小説
偽り続けた者の結末
 夜も更けた頃になって、一つの影が冷たい石畳を通り抜ける。
 供もつけずに灯りも持たず、しかし足取りはしっかりと。牢役人二人が詰め所で椅子に座って船を漕いでいる隙を見計らい、地下へと降りていく。

 拷問部屋へ続く灯りのついた道を、音を立てずに歩き独り考える。

 ───何故、こうなってしまったのか。

 彼女は魅力的な子だ。少し我がままで、思い通りにならないと気性が荒くなる嫌いはあるが、笑うと可愛いし食べ物の好き嫌いも言わない。
 何より、正統なラッフレナンドの血筋を引いた娘なのだ。
 こんな、どこの馬の骨とも知れない男の血も引いているとは思えない程、出来た娘だ。

 亡くした妻には『絶対に幸せにしてみせる』と誓ったから、出来るだけ良い教育を、環境を、と学校にも行かせたし、良い服を着させようと金銭は惜しまなかった。
 彼女の性分は学校の性質に合わなかったからすぐ退学してしまったし、金銭は湯水のように使う癖がついてしまったが、それでも彼女が笑ってくれるならと許容した。

 マルセルとの関係は、好く思わなかった。
 あのふらふらした性格を見ているとイライラした。自分を見ているようだ、などとは思いたくなかった。
 だが、マルセルがずっと彼女の側にいてくれるなら、彼女が笑ってくれるなら、それでもいいかと思い始めていたのに。

 なのに。何故こうなってしまったのか───

 ───かちゃん

 針金で容易く外れた拷問部屋の南京錠を床に転がし、扉を開く。

 拷問部屋には灯りが灯されていない。夜目を利かせて目的のそれを探ろうとした。
 ───直後。

「きゃああああああああっ!!」

 城中に響き渡るのではないかと言える程の絶叫が、拷問部屋から放たれた。

「───っ!」

 あまりの声量に耳を塞ぐが、直後に壁側から動き出す人の影を捉える。
 あれがそうかと、手に備えた物を握りしめた。

(あれがいなければきっと、彼女は認めてもらえる。
 正妃にだってなれる。今より、幸せになれる)

 扉に向かって走り出すそれに向けて、よく手に馴染んだ鈍色の刃を突き出す。
 狙うは、喉元。

 ───ヒュッ!

「?!」

 驚愕と共に異変を感じた。それに到達したはずの刃は、手ごたえを全く受けずにすり抜ける。

 ふらつきながらも走りをやめないそれは慌てて扉を出ようとして、一度だけこちらを振り向いた。

 腰まで伸びる橙の長髪を持つ、瑪瑙色の瞳の女。

(殺す)

 気持ちを切り替えて、それを追いかける。
 幸い先の廊下は一直線だ。距離は二十メートルほど。ナイフの射線上だ。逃げようもない。

 ───シャッ!

 白い囚人服をはためかせ先を行くそれに向け、一本のナイフを投げつける。
 だが。

 ───カチャーン!

「!」

 まただ。確実に背中に突き刺さったはずのナイフは、囚人服に飲み込まれ、直後に石畳の上へと転がった。

(魔女か)

 瞬時に判断した。
 魔女、いわゆる魔術師と呼ばれる連中であれば、納得が行く。
 ラッフレナンドでは見かけた事はないが、他所の国の出身ならいてもおかしくはない。そちらは門外漢だが、もしあれが幻術の類ならこれ以上の後追いは無意味か。

「なんだあ?!」
「何があった!」

 先程の悲鳴に叩き起こされたのか、牢役人二人が地下へと降りてきた。

(まずい)

 拷問部屋の入り口で身を潜め、牢役人らの様子を気配で探る。

「きゃあ!」
「あ、こら!」

 どうやらあれと鉢合わせしたらしく、裸足と靴底二対の足音が通路の奥へと走っていく。
 この先は行き止まりだ。いずれは捕まるだろう。

 自分もこうしている訳にはいかない。あれを捕えた牢役人はいずれ戻ってくるだろうから、急ぎ牢獄を出ておかねば。

(裁判の前に片付けたかったが、仕方がない。
 罪を甘んじて受けると言っていたあれが脱獄しようとしたのだから、心証は多少悪くなるだろう)

 足音を立てずに廊下を抜け、階段を上がる。まだ牢役人達はこちらに気が付かない。
 階段を上がり切り、誰もいない詰め所を横切って、扉を開けて外へ出ようとした。
 その時。

「ぬうん!」

 ───ごしゃっ!

「?!」

 掛け声と共に視界の端から現れた鉄の塊に、体が否応なく押し潰された。

(な───!?)

 地面に叩きつけられた衝撃を痛みとして感じる間もなく、ほんの一瞬だけ意識が落ちた。だが一瞬だ。即座に目を覚まし、不足した情報を補うべく、周囲を見回す。

 監獄の入り口の前で、十人程の兵士たちに取り囲まれていた。自分を押し潰している兵士もその一人だ。

(馬鹿な、早すぎる?!)

 あれの悲鳴は先程聞こえたばかりで、状況を知る牢役人はまだ戻ってこない。
 何が起こっているのか分からない状況で、十人もの兵士をかき集めるのは不可能だ。
 では。

 兵士によって後ろ手で拘束されていると、目の前に一人の男が姿を現した。

 松明に照らされて輝く金色の髪が、風に揺らめく。こんな真夜中だというのに、貴族服を完璧に着こなした藍色の瞳の男。

「人影が気になって後を追ってみたが…これはどういう事か、説明してもらおうか?
 ───ルーサー=ウォルトン」

 この男に謀られたのだと、ルーサーはようやく理解した。

 それから程なくして、ばちゃん、とどこかで水が跳ねた音が聞こえた。