小説
偽り続けた者の結末
 朝食もそこそこに連れてこられたのは、ラッフレナンド城の周囲に点在している小島のうちの一つだ。

 ラッフレナンド城の周囲に広がっているラルジュ湖には、大小さまざまな小島がある。
 女性たちの”禊の島”、王家の者の墓がある”陵墓の島”などがあるが、この島は木々に覆われ、祠が一宇置いてある”名も無き島”だ。

 グリムリーパーの方は食堂でサンドイッチなどを詰めてもらったバスケットを、人間の方は水筒と編み物一式を、そしてアランは薄手の絨毯を持参して島へ上陸した。

 祠側の大きな木の下で、絨毯は広げられた。そこに、バスケットと水筒を置く。

 船着き場には船頭と二人の兵士に待機してもらっているが、今回はヘルムートもシェリーも来ていない。アランとリーファ達だけの、ささやかなピクニックだ。

「人間の体は、寝かせておいても良かったんですけど…」

 絨毯の上に腰を下ろし、人間のリーファは黙々とマフラーを編み上げ始めた。

「編み物があるのだろう?
 そっちの方に今日中に片付けさせて、お前が帰ってきてすぐに私の分に取り掛かれば早いだろう」
「う、うーん。今日中に出来るかな…善処はしますが…」

 グリムリーパーのリーファは、アランの頭を膝に乗せて空を眺める。

 今日は快晴、雲一つない。季節的にやや暑いが、日陰で北からの涼しい風をその身に受けると、なんとも心地よい。

「…邪魔な肉があるな…」

 視界を遮られるからだろうか。アランが不満そうに下からリーファの胸を押し上げる。小さければ文句を言うくせに、大きくても愚痴を零すものらしい。

 ぐいぐいと押し上げられては戻され、リーファの口から溜息が零れた。

「そう言われても…日陰になると思って諦めて下さい」
「この私を惑わす肉を減らす事ができないのか」
「さあどうでしょうか………。
 ああ、気持ち次第で歳は取れるみたいなので、おばあちゃんになれば垂れてくるのでは?」
「よし、却下だ」

 きっぱりと提案を棄却してくれて、リーファはにっこり微笑んだ。

「人間諦めが肝心ですね。
 ───ところで、あちらの祠には何があるんですか?」

 振り返ってリーファは例の祠を眺める。

 やや苔むした石造りの祠で、人が一人入れる程度の広さしかない。扉は閉じているが錠前はついていないようだ。

 アランは、リーファの胸の下に隠れるように膝枕を享受している。アランが言った通り、リーファからもその顔は良く見えない。

「ラッフレナンド城は湖に囲まれた、天然の要塞だ。
 だが城の周囲が落とされた場合、必要に応じて城を捨てなければならない。
 その場合に逃げる道が必要だ」
「…あれがそうなんですか?」
「ああ。
 城の中に脱出路が幾つかあり、多くがこの湖の下を抜けて外側に出られるようになっている。
 あの祠は中継点で、脱出路の出口に敵がいないかを確認する為のものらしい。
 だから外側に鍵はない。内側から閂がかけられているからな」
「へえ…そうなんですね…。では、陛下がその道をご存じなので?
 ───あん、もうっ」

 アランは顔をリーファの腹にこすりつけ、手を腰にまとわりつかせた。遠慮なく尻を撫でまわす。
 触覚と嗅覚でリーファを満喫しながら、アランは嬉しそうに訊ねる。

「教えてやってもいいが…それを聞く覚悟がお前にあるか?」
「え?」
「これは王に関わる機密事項だ。他言は一切許されない。
 側女は疎か、懇意の官僚にも教える事は許されない。
 王家に連なる者だけが知る事を許される。
 …それがどういう事なのか、分かるだろう」
「…それは」

 回答に言葉を詰まらせる前に、アランが嬉しそうに畳みかけた。

「冗談だ」

 アランは寝返りを打って、今度は仰向けに寝そべる。やはりリーファからは表情はよく見えないが、何故だかいつもより饒舌に感じる。

「どの道、私の知っている道は分岐が多くてな。
 歩いてみないと出口には行けないだろうから、口頭ではちょっとな」
「そう…なんですね」

 先の意味深なアランの言を引きずりながらも、リーファは相槌を打つ。
 城から城外へ出る事が出来るのならば、逆に城外から城へと入る事も出来るという事だ。分岐を増やす事で、城外から入りにくくする工夫は必要なのだろう。

