小説
届かない想い、届けない想い
 ラッフレナンド城の北の城壁に埋設されている施設、監獄。
 冷たい地下牢の一番西にある拷問部屋の先に、王が作らせた小部屋がある。

 牢屋を改良した部屋なので、内装は殺風景だ。石畳、石壁は暗く、幾つかの燭台が壁にかけられてはいるが、夜では人の影すらあやふやだ。
 湖が見渡せる換気用の窓は小さく、格子で遮られていて抜け出す事は不可能だ。加えて今は木の板で塞がれていて、中での音や声は殆ど外へ届かない。

 そして部屋の片隅には、大きいベッドが一つある。
 牢屋にあるような貧相なものではない。ヘッドボード付きの革製で、マットレスは体を預けただけ沈み込む、場違いな程の高級感だ。そして側の壁や天井にはおびただしい数の手錠、足枷、首輪がぶら下げられている。

 この城の王アラン=ラッフレナンドは、満足げにベッドを眺め舌なめずりした。
 ベッドには、二人の女性がアランに向けて艶めかしい視線を送っている。

「私の体はお好きに扱って下さい…。
 叩いて下さっても、つねって下さっても、喜んで受け入れます。
 でもどうか…どうか、子種だけは…ココに、いっぱい、下さいね…?」

 一人は、短く刈り揃えられた茜色の髪の、あどけない雰囲気の小柄な女性だ。
 レース付きの白のキャミソールと、フリルのついたランジェリーを身にまとっていて、その体型の幼さを前面に押し出した格好に恥じらい、へその下を艶めかしく撫でている。

「私は陛下のものですから、どうぞ何なりとお命じ下さい…。
 奴隷のように、罪人のように、遊び女のように…。
 陛下に悦んでもらえるよう、気持ち良くなってもらえるよう、誠心誠意、お仕えします…」

 もう一人は、腰まで伸びる橙色の髪の女性だ。
 グラマラスな体型を見せびらかすように、胸の空いた青い薄手のネグリジェをまとってはいるが、ランジェリーは身に着けていないように見える。彼女もまた少し照れているようだが、どこか自信のようなものも見られた。

「アラン様…」
「陛下…」

 ”愛の巣箱”と名付けた部屋で、二対の瑪瑙色の瞳が囀る。燭台に照らされて、アランの小鳥達の影が怪しく揺らめく。

(今宵はどうしてくれようか───)

 目が眩む様な夢心地の中、アランは羽織っていた上着を側の椅子に放り投げた。

 ◇◇◇

「───という感じで、毎晩毎晩お楽しみをした結果、こうなったと。
 ………………馬鹿なの?」

 翌日になって。
 ラッフレナンド城3階西側にある側女の部屋のベッドで、顔を赤くしているアランを見下ろし、ヘルムートは軽蔑を込めた溜息を吐いた。

「一人を相手していると、ごほ、もう一方からもねだられるのだ、げほっ、何度も何度も、ん、んん。
 仕方ないが、ごほ、応えてやらねばならんだろう───ごほっごほっ」

 天蓋付きのベッドに伏すこの国の王は、咳き込みながらもヘラヘラと笑っている。まだまだ元気そうだ。

「…こんな事言ってるけど?」

 ヘルムートが側にいるリーファに訊ねると、彼女は頬を紅くしながら固く絞った濡れタオルをアランの額に置いた。

「…人間とグリムリーパーの、共有感度を上げろと言うんです。
 あっちで触られてる感覚が、こっちにも全部伝わるんですよ。そんな状態でどうしろって言うんですか。
 アラン様の注文通りに動いたんですから、文句言われる筋合いはありません」
「自分が抱かれている様を見ているだけで勝手に興奮するとか、とんだ変態だな。
 ふ、ふふっ───ごほっごほっ、ごほっ」

 咳き込みながらも口数が減らないアランを見下ろし、リーファは片手で顔を覆って溜息を零した。

「…本当に、風邪引いてなければベッドから蹴落としたい気分です…」
「蹴落としていいよ…僕が許そう」

 リーファの気持ちについ共感してしまい、ヘルムートからもそんな言葉がぽろっと出てしまった。実際、そう言われてもリーファはやらないだろうが。

 ───リーファは最近になって、人間の肉体とグリムリーパーの実体化した体をそれぞれ操る、という妙技を編み出していた。

 リーファ自身は、人間の生活とグリムリーパーの仕事の両立を目的としたようだが、アランは夜伽の為に活用したかったらしい。
 それに関しては『どうせそうなると思っていましたから』と、リーファも渋々ながら了承していた。

 しかし、グリムリーパーの事は城の者達に殆ど知らせていない為、厄介の種になりかねない。
『出来るだけ人目のつかないように』と忠告した結果、監獄内の通称”愛の巣箱”で満喫する流れになったのだが───その矢先にこれだ。

「っていうか、何で私の部屋で寝るんですか」

 リーファの不満はもっともだった。

 王の部屋は4階にあり、どの部屋よりも広い間取りになっている。風通しも良いし、人の行き来もない。隣室にはトイレも風呂場も備わっているし、療養するならあちらの方が断然良いのだが。

