小説
ミニステリアリス奇譚
 昼の時間を幾分か過ぎた頃合になって、アラン達を乗せた箱馬車はビザロの町に到着した。

 町に入ってすぐの所にある駐留所に箱馬車を預け、シェリーとアランは町へと繰り出した。兵士と御者は駐留所で待たせている。

「ヘルムート様だけで大丈夫でしょうか…」
「お前が行っても、あの”瞳”の前では役には立たん。
 ここからならガルバートまでそう遠い訳でもない。結果はすぐに分かるさ」

 ヴェルナ=カイヤライネンは”リリスの瞳”という才を持っていて、目を合わせた者を魅了する力がある。
 かつて、アランの見合い相手の女性としてラッフレナンド城へ来た彼は、リーファとヘルムート以外の者達を虜にしてみせたのだ。
 その為、”瞳”の効果が現れなかったヘルムートに馬を使わせ、ガルバートまで行かせている所だ。

 リーファが見つかり連れ戻す事が出来れば良し。
 ガルバートにいない、もしくはいても連れ戻す事が出来なければ、ヘルムートはビザロまで戻ってきて状況を報告する。と、そういう流れになっている。

 そしてアラン達は、ヘルムートと落ち合う為の宿を探していた。
 宿場の野宿が思ったよりも体に堪えたので、出来れば品の良い広い宿が望ましい。

「あなたの心は離れて消えた、気高く微笑む月桂樹ー」

 どこかで、歌声と共にハープの音色が聴こえる。

 見やれば、通りに宿が一件あるようだ。大理石でしっかり作られた、2階建ての宿屋だ。
 入り口の上に飾られた看板を見上げると、ジャガイモに囲まれて一つリンゴが描かれている。名前は”大地のリンゴ亭”と読めた。

「夜霧と霞に絡めとられて、もうこの想いは届かないー」

 ハープの腕は悪くないが、歌の音程が所々ずれているような気がする。というか、自身の声が歌に合っていないのではないかと感じた。

(安宿ではそんなものか)

 宿屋の規模を見ても、この人数でここに泊まるのは難しいだろう。他の宿を当たろうかと考えていると。

 ───ご!

 大分派手な音が、宿屋から聞こえてきた。

 何事かとシェリーと顔を見合わせ、通りに面した窓から中を覗く。

 1階は、食事と芸を披露できるステージを設えているようだ。昼食の時間を過ぎている為かテーブルに人はいないようで、ステージに男女の姿があった。

 一人はこの店の者だろうか。エプロンを付け黒髪をコック帽で隠した中年の男だ。
 そしてもう一人は、ハープを持った黒髪の女のようだ。

 まさに今、中年男が女の脳天にチョップを食らわしたと言わんばかりのポーズだった。女はその場で蹲り、痛みに体を震わせている。

「駄目だ!全っ然ダメ!そんなんじゃ、ステージに出してやれねーよ!」

 中年男の評価に、すぐに女は顔を上げて抗議してきた。

「なんでだよ!ハープの腕は悪くねえだろ?!」
「演奏はな。しかし、歌がダメじゃ彩りにならんだろーが!
 歌唄いの嬢ちゃんを連れてきたら考えてやってもいいが、お前さんだけならステージは貸せん!
 ほら、余所に行った行った!」

 あしらわれてしまった女は、しばらく中年男を睨みつけていたが、やがてハープと自分の手荷物を抱えて宿屋を飛び出した。窓で見ていたアラン達の横を抜けて、町の中央の方へと逃げていく。

「くっそー!覚えてろー!」
「もうちっとマシな歌が唄えるようになったら来いよー」

 中年男は店先に出て、走っていく女を見送る。
 そして、店の中を見ていたアラン達に気が付き、愛想よく声をかけてきた。

「いらっしゃい!宿をお探しですか?
 ”大地のリンゴ亭”はどこの宿よりも飯が美味いと評判でして、よろしければ席をご案内致しますよ」

 アランの側に控えていたシェリーが一歩踏み出て、中年男に微笑みかける。

「ありがとうございます。今ビザロに入ったばかりで、色々見てから宿を決めたいと思いますわ。
 ───ところで、今の子は?」

 彼は頭を掻いてみせて、女の走って行った先を見やった。

「ああ。お恥ずかしい所をお見せしまして。
 …昨日から来た旅芸人の女の子達にステージを貸していましてね。
 さっきのサンって子がハープ担当で、もう一人歌唄いの子がいたんですよ。
 評判がよかったから、しばらくステージを預けてもいいかなーと思ってたんですが…。
 歌唄いの子の親戚がこの町にいたとかで、家族を探していたその子とはペアを解消したみたいで」

 アランにとってはどうでもいい、他愛ない世間話だった。早く他の宿を取りたいのに、シェリーが話を振った理由が分からない。

「それでソロになったハープ担当に歌わせていて、ああなったと」
「一度良い歌を聴いちまうと、皆それを求めちまいますからね。
 仕方がないんです。歌唄いの子の声が良すぎた。
 ───しかし良い声だったなあ。
 当面はここで暮らすでしょうから、また遊びに来ちゃくれないかなあ。
 ええっと…リーファって言ったっけかな?」
「「?!」」

 探し求めていた女の名前が耳を掠め、アランの目は大きく見開かれた。驚愕の表情を中年男に向けてしまう。

「え?あ、あの?」

 前にいるシェリーも似たような顔をしていたのだろう。急に顔色の変わったこちらを交互に見て、中年男は怪訝な表情をしている。

「リーファと、名乗りましたか?その歌唄いの女性は」
「は、はあ」
「肩まで伸びた赤…いえ、茜色の髪の?」
「…お客さん、あのお嬢ちゃんのお知り合いか何かで?」
「急ぎの用が出来ましたので失礼いたします」
「え?え?」

 シェリーは恭しく頭を下げたと思ったら、颯爽と駆け出した。
 よく分からないでいる中年男を取り残し、アランもシェリーを追いかける。

 ヒールのない靴とは言え、シェリーは走りに向いていないメイド服姿だ。アランは貴族服だが動きやすいものを選んできたし、すぐにシェリーに追いつく。

「シェリー。お前まさか、分かってあの男に声をかけたのか?」
「まさか。
 しかし吟遊詩人で女性なら、同性の旅人を気にするかもしれないと思っただけです」
「…そうか」

 ここ数日街道を見ていて、確かに女性だけの旅人は殆どいなかった。手掛かりを感じたと思ったのだろうが、まさかの大当たりだとは。

「しかし歌唄いをしていたとは。練習していた時は酷い有様だったというのに」
「記憶喪失で音痴が治るなどという事があるのでしょうか」
「私が知るか」

 道行く旅人や住民の間を縫い、唯一の手掛かりを持つ吟遊詩人の女をふたりは追いかける。