小説
ミニステリアリス奇譚
 中央広場に比べれば、北の通りはとても物静かだ。
 人が通らない訳ではない。家屋から人が顔を出すし、はしゃぐ子供たちの姿もある。馬車の行き来もそれなりにあるようだが、西の通りに比べて生活のランクが少しばかり低く感じた。

 両開きの鉄柵扉を開け、アランとシェリーは教会の敷地内に入っていく。左側に平屋の宿舎が、正面には背の高い教会がある。見渡す限り、人の気配はない。

 教会の扉を開けて中に入る。

 高い天井、赤い絨毯の広がる身廊、木製の祭壇の後ろに女神の像が置かれていて、一般的な教会と構造は変わらないようだ。このビザロには腕の良い彫刻職人がいたらしく、天使のデザインを好んで彫った経緯もあり、柱頭からステンドグラスまで天使の姿が形作られている。

 祭壇のすぐ側に、くすんだ赤銅色の髪を持つ一人の牧師が佇んでいた。まるで来訪を知っていたかのようだ。

「お前が、この教会の牧師か?」

 棘のあるアランの問いかけに、牧師は穏やかな笑みを浮かべた。

「御機嫌ようお二方。今日はどういった御用かな?」
「リーファという名の女を知っているな?」
「…ふむ。聞いた名前だね。そして知った名前でもある」

 顎に手を置いて勿体ぶった言い方をする牧師に対して苛立たし気に睨みつけると、シェリーが前に出て弁解した。

「会わせては頂けませんか?わたし達はリーファ様の誤解を解きに来たのです。
 そして可能であれば、ラッフレナンド城へ連れて帰りたいと思っています」

 壮年の牧師の眉根が吊り上がる。

「ほう、誤解。そして連れて行きたいと。
 しかしその誤解は今この場で解く事は難しいだろう。連れて行く事もね。
 何故ならここに彼女はいないから」
「答えるつもりはないと?私が誰か知らないと見える」

 アランは腰に帯びていた剣を白い鞘から引き抜く。

 しかし牧師は、白銀の煌めきを見ても朗らかに笑うだけだ。我が儘を言う子供を説き伏せるような物言いで、アランを窘める。

「おやおや。そんなものを出してどうするんだい。
 女神が見守るこの場で、敬虔な僕に剣を突き立てるつもりでいると?
 それはやめておいた方がいい。仮に一国の王であったとしても、そんな事をしたら良い死に方をしないよ。
 …というか剣などで、わたしを傷つける事はできやしないんだから」

(風貌とリーファの縁者という話で大体の予想はしていたが…)

 仮説が確信に変わり、アランは舌打ちをして剣の切っ先を落とした。

「…グリムリーパーか」

 何か面白いものを見たかのように、牧師の唇が吊り上がる。

「おや、まさかご存じとは。
 いや、だがあの子を追ってきたのなら、それも納得か」
「お前のような者が、何故教会の要職に就いている」

 牧師は不思議なものを見るような目でアランを見つめ、小首を傾げる。

「何か問題が?魂が救済を求める所、我々がいるのは当たり前じゃないか。
 それに、これと言ってやましい事はしていないのだがね。
 ちゃんと神学校には通ったし、前任者から引き継いでもいる。
 まあ、我々はほんの少し寿命が長いから、定期的に住処を変えねばならない問題はあるが、問題があるとしたらそれだけなのだよ」
「人に危害を加えるつもりで駐留している訳ではないのですね?」

 シェリーの念押しに、牧師は胸に手を当てて目を伏せた。

「もちろん。こちらにおわす女神に誓って」

 その仕草をしばし細目で見ていたシェリーだったが、やがて諦めた様子で、はあ、と溜息を零した。

「そうですか、分かりました。───アラン様、剣をお納め下さい」
「…お前はあんな得体の知れない奴の言葉を信じるのか」
「そのお言葉、リーファ様にも言えますか?」
「───っ!」

 痛い所を突かれ、アランが言葉を詰まらせる。

 グリムリーパーが、人間にも魔物にも中立であるとは聞いている。
 グリムリーパーの責務───魂の救済の為に、教会関係者や墓守などの立場を取るのは自然な流れとも言えた。同時に、人間とは長らく慣れ合えないのも分かる。

 そもそも、アランの”嘘つき夢魔の目”を通して見た牧師は、嘘を示す黒いもやを映していないのだ。嘘をついていないのは分かる。
 分かるのだが。

「…何故ああも、胡散臭いのだろうか」
「そう言われても…」

 同じ事を考えていたのだろう。困ったようにシェリーは肩を竦めた。

「グリムリーパーはアクが強いと、リーファ様も以前仰っていましたし。
 種族的な性分なのだと、諦める他ないでしょう。
 そもそも、牧師様は質問に対してはちゃんと答えを返して下さっています」
「そうそう」