「お前が世話をしやすいよう、居座ってやっているのだ。
 感謝してむせび───げほっ」
「お世話なら、どこの部屋でも出来ます。
 それなら、1階の医務所に近い、2階の王子時代の私室だって…」
「ここがいい」
「むむむ」

 リーファの唸り声を聞いてアランがにやりと嗤う。熱が出ており咳も酷いというのに、変な所で元気だ。

 実際、アランがこの部屋を気に入っているのは事実だ。
 リーファがここに来る前から、アランは時折ここを訪れてはベッドに突っ伏してぼうっとする、という事をやっていた。もしかしたら王や王子の寝室よりも安らぐのかもしれない。

(あんなに邪険にされたのに、君はその影を追うんだね)

 この部屋の以前の主───銀糸の髪と赤い瞳の女の事を思い出す。が、思い出しただけだ。ヘルムートからは特に感傷めいたものはない。

「ここしばらくはハードスケジュールだったからねえ。
 見合いして無茶な仕事量片付けて、偽者騒ぎにメーノの村のゴタゴタもやっと片付いて。
 スキュラ討伐は結局収穫はなかったけど。肩の荷が下りると体調崩したりするもんさ」
「…仕事は、終わってないのだが。今日は引見が」
「今日の仕事は中止。
 引見は、ジェローム=マッキャロル国務大臣に代行させてるよ。
 まあ、魔王討伐の勇者への支度金授与だけだから、代えは利くさ。
 君は安心して休んでくれればいい」
「む、う」

 ヘルムートの説得に、アランは不満そうに口をつぐむしかない。

「アラン様は早く風邪を治してくれればいいんですよ。
 はい、あーんして下さい」

 薬の支度をしていたリーファは、蜂蜜でとろみのついた薬をスプーンにすくって見せた。
 途端に、アランの顔が渋くなる。

「…苦いか?」
「薬は苦いものです。でも、蜂蜜は足しましたから大分マシだと思いますよ?」
「………」

 アランは体を起こし、リーファが掲げるスプーンをまじまじと見つめる。やがて意を決し、勢いよくスプーンを口に含んで嚥下した。あっという間に、眉間にしわが寄っていく。

「にがい」
「頑張りましたね。もうちょっと食べてみましょうか」

 リーファは唇からスプーンを引っこ抜き、器に残った薬をこそぎ取っていく。

「…後にしたい」
「もうちょっと、もうちょっとですから」
「………」

 アランはすごく不満そうに器を眺めたが───多分、嫌な事は何度も経験したくないのだろう。小さく頷いて、渋々受け入れた。

 リーファは残った薬をスプーンに乗せ、それをアランの口に突っ込んだ。もごもごと唇を動かし嚥下したのを見計らい、スプーンを引っこ抜く。
 器とスプーンをキャビネットの上に置いて、リーファはにっこり笑ってみせた。

「ああ、お疲れ様でした。もう横になってもいいですよ」
「…後で覚えていろ」
「そうですね。元気になったら、また色々聞きますからね」
「………」

 子供をあやすように微笑んで、リーファは落ちた濡れタオルをアランの額に乗せ直した。アランは不機嫌にタオルケットをかぶり、顔の上半分だけ出して睨む。

「………なんか、楽しそうだね?」

 ご機嫌で介護しているリーファを見下ろし、ヘルムートは不思議そうに訊ねた。
 きょとんとした顔で見上げてきたリーファだったが、不謹慎だと思えたのかすぐに苦笑いを浮かべる。

「そんな風に見えました?まあでも、診療所で働いていた頃をちょっと思い出しちゃいましたね」

 ベッドのタオルケットを撫で、リーファは愛おしそうに薄く笑った。

「入院中って、皆不安になるんですよね。
 いつ治るのか、ちゃんと良くなるのか。見舞いは来るのか来ないのか。
 普段できる事が何もできなくなるから、当たり散らされる事もありましたけど。
 でも、ちゃんと言う事聞いてくれて薬も飲んでくれると、何だか嬉しくって」
「入院患者の世話もしてたのかい?」
「あまり長い期間じゃなかったので、調剤や治療には関わらなかったんですけどね。
 荷物運びとか、食事や湯浴みの介助とか、そういうのです。
 だから、あんまりそっち方面を頼られても困るんですけど…」
「………世話をしろ」

 短く発せられたがらがら声に顔を向けると、アランがリーファを半眼で睨んでいた。彼はタオルケットの中に潜りながら、言葉を続けた。蜂蜜を口に含んだせいか少し喋りやすそうだ。

「不安だし、治るか分からんし、何も出来んし、当たり散らしたい。だから世話をしろ」

 何とも子供らしいぼやきだ。いや、子供でもこんな事は言わないだろう。とにかく、アランの余裕がなさが伝わってくる。
 どの道、リーファは部屋を占領されているので、拒否しようもないのだろうが。

「…はい。分かりました。
 頑張ってお世話しますから、ちゃんと言う事を聞いて下さいね」
「………」

 素直に応えるリーファの言葉に、アランはタオルケットに隠れながら黙り込んだ。

「…ま、薬は医務所が手配してくれるだろうから、あとは説明を受けて。
 アランの世話を頼むよ」
「分かりました」

 リーファの返事を聞いてヘルムートは頷き、仕事を片付ける為に部屋を後にした。