小説
ミニステリアリス奇譚
 宿場を越え、アーシーの町を越えた。
 夜中に差し掛かるまで馬を走らせるなど自殺行為にも等しかったが、幸い空には雲一つなく、煌々と満月が降り注ぎ、道行きを照らしてくれた。
 馬も気持ちを察してくれたのか、不調を訴える事無く、アランを導いてくれた。

 道中は星と月の流れを読み、ラッフレナンド城下へ到着する頃には朝日が上がっているだろうか、と考えたが───そうはならなかった。
 マゼストの村を通過したあたりから、暗雲が立ち込めだしたからだ。

 城下へ辿り着くと、日光を遮る程の厚い雲がラルジュ湖の周辺全域を覆うほどに広がっていた。雨は降っていないが、雷の鳴く音が上空から聞こえてくる。
 これが亡霊と関係があるかは分からないが、光景だけであれば亡者の都に相応しいかもしれない。

 城へ続く城下の大通りを、ゆっくり馬に歩かせる。

 人の姿は既にない。混乱の中避難をしたのか、店の多くは開け放たれたままの状態になっていた。
 八百屋らしき店の周囲には果実や野菜が散乱しており、踏み潰された跡が其処此処で見られた。もしかしたら火事場泥棒がいたのかもしれない。
 燻ぶった臭いが鼻に突いたが、火が上がっていない所を見ると火消し自体は済んでいるようだ。

 暗雲を照らすように舞うのは、白い帯を垂らした球体の魂達ばかりだ。いつか本城で見た、あの禍々しい亡霊の姿はない。

 リーファが以前言っていた事を思い出す。

(白く発光した丸いものを”魂”と、人の形を成したものを”亡霊”と、巨大化した頭蓋骨のようなものを”大亡霊”…と呼んでいたか)

 近衛兵の報告とは異なっているが、そもそも一兵士が魂の種類など知りえるはずもない。
 想像よりは酷い有様ではない、と一旦は安堵する。

(亡霊は生気を吸いに人間を襲うのだったか。そこまで至ったものはないようだが…。
 しかしいずれは大亡霊となり、本格的に暴れだす…と見るべきか)

 時折アランの側に寄ってくる魂もいるが、口も耳もないそれらは少しの間まとわりついたかと思うと離れていく。あの状態だと会話もままならないというから、仕方がないのかもしれない。

(少し前まで、あんなものにすら怯えていたと思うとな)

 魂を見慣れてしまったという事実に、アランは苦笑いを浮かべた。その原因がここにはいないリーファの所為だというのが、殊更おかしかった。

 やがて、湖の手前にある城下門が見えてくる。

 城下門は、城下とラルジュ湖を仕切る為のもので、防衛には適していない。大理石の柱に挟まれ、両開きの鉄柵扉が先の石橋への侵入を遮る程度だ。
 屋根もついていないので雨風も日差しも防げず、衛兵の中では嫌われがちな配置場所だった。

 今は鉄柵扉は閉ざされているが篝火は置かれており、扉の向こうには兵士や神父らしき姿があった。

(石橋へは、魂達は侵入していないのか…。
 清め、とやらが効いているのか?)

 宙に浮いている魂達なら、湖を越えて城内へ入り込みそうな気がしたが、そうなっていない事に訝しむ。

 鉄柵扉の前まで到着すると、アランに気が付いた兵士の一人から警戒を込めた誰何が放たれた。

「な、何者か!」
「馬鹿者が!王の顔を忘れたか!!」

 馬上で放たれたアランの一喝は、静寂に支配された城下中に響き渡る。

 王が単身で馬に乗って帰ってくるはずがない、と思われてしまうかと一瞬不安になったが、兵士達は動揺しながらもアランの姿を認めたようだ。

「へ、陛下!?も、申し訳ありません!」

 兵士達は、慌てた様子で扉の錠を外した。開門して、馬から降りたアランを招き入れる。

「陛下、よくぞご無事で…!」
「ああ、問題ない。
 近衛兵より話は聞いている。急ぎ、今後の対策について打ち合わせをしたい。
 動ける官僚を謁見の間に集めるよう、通達を出してくれ」
「わ、分かりました」

 魂達を警戒してか、背後で兵士達が鉄柵扉を閉じている。指示された兵士のみ、走ってラッフレナンド城へと入って行った。

 見慣れた自分の城をぼうっと仰ぎ、アランは目を細める。

(…さて、どうしたものか…)

 ここまで来たは良いが、恥ずかしい話未だ無策のままだ。魂の知識を持ち合わせている人間など、そう多くはいないのだから当たり前ではあるが。

(出来うる限りの事はせねばな…)

 アランも馬の手綱を引き、ラッフレナンド城へと歩いていく。