小説
ミニステリアリス奇譚
 長くなりそうだと判断して、リーファはハンカチで口元を拭い、側に置いていたマスクを付け直した。
 羊皮紙の文字をなぞり、言葉を辿って行く。

「『”ワイナミョイネンのハープ”…。
 このハープは、永遠の吟遊詩人と称された大賢者ワイナミョイネンに敬意を表して作られました。
 ワイナミョイネンならカンテレじゃないの?と思った方、申し訳ありませんがわたしはハープ職人ですので、そこはどうかご理解ください。』」
「いや知らねえし」
「そ、そうやって書いてあるんだもの。仕方ないじゃない」

 だが、サンが突っ込みを入れる気持ちも分からないではない。大層な装丁の羊皮紙なのに、これでは友人に宛てた他愛ないメモ書きのようだ。

「え、ええっと続きは…。
 …『大賢者ワイナミョイネンのカンテレを参考に、胴や支柱は樺を、弦は乙女の髪を、ネジは鳥が集めた金と銀を素材にしています。
 勿論それだけだと強度が足りませんので、魔術的補強もしてあります。
 全て特注ですので代替品はありません。修理の際は神楽器制作委員会までお問合せ下さい。』
 ………知ってる?」

 首を傾げてサンを見やると、心当たりがあったらしく、腕を組んで唸り声を上げた。

「あー。なんか聞いた事あるぜ。ブレーヴェの町のどこかにあった秘密結社だとかなんとか。
 数年前に何かあったらしくて、メンバー全員が不審死したらしくって。
 …そういえばあの頃爺さん結構落ち込んでたな…」
「サンのお爺さんの、思い出の品だったのかな…?」
「しまって埃被ってたら思い出もへったくれもねえさ。楽器は使ってナンボだろ?
 …それで、他には何か書いてないのかよ」

 促されて再び羊皮紙を見る。
 途中まではハープの意匠や制作者の感想などが書いてあるが、ここは読み飛ばしても良さそうだ。

 さらに下に目を落とすと、お目当てと思われる文章が視界に飛び込んできた。

「『このハープを奏でて歌い、曲と歌のシンクロ率が八十パーセント以上に高まると、歌い手のイメージが実体化して歌詞に沿った行動を行います。』」
「!」

 サンが息を呑む。先のステージで見たのは、どうやらこれのようだ。

「『周囲の楽器とも相互作用し、楽器の数が多ければ多い程、歌い手の数が多ければ多い程、より鮮明に豪華になっていきます。
 ただし、シンクロ率が八十パーセント以上にならないとイメージの実体化は出来ませんので、奏者歌い手共に精度の高さが求められます。
 シンクロ率を上げるには、歌詞の理解、演奏の正確さ、奏者と歌い手のイメージの調和が不可欠です。』
 ………うん、こんな所かな」

 一通り読み切ったリーファは、羊皮紙をサンに戻した。

 受け取ったサンはしばらく文章を眺めていたが、やがて読むのを諦めたようだ。筒状にくるっとまるめ、ベッドへと放り投げてしまった。
 ベッドの上でポンと跳ねた羊皮紙を見送って、サンは腕を組んで唸る。

「今までああいうのがなかったってのは、そのシンクロ率?が低かったって事なのか…」
「ニークさんのところでいっぱい練習したものね。練習の成果が出てるって事なのかも」

 リーファはマスクを外してジュースを口につけた。渇いた喉にオレンジの果汁が広がっていく。

「目に見えて成長が分かるってのはいいねえ」
「あれがいつも出せるように頑張らないとね」

 気が付けば、サンは食器プレートの中のものを食べきっていた。残ったジュースもぐいっと一気飲みしてみせる。

「そうそう、明日の話でちょっと相談なんだけどな」
「うん」
「ガルバートって村の話をちょっと聞いたんだが、あっちはぶっちゃけ田舎らしくってさ。
 正直ここよりは実入りは少ないんじゃないかって思ってる」

 サンの含みのある言葉に、嫌なものではないが、思わぬ予感のようなものが過った。

「…うん」
「だからオレは、もう少しここで稼ぐか、国外へ行こうかって思ってる。
 ここから北東へ行けば東の国シュテルベントへ行けるし、南にもセグエって町があるらしい。
 セグエの先にも街道が続いてるそうだから、どこかの国に繋がってるはずだ」

 国や町の名前が出てきて、ふわっと都合の良い夢が広がる。

 色んな国や町をサンと一緒に渡り歩いて、新しい歌を覚えたり面白い話を聞いたり。
 苦しい事もたくさんあるだろう。独りならくじけてしまうかもしれないが、でもサンとなら何とかなるかもしれない。そんな気がしてしまう。

「おかげ様でオレの声もだいぶ良くなったから、リーファはガルバートに行ったっていいんだ。
 だが、オレはそっちには行かない。
 オレと一緒に行くか、一人でガルバートに行くか。
 リーファ、あんたが決めてくれ」
「…分かった。ちょっと、考えさせて。明日には、答えを出すから」
「頼むぜ」

 サンは席を立ち、リーファの肩をポンと叩いて来た。そのままクローゼットを開き、宿屋備え付けの白いだぼだぼのシャツを着始めている。

 食器プレートを手に上機嫌で部屋を出ようとするサンに、リーファは声をかけた。

「ん、どこ行くの?」
「ちょっと一杯な」
「…もう、せっかく喉良くなったんだからまた痛めないでよね?」
「はいはい。おかーさんかよ、ったく」

 サンは悪態をつくが、悪い気はしなかったらしい。はにかんで見せて、そそくさと部屋を出て行った。

 部屋に一人残されて、リーファは小さく溜息を零す。

(…私も、どっちでもいいかなって思ってるんだよね…)

 ガルバートに行っても、目当ての人物に会えるか分からない。
 約束もしていないから、急に行っても相手を困らせてしまうだけになってしまうかもしれない。

 思い出せない記憶の手掛かりになればと思って勢いでここまで来てしまったが、最悪戻らないかもしれない。それなら、いっそ新しい生き方を探すのも一つの道だ。

(でも…)

 しっかり完食したリーファも席を立ち、クローゼットから自分の手荷物を取り出した。
 つきはぎされたショルダーバッグの中から手紙を取り出して、目を通す。

『貴女の声が忘れられなくて、こうしてペンを取りました。お元気ですか?』
『今朝、貴女の夢を見ました。笑って下さる姿がとても可愛らしくて』
『貴女の事を思い出して、アップルパイを作ってみました。兄にも褒めてもらえて、会心の出来だったと思います。』
『寄る辺がなければ、どうぞガルバートへ。大切な女性としてお迎え致します。』

 何通かある手紙の一部を見ていても、顔が紅潮していくのが分かる。
 ヴェルナという名前は女性のようだが、書いてある言葉を読んでいるとまるで男性に口説かれているような気分になる。

 この人の言っているリーファは今の自分ではないけれど、一度どんな人なのか見てみたい。そんな気持ちも湧いてしまうのだ。

 体を冷やすべく、残っていたオレンジジュースを飲み干した。じわりと、喉の奥に柑橘の酸味が過ぎていく。

(サンと一緒に行くか、ガルバートへ行くか───明日までに決めないと)

 今日は眠れるだろうか少し心配になりながら、リーファは食器をテーブルの隅に動かして、ショルダーバッグの中からノートと鉛筆を取り出した。

 マゼストの村を出る際に、道具屋で購入したものだ。
 最初はニークに教わった歌詞を忘れないように書き留めていたのだが、ページが少し余ったのでその日にあった事も文字にして記録している。