小説
偽り続けた者の結末
 三日目の朝。アランは陽の光に誘われ、ゆるゆると目を覚ました。

 視界の先はベッドの天蓋。そして何の変哲もない城の天井だ。だが天井と太陽の光で、どこの部屋かは分かる。三階の正妃候補を泊まらせている部屋だ。

 体が重く、気分が良くない。指の動きがぎこちなく、腕が痛い。昨日三日分も仕事をしてしまったのが原因だと思い出す。二日分やれば良かったのに、何故か妙に張り切りすぎてしまったのだ。今思えば酔狂な真似をしてしまったものだ。

 そこからこの部屋へやってきて、正妃候補の艶っぽいスキンシップを受け、夕食のステーキ、パン、スープ、サラダなどを口に運んでもらい、大浴場に一緒に入って背中どころか前すらも流してもらい、一緒に湯船に浸かり、着替えまで手伝ってもらって、歯も磨いてもらってしまった。最後はこのベッドで本を読んでもらい、朝までぐっすりだ。

(まったく体が反応しなかっただと…?)

 アランは自分の不甲斐なさにショックを受けた。鈍く動く手で顔を覆う。

 今回の正妃候補は実に魅力的な体つきをしていて、本人に言うつもりはないが、自分好みの女のうちの五本の指に入る。
 そんな女が、肌をさらし、身を寄せ、時に自分の体に触れてきたというのに。
 全く何も感じなかった、という事実は、アランの自信を打ち砕くのに十分過ぎた。

 疲労がある程度蓄積すると逆に元気になる───そんな話を聞いた事があったが、それすらも超えてしまうと何も感じなくなってしまうのだろうか。

 のたうち回りたくなる衝動に駆られベッドから起き上がろうとした時、違和感に気が付く。
 ベッドに一つ分、自分の分の体重しかかかっていない。
 つまりは正妃候補がいない。

 こんな甲斐性なしに愛想が尽きて逃げてしまったのか。そんな事はないと分かっていても、そう思わずにはいられない。
 気もそぞろに、部屋の中を見回すがアラン以外は誰もいない。
 だが。

 ───かちゃん

 廊下に続く扉が無作法に開いて、二人の女が姿を見せる。
 彼女らは、アランの起床に気が付いて。

「あら、陛下。おはようございます」
「アラン様、お加減はいかがですか?」

 扉を閉めながら、よく似た───というか同じ───声の女二人が顔を見合わせ朗らかに笑う。

「──────」

(夢を見ているのだろうか)

 アランは目を疑った。そして、

(…もう夢でいいか)

 とも思った。

 一人は正妃候補のセアラ。だがそれは偽名だ。色々あって替え玉として連れてこられた、グリムリーパーのリーファが実体化している姿だ。

 もう一人の方が問題だった。
 肩上までに揃えられた茜色の髪と瑪瑙色の双眸を持つあどけない雰囲気の女。言うまでもなく、人間の方のリーファだ。

 どちらも既に身支度は終えているようで、グリムリーパーは青緑色のワンピースを、人間は紅紫色の旧式のメイド服を着ていた。人間の方は細い棒状の物が入ったバッグも持っていたが、それが何かまでは分からない。

(なん、───な、うん?なん、だ、あれ、は?)

 改めて認識し、改めて混乱する。
 グリムリーパーのリーファがいるのに、何故人間のリーファも普通に歩き回っているのか。人間の方に別の魂が入り込んでいるのか、とか、あの二人は実は別々の生き物だったのか、とか、根拠もない憶測だけが脳裏から出ては消えていく。

「ちょ、ちょっと。ちょっと、待て」

 近づいてくるふたりを、アランは手で制止した。その姿を見て女達は顔を見合わせ、仲良くベッドの前で足を止める。

 恐る恐る、アランは問うた。

「………なんだ。それは」
「あー、ええっとですね」

 グリムリーパーの方のリーファが口を開く。

「自分の体を、こんな状態でもなんとか動かせないかと色々試してみたんですが」

 人間の方のリーファも口を開く。

「こんな感じに、何とか操る事が出来るようになりまして。───見えます?」

 互いの手を取り合ってその手を離すと、手と手の間に白く発光した繊維のようなものが行き来しているように見えた。

「距離は五メートル位までなら離れてても大丈夫みたいです。それ以上だと、操作が維持出来なくて」
「”此岸の枷”がなければ、もうちょっと伸びるかもしれませんけど…それはおいおい試そうかなって」
「編み物もこれでやれば効率いいかなって思って、今持ってきたんです」
「マフラーが仕上がれば、アラン様のオーダーにもすぐ応えられると思って」
「「ねー」」

 仲がよさそうに───自分自身なのだから良し悪しなどないのだろうが───姦しくリーファ達は喋る。

「…ふたりで喋るな、気が滅入る」

 ケチをつけられてしまい、ふたりは顔を見合わせた。人間のリーファは肩を竦めて口を閉じ、グリムリーパーのリーファが話を続ける。

「でも、陛下が起床されたのでしたら、そっちの体は食事をしたらすぐに寝かせようと思います。
 元々、そのつもりでしたし。時間が空いたら編み物しようかなって思っただけなので。
 それで…まだ少し早いのですけど、これから私達は食事に行こうと思います。
 陛下はどうなさいます?」
「………後で行く。お前達はコロナの間を先に使っていろ」
「分かりました。それでは、先に行っていますね」

 グリムリーパーは一礼をして身を翻し、人間の方と一緒に扉へと歩いていく。

(あんな事が出来るのか…)

 二つの背中を目で追いかけてしまう。歩幅や歩く仕草があまりに似過ぎていてむしろ気持ち悪いが、互いに喋っていた所を見ると、意識すれば自然な感じに振舞う事も出来るのだろう。
 二人を側に侍らし、奉仕させる───そんな事も、可能かもしれない。

(そうだな…)

 急に思いついて、アランはベッドから起き上がる。

 リーファ達からは不意だったらしい。人間の方が扉のノブに手をかけるほんの少し前に、アランは早足で近づいていき、グリムリーパーを背後から乱暴に抱き寄せた。

「あ、あの、陛下?」

 アランは黙したまま、グリムリーパーのその首元に唇を添えた。
 指は、豊かな胸へ、括れた腹へ、程よい大腿へと這わせ、スカートの中へと滑らせる。

「あぁ、ん…!」
「…っ!」

 熱の籠ったグリムリーパーの吐息が漏れる。側にいる人間の方も、こちらを眺めて恥ずかしそうに顔を赤くしてもじもじしていた。

(…感覚が繋がっているのか)

 新たな発見をした所で、ふ、と自分の中で自信にも似たモノが沸き上がってきた。
 気取られる前にグリムリーパーを解放し、突き飛ばす。

「きゃあ!」

 悲鳴を上げ、よろめきながらも転倒はしなかったようだ。
 人間の方に体を支えられグリムリーパーが起き上がり、ふたり揃って不思議そうな顔でこちらを見てきた。

 何食わぬ顔で女達を見下ろし、アランは告げる。

「もういい。行け」
「は、はあ」

 リーファ達は揃って一礼をし、そそくさと部屋を後にした。

 ふたりが部屋を出るのを見送って、アランは側にあったソファに腰かけた。ふう、と溜息を吐いて俯く。

(…疲れて…いるな…)

 身をもって実感し、自分の表層に現れだした昂ぶりを鎮めようと彼は目を閉じた。