「全ての脱出路は王のみぞ知り、王子には一部のみ王から教えられる。
 私の場合は…先王があの有様だったからな。王子時代に教わった東の森の出口しか知らない。
 ヘルムートは北の出口だと言っていた。どちらもここは中継していないようだ。
 末弟のアロイスが知るルートの可能性はあるが………四種類しかない、とは聞いていないからな。このルートは誰も伝え聞いていないのかもしれん。
 王太子として認められていたゲーアノート兄上ならば、全てを伝え聞いていたやもしれんが、───そうか」

 何かを思いついたらしく、アランが頭を起こし、リーファを正面から見つめてくる。

「お前なら、地下に潜って道を把握する事も出来るのではないか?」

 何の事かと一瞬戸惑ったが、リーファはすぐにグリムリーパーの特異性を差していると気付く。

「………非実体化して、ですか?」
「何らかの理由で喪失した脱出路が分かれば良いと思ったのだが」

 期待を込めた眼差しでリーファを見つめるアラン。リーファは顎に指を当てて、唸る。

「多分…できると思いますけど…」
「…何か、問題があるのか」
「非実体化で通り抜けられる場所にも限界があるんです。分かりやすく言うと…。
『この壁を抜ければ空間があるな』っていうのが分かっていないと、抜けられない事があるんです。
 だから、どこまでも地面を潜っていく、っていうのはちょっと難しくて…。
 でも『通れないな』と思った先に空間がある時もあって、本当に気の持ちようだとは思うんですが…」

 子供の様に次の言葉を待っているアランが妙に可愛らしくて、リーファは、ふふ、と微笑んだ。

「ちゃんとこちらに戻ったら調べてみましょうか。
 隠し通路とか見つかったら楽しそうですね」
「この城は歴史が古い。魔術師王国時代の財宝とかもあるやもしれんな」
「そうですね」

 リーファが笑っていると、アランの表情も緩んだのが分かった。
 いつもの仏頂面でもなく、意地悪い笑みでもない、穏やかな顔だ。もしかしたら初めて見たかもしれない。

(わ………珍しい)

 貴重な光景をじっと見つめていたらアランが気にしたらしく、そっぽを向いて再びリーファの大腿に頭を転がした。
 ほんの少しだけ、風に身を預けて心落ち着ける時間が続く。

「…時に」
「はい?」

 アランが腕を上げ、遥か空の彼方を指差した。
 リーファも指の先を目で追いかける。清々しい青空が視界いっぱいに広がっている。

「あの、空の先へ行った事はあるか?」
「ええっとそうですねえ…途中までなら」
「途中…か。やはりどこかで行き止まるのか」
「いえ、逆なんです。空に引っ張られてしまうというか。
 途中までは普通に上がって行けるんですけど、どこからかぐいぐい引き寄せられてしまうんですね。
 川に流される感じに近いですかね。
 だから一度やったっきりで止めてしまいました。…なんか、戻れなくなりそうで怖くて」

 疲れたのかアランは手を下ろし、ほんの少しだけ声音に苦々しさを込めて呟いた。

「川、か………川は、怖いな」
「川、お嫌いですか?」

 失言だったと気が付いたのだろう。そっぽを向いて、やや機嫌を損ねた声音でぼやく。

「…忘れろ」
「あ、はい」

 嫌なものを感じて、ただ相槌を打つのみに留める。

(…そういえば)

 ここ数日のばたばたですっかり忘れていたのだが、アランに聞いておく事があったのを思い出す。
 ただの話のネタで、答えを聞いたところで自己満足にしかならないような話ではあるが。
 しかし『忘れろ』と言われてしまったので、これ以上話題を振るのは危険な気がする。

 リーファは側に置いていたバスケットを開き、中のものを確認する。三人で食べる為に用意してもらったので、少し多めだ。

「サンドイッチ、食べません?具材は、卵とベーコンレタスとツナと…。
 わあ…ホイップクリームとイチゴとバナナがサンドしてあるのもありますね…美味しそう。
 こっちの入れ物には、唐揚げと卵焼きと…果物はブドウもありますよ。
 水筒には麦茶を淹れてもらいました」

 水筒を開けて麦茶をカップに注いでいると、アランは身を起こしてバスケットの中身を覗きに来た。

「………ああ、フルーツのサンドをもらおうか」