 茶化すように笑う牧師を見て、アランは更に眉間のしわを濃くした。

 アランが渋々剣を鞘に納めると、シェリーは牧師に訊ねた。

「事を荒立てるつもりはありません。
 リーファ様の居場所を知りたいのですが、牧師様は教えて下さるおつもりは?」
「構わないが」
「だったら教えて下さいませ。出来れば、詳しく」
「詳しく、か。なかなか難しい事を言うね………まあいいか」

 そういうと、牧師は教会の祭壇の少し右の壁の方を指差しつつ告げた。

「ここより北北東。
 勧めないが、徒歩なら一年と四ヶ月と十日と三時間ほど通しで歩き続けた場所に城がある。
 徒歩で、と言ったが、途中海を挟むから全部徒歩で行く事はできないよ。
 ついでに言えば、切り立った雪山に囲まれているから馬車は使えない。
 ふもとへ降りる風が強いらしくて、鳥もあそこへは近づきもしない」

 うんざりした様子でシェリーは表情を歪ませた。

「そ…そんなところにいらっしゃいますの?」

 本当に徒歩でそれだけかかるのか分からないが、相変わらず黒いもやが見えないという事は、少なくとも牧師自身はその事を信じているという事なのだろう。

 アランはふと気づいた。遠方、雪山、生き物の住めない土地───心当たりと言ったら一つしかない。

「グリムリーパー王の城か」
「おや、よく知っているね。そう、ラダマス様の居城だ」

 牧師は満足した様子で、何だかよく分からない拍手を送って寄越した。

「…アラン様、行く方法はご存じですの?」
「あの時は魔王の娘が持っていた何とか…の腕輪とやらで行かされたからな。
 リーファなら持っているかもしれんが…第一、使い方が分からん」

 分かり切った話だ。現状、そこまで行く方法をアラン達は持ち合わせていなかった。
 しかしシェリーは牧師の方へと向き直り、牧師に食い下がる。

「牧師様。あなたのお力で、なんとか連れ戻して頂けないでしょうか?」
「なんとか、とは具体的にどうしろと?」
「どうって…」

 言葉を詰まらせるシェリーに、牧師は畳みかけるように続ける。

「彼女は納得してラダマス様の下へ行ったからね。
 彼女が納得する材料がなければ、わたしとて連れ戻す事はできない。
 大体、同胞であるあの子ならまだしも、君達をわたしは一片も信用していないのだよ?
 わたしは未だに、君達がリーファを処刑してしまうのかもしれない、とちょっとだけ思っている」
「そ、そんな事は───」
「言い切れるかね?
 わたしも生を受けて随分経つが、人間と言うのは実に不思議な生き物だ。
 事実をそれとは異なる史実に日々改ざんし続けているというのに、自然と事実を繰り返す」
「…何の話だ」

 アランの問いかけに、牧師の顔から笑みが消えた。
 その表に出ていない表情からは、失望、軽蔑、諦観───そんなものが感じられる。

 首を横に振り、牧師は口を開いた。

「これは答える義理はないな。
 君達の歴史を読み解いて、自由に解釈するといい」
「………………」

 言葉からもにじみ出る明らかな拒絶に、アランもシェリーも黙り込むしかない。

 ───ぎいぃ…

 沈黙が広がる中、教会の正面の扉を恐る恐る開けてきた者がいた。黒色のシスター服を着た女性だ。

「ハドリー牧師。家族集会へ行く支度が整いました」
「おお、シスター・ブラウン。ありがとう」

 今しがたの神妙な顔つきから打って変わって、牧師は朗らかな笑顔をシスターへ投げかけた。
 シスターは少し照れた様子で頷いて、扉を開けたまま教会の外へと姿を消した。

 牧師は祭壇に置かれていた分厚い教本を小脇に抱え、身廊を歩いてくる。
 アランとシェリーの所で一度止まって、ふたりに顔をそれぞれ向けた。

「さて。質問は以上かな?
 これ以上ここにいても、君達にもわたしにも得する事は何一つないと断言してもいい。
 …帰りなさい。できるだけ早く。
 大切な国に、闇の帳が降りてしまう前に」

 ふたりの横を抜けて教会の外へと出て行く牧師のその言葉は、優しさに満ちていたが同時に不安も内包していた。