せっかくだから、キープしてる彼女達に結婚の挨拶はしとこーと思ってさ〜。
『君たちも俺の事は忘れて幸せになってね』って言っとかないと、彼女らずっと待っちゃうだろうし〜」

(そんな物好きが果たしているの…?)

 やれやれと肩を竦めるマルセルをちら見して、苦々しくリーファは心中で突っ込みを入れておく。一応、”蓼食う虫も好き好き”という言葉もある。

「今から行くの?どこだか知らないけど、さすがにこの時間じゃ」
「あ〜、うん。そうだな〜…んふ。今日はここらで泊まろうか〜」

 品なく鼻を鳴らすマルセルは、下心が顔面に浮かび上がっていてとても気持ち悪かった。

(夫婦がどうとか言ってたから予想はしてたけど…)

 先の事を考えたら身震いがした。無駄だと思ったが、一応言っておく。

「部屋別々でね」
「は?夫婦なんだから一緒の部屋でいいだろ?」

 溜息を吐くリーファの肩を、マルセルは抱き寄せる。カップルのように寄り添って歩く羽目になって、かなり歩きにくい。

「婚姻届出してないから夫婦じゃないし。そもそも嫌」
「ん?ん?そんな事言っていいのかなー?
 ”袖振り合うも他生の縁”って言うじゃん。仲良くしようよ〜」

 肩に置いた手が、腕を経由して性懲りもなく胸をまさぐろうとする。もう一度その手の甲をつねるが、あまり効果はないようだ。

 グリムリーパーのリーファの体は、人間の肉体と比べて背は高く肉付きが良い。
 マルセルの口ぶりから、この体つきは決して好みではないはずなのだが。

「…ねえ、貧乳派って言ってなかった?」
「そりゃ断然貧乳派だけどね。
 でも、目の前に手ぇつけれそうな女の子がいたら、とりあえず味見したくなるじゃん。
 人間で言えば…あれかな?いつもは肉料理頼むけど、たまには魚料理もいいかな、みたいな」

 その例え自体は分かるが、一緒にされるのはただただ不快だ。
 ご機嫌な様子ですり寄るマルセルに、リーファは半眼で睨み上げて告げた。

「…言っておくけどね。私に何かしたら、帰った後ラダマス様に報告しに行くから」
「え?───え?」

 リーファの脅しに、マルセルの体がびくりと震えた。怯えと焦りが、顔からにじみ出る。

 思ったより効果があったようなので、リーファは続けて畳みかけた。

「それはもう涙ながらに訴えるから。
『マルセルって人に乱暴されました。あんな事やこんな事もされました。もうお嫁に行けません』って」

 まさぐっていた指がおずおずと引き抜かれる。べったりくっつかれていたのに、気付けばマルセルは一歩引き下がっている。

「い、いやあ。それは。
 ラダマス様だって、俺たちの結婚に口出しは出来ないでしょ。
 きっと許して…許してくれるはず…」
「じゃあ今からラダマス様の所へご挨拶にいく?」
「そ、それはー…」

 困り果てている挙動を見る限り、ラダマスの所へ行くつもりはなかったようだ。

 ついでと言わんばかりに、リーファは一歩踏み込み追い打ちをかけた。

「マルセル、あなたは純血のグリムリーパーでしょ?ラダマス様からすれば息子にあたるって事よね」
「そ、そうなるかな?」
「つまり、私からしたらおじさんにあたるわけじゃない」

 別方向からの狙撃を受け、マルセルの顔色がさっと悪くなる。もうその言葉だけで十年分老け込んだんじゃないかという程、酷い顔になっていく。

「うぅ…その言い方、やめて…」

 比喩抜きに老化が進行して行くマルセルを見て、リーファは瞠目した。

(何となく分かっていたけど…こんなに、変わってしまうのね…)

 具現化した魂や亡霊は、思い込みによってある程度姿を変えられる。
 だから、グリムリーパーも同じことが言えるのでは、とは考えていた。
『若いね』と言われれば若返り、『老けてるね』と言われれば老け込んでいく。
 見てくれが若々しいマルセルにとって、『おじさん』の言葉は結構な精神的負荷がかかっているのかもしれない。

(なら、もう一押しね)

 リーファの口の端が意地悪く吊り上がった。

「やだ、やめない。
 息子が可愛い孫娘を乱暴したなんて聞いたら…ラダマス様、どう思うかな。”おじさん”?」

 可愛く言って見せたが、何故だかリーファが虐める立場になってしまったような気がした。

 気付けば、目の前にはしゃがみこんで耳を塞いで憔悴しきっている中年男が一人。

「やめて、───ほんと…ほんと、やめて───」

 女性が男性を追い込んでいるという風変わりな光景を、周囲の人達は遠巻きに見ている。

(…よし、主導権取った)

 あまりジロジロ見られるのは嫌だが、言いたい事を言ってさっぱりしたリーファは、にっこり微笑んでマルセルに手を差し伸べた。

「うん、分かってくれればいいのよ。
 さあ、宿を探しましょう」

 ゆるゆると手を伸ばしたマルセルを引っ張り起こし、リーファは手を繋いだまま賑やかな街並みを歩き出す。

 すっかりしょぼくれてしまったマルセルが、リーファに連れられて悔しそうに唸った。

「…あんたの性格、母親似だろ。エセルバートに全然似てない…」
「うん、よく言われる」

 綺麗に並んだ歯を見せつけるよう、リーファは意地悪く笑って見せた。