小説
ミニステリアリス奇譚
 ビザロの最高級ホテル”黄金の杯亭”。
 町の南東の一区画を丸々使った広大なホテルは、大理石をふんだんに使った建物、最高級の調度品、広い庭、そして舌の肥えた貴族すらも唸らせる料理の数々と、まさに一級品のホテルである。

 ヘルムートは、ここを今夜の宿にするとは思っていなかった。
 もう一ランク下の宿にすると思っていたのだ。翌週の視察の宿に予約をしていたはずなので、短い期間に何度も行くのはどうなのだろう、と考えてしまった。

 ガルバートから戻ってきたヘルムートは、駐留所にいた御者と合流し、共にホテルの廊下を歩いて行く。
 大体の事情は御者から聞いていた。だからアランの消沈している姿を見ても、大して驚かないと思ったのだが。

「うわあ」

 頑張って、驚かなかったと思いたい。しかし声だけは出てしまった。

 部屋のグレードはラグジュアリーあたりだろうか。
 右側にはベルベッド生地の天蓋付きベッドが置かれており、右奥はバルコニーになっているようだ。
 左側には暖炉とテーブルが置かれており、ちょっとした打ち合わせくらいは出来そうだ。左奥はトイレ付きバスルームが備わっているらしい。

 そしてアランは、テーブルに突っ伏してしんなりしていた。目を伏せて俯いているシェリーが側に立っていなければ、テーブルのシミかと勘違いしたほどだ。

 ヘルムートは、後ろで控えていた御者と兵士達に声をかけた。

「君たちは自分の部屋へ戻っていてくれ」
「かしこまりました」

 御者と兵士は一礼して、廊下を後にする。どうやら階下に部屋を取ったらしく、彼らは階段を降りていく。

 扉を閉め、アランの席の向かいの椅子に腰かけた。シェリーに声をかける。

「話は聞いたよ、お疲れ様。
 お互い、徒労に終わっちゃったみたいだね」
「ヘルムート様も、お疲れ様でした」
「ああもう、本当に疲れたよ。ヴェルナに散々罵られちゃったんだから。
 こちらのキッツイ訛りこみで、『ふざけんな!一体あんたらは何をやってるんだ!』って」
「ほ、本当にそんな風に仰ったのですか?あのヴェルナ様が」

 シェリーが懐疑的になるのも無理はない。ヘルムートですら光景を目の当たりにして、これがあのヴェルナかと目を疑った程だ。

 少し切ったのかウィッグだったのか、以前見た時よりも髪のボリュームは控えめになっていたし、厚化粧もしていなかった。男物の貴族服を着崩して、必要がなくなったからか胸に入れていたらしいパットもなかった。
 その為、下品な程にグラマラスだった以前と比べて、今日の彼はスレンダーで逆に好感が持てた程だ。

「あれが彼の地なんだろう。普通に男物の格好をしてたしね」
「あの方が男性だったなんて、まだ信じられませんわ…」

 シェリーは頬に手を当てて肩を落とす。
 ヴェルナがラッフレナンド城に来た時、シェリーは真っ先に彼の”瞳”に魅了されてしまったのだ。未だ、あの長身グラマラスな魅惑の美女のイメージが付きまとっているのだろう。

「まあ僕は、自分の用事が一つ片付いたから、全くの徒労でもなかったんだけどさ。
 ───御者から大体の話は聞いたけど、もう少し詳しく教えてくれるかい?」
「はい」

 アランは未だテーブルに伏したまま動かない。
 シェリーはぽつりぽつりと、今までの出来事を話し始めた。

 ◇◇◇

 一通りの事情を聞いて、ヘルムートはひとしきり唸り声を上げた。
 こうなる事が分かっていたなら、わざわざ城の外へ出なくても良かったのでは、と思わずにはいられないが、何にしても後の祭りだ。

「グリムリーパーの城かー。さすがに行くのは非現実的すぎるなぁ」
「この場合、リーファ様の無事が分かっただけでも良しとするべきでしょうね」

 確かに、リーファにとってグリムリーパーの王の城は一番安全な場所と言えるだろう。行った事がある訳ではないが、少なくとも彼の城の主はリーファを大切にしていると聞くし、こちらとしても場所が把握できているのは良い事だ。

 側女不在を快く思っていないヘルムートとしては、早く記憶が戻って帰ってきて欲しいのだが、こればかりはどうしようもない。

「…しかし、グリムリーパーが牧師をやってるとはなあ…。
 まあ、魂を回収するなら打ってつけなんだろうけど…なんか、気持ちいいものじゃないなあ」
「リーファ様が、ラッフレナンド城下の魂の回収を任されているそうですから…他の町も、そうなっていると考えるのが妥当なのでしょうね。
 ハーフばかりがいる訳でもないでしょうから、恐らく純血のグリムリーパーが人に交じって生活しているのでしょう。
 ………彼らも大変なのでしょうね」

 妙に同情的なシェリーが気になって、ヘルムートは揶揄うように冷笑した。

「ふふ、シェリーは、グリムリーパーがいる事を否定しないんだね?」
「リーファ様まで否定したくはありませんもの。
 ここの牧師も…胡散臭くは感じましたが、町の方々と友好を築いているようですし。
 人間とて、良い方も悪い方もいらっしゃいます。ならば…と思うべきかと」

 シェリーは、リーファの事に関しては肯定的だ。
 貴族の娘という窮屈な立場、エリナという師を持った結果、無駄に気位の高い居丈高な者をシェリーは好まない傾向がある。面と向かって歯向かう事はないにしても、好んで側にいない様子は傍目から見て分かりやすい。

 一方リーファは、グリムリーパーと人間のハーフである事に肩身の狭い思いをしているようだし、魔術の素養もある。控えめな態度に庇護欲が掻き立てられるのも頷ける。

「僕は…その考え方はあんまりないんだよねー。
 最近まで、身の回りには人間しかいないと思っていたから。
 それが、町中にグリムリーパーはいるし、サキュバスが襲撃してくるし、魔王とは顔を合わせるし…。
 本当、リーファが来なければこうはならなかったと思ってるよ」
「…何か、『リーファ様が城に入らなければ良かった』と聞こえた気がしたのですが?」

 シェリーの不穏な物言いに、ヘルムートは肩を竦めて応えた。

「否定はしないよ?」

 そのおどけた姿勢に、シェリーは少なからずショックを受けたようだ。

「…わたし、ヘルムート様はリーファ様に対して好意的なのだと思ってましたわ」
「ここ一年魔物絡みでごたごたしているのは、リーファがきっかけだっただろう?」
「そんなリーファ様に助けられた事も多いでしょう?」

 痛い所を突かれ、ヘルムートは思わず苦笑いを浮かべた。

「それを言われると弱いんだよなあ。
 僕はただ、波風を立てたくないだけなんだよ。アランの治世は穏やかであってほしいんだ。
 …今まで何事もなく過ごしていたのに、リーファが来てから急に慌ただしくなってしまった。
 それによって良かった事もあるんだけれどさ。
 このバタバタが良くない方向に進んでいかないか、心配なんだ」

 ヘルムートの述懐を、シェリーは心底呆れたようだった。

「らしくもない。リーファ様おひとりがいただけで国が傾くはずがありませんわ」
「…全くだ」

 思わぬところから声が聞こえて、ヘルムートは視線をテーブルに落とした。