小説
ミニステリアリス奇譚
 十分後。
 カーテンで仕切っただけの試着室から、リーファはそっと出てきた。
 はあ、と感嘆の吐息を零しながら、改めて自分の格好を見下ろす。

 少し大きめの白いシャツ、だぼっとした茶色いズボン、足にぴったりな黒い安全靴、革の胸当て、革の籠手、紺色のスカーフを頭にぐるぐると巻いて、女性用のショートソードは腰のベルトに留めてある。
 カーキ色のフード付きマントを身にまとい、如何にも駆け出しの冒険者風だ。

 持っていた赤い宝石と持ち出した手紙は、干し肉、水が入った袋、幾ばくかのお金と一緒にショルダーバッグに詰められている。

 リーファの出で立ちを見て、はっはっは、と店主は快活に笑う。とても満足そうだ。

「いやあ。不良在庫になってた装備が役に立つ時が来るとはなあ」
「あの、こんなに用意してもらっていいんでしょうか?…あの服で」

 リーファが着ていたフリル付きワンピースは、ハンガーにかけられて店頭に飾られている。
 そこそこ良い値段がつけられているようだが、さすがにこのひと揃えの総額には足りないのではないか、と心配になる。

「気にしなさんな。胸当てと籠手は、置く場所が無くて逆に困ってたところさ。
 ショートソードも手入れは適当だから、そうは持たないだろう。
 どうやって稼ぐか知らないが、金が貯まったら早めに買い替えるといい」
「ありがとう…ございます…!」

 店主の厚意に深々と頭を下げると、彼は瞳を潤ませて鼻をすすった。

「良いってなもんよ。
 それでお嬢さん、あんたが行きたいってのはガルバートでいいんだな?」
「は、はい。この手紙には、そう書いてあるんですけど…」

 リーファはそう言いながら、ショルダーバッグから手紙を取り出した。封筒に書かれた差出人の名前は、ガルバートのヴェルナ=カイヤライネン、となっている。

「詳しい事は俺も知らんけど、ラッフレナンド領内でガルバートってんなら、確か東方面だったはずだ。
 横に広い国だからな。かなり歩くと思うが、気を付けて行くといい。
 東の方の町は、朝から歩き始めれば次の町には夕方にはたどり着けるようにはなってるらしい。
 乗り合い馬車が見つかれば、それに越した事はないけどな。
 …いいかい?午後になって日が傾き始めたら、必ず宿を取るんだ。野営とか絶対やめとけよ。
 外で夜盗や獣に襲われるのも怖いが、町中だって変なヤツがいないとも限らねえ。
 ちょっとお高めの宿屋なら、信用問題になるから身の危険はあまりないだろうよ」

 懇々と教えてくれる店主の優しさにしんみり浸る。

(同じ男の人でも、城にいたあの金髪の男の人とは大違いね…)

 リーファは教えられた事を胸に刻み、再び深々と頭を下げた。

「…はい、分かりました。何から何まで…ありがとうございます」
「おう、旅の無事を祈ってるよ。
 ───お、そうそう。ちょっと待っててくれるかい?」
「え、あ、はい」

 リーファが頷くと、店主は店の奥へと引っ込んで行った。

(…そういえば、大罪人なら顔は隠した方がいいのかな…?)

 ぼんやりと待っている間になんとなく気になってしまい、リーファは姿見を見ながらフードを目深にかぶる。

 程なく戻ってきた店主は、その姿を見て、に、っと笑ってくれた。

「お、いいねえ。なんかいかにもって感じだ」
「えへへ」

 店主の満足そうな反応に、リーファもついはにかんだ。

「さあ、こちらへどうぞ」

 エスコートをするように、店主はリーファを店の外へと連れ出した。

 入り口のすぐ側。店の横の細道に、一台の荷馬車がある。
 荷台には幾つかの木箱が載せられており、中身は分からないが少なくとも食べ物ではなさそうだ。言わずもがな、さっきリーファが城からこっそり乗ってきた荷馬車だ。

 荷馬車に乗っていた男性は、恰幅のよい中年男性だ。白髪交じりの茶髪は短く刈られていて涼しそうだ。

 麦わら帽子を被りなおした彼に、店主が声をかける。

「ニークさん。この子なんだが、ついでにマゼストまで送っちゃくれないかい?」

 店主の提案に、リーファは目をぱちくりさせた。

 ニークと呼ばれた男性は、優しそうな笑顔で応じてくれる。

「ああ、構わんよ。どうせついでだ」

 反応に困り店主を見上げると、彼は並びの良い歯を見せつけるようにして笑う。

「ニークさんは、これからマゼストに帰るのさ。
 マゼストって分かるかい?ここから東にある、鉱山の村でなぁ。
 東に行くなら、必ず通らにゃいけねぇ。
 歩いても行けるが、今の時間なら真夜中になっちまう。
 …馬車なら、日が沈む前くらいには着くかねえ?」
「馬鹿言っちゃいけないよ。『飯前には帰ってこい』って母ちゃんに言われてるんだ。
 お天道様が沈む前には、間に合わせるよ」

 と、ニークは店主の発言を訂正してくる。

「だそうだ。さあ、行った行った」

 リーファは店主に背中を思いっきり叩かれ、たたらを踏みながらも荷馬車の前まで歩かされた。

 ニークは御者台の左側をぽんぽん叩いて、リーファを招いてくれた。促されるまま、ニークの横に腰を下ろし、ぺこりと頭を下げる。

「ええっと…よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく、お嬢さん。
 わたしはニーク=アルケマ。ニークって呼んでくれ」

 麦わら帽子を外し朗らかに名乗るニークを見て、リーファは少し戸惑った。

(わ、私も名乗ってもいいのかな…?)

 お尋ね者ならば、大悪党ならば、名乗った途端兵士を呼ばれたりしてしまうのではないか、とちょっと思ったが。

(でも、名乗らないのも失礼だよね…?)

 引け目というよりは、親切にはちゃんと気持ちを返したい、という思いが勝り、リーファは正直に名を名乗った。

「わ、私は、リーファ、です」
「ほお、リーファさんか。可愛らしい名前だ。よろしくね」
「は、はい」

 ニークの反応が悪いものではなかった事に、リーファは安堵した。おまけに可愛らしいとか言われてしまったし、照れ恥ずかしい感情がこみ上げてくる。

「それじゃあ行くかねえ。
 ───ブリアックさん、お元気で。またお願いしますよ!」
「店主さん、お世話になりましたー!」
「気を付けてなー!」

 泣きそうになっている店主に、ニークとリーファで揃って手を振り、馬車はガタゴトと動き出した。