小説
奇譚・その後日談───”嘘つき夢魔の目・1”
 ───コンコン。

 ラッフレナンド城2階の執務室の扉を、ノックする音が聞こえる。
 書類に目を通していたアランが顔を上げると、扉越しに衛兵が用件を伝えてきた。

「失礼致します。陛下、行商の者が見えています」
「ああ、通してやれ」
「はっ」

 衛兵は扉を開け、後ろにいた小柄な少女を執務室へと招いた。

 波打った金髪に宝石のような紅い瞳、まだ十歳ほどの少女は、幼さの中にどこかふてぶてしさを感じさせる表情を拵えている。
 フード付きのマントを羽織っていたようだが今はそれを脱いでおり、白いブラウスにコーヒー色のベストとハーフパンツを着ている。地味な格好だが着ているもの自体は新品のようだ。

 扉が閉じられると、少女は荷物の入った大きな麻袋を赤い絨毯の上に置いて優雅にお辞儀をしてみせた。

「王様、ご機嫌麗しく。お加減いかがでしょうか?」

 だがアランは別段反応を示さず、机に広がっている書類に目を通してサインを記していた。

 少女───リャナも、特に反応が欲しかった訳ではないらしい。は、と短く息を吐き、謙遜など微塵も感じさせない口調で話しかけてきた。

「リーファさんは?」
「あれなら外へ遣いに出している。じきに戻ろう」
「じゃああたしリーファさんの部屋に行くけど。なんでここに呼ばれたの?」
「決まっているだろう。リーファに渡すものを検める為だ」
「お客様にお渡しする物は、シュヒギムがあるんだけどなー」
「金を払うのは私だぞ」
「うそつけ」

 あっさり嘘だと断じられ、アランは不機嫌に眉根を寄せた。

「言い切るか」
「王様からうその色がにじみ出てるからね。半人前だけど、まがりなりとも夢魔なんですから」

 ”夢魔”の言葉に、アランの表情が少し揺らいだ。

 リャナは、サキュバスと呼ばれる夢魔の一種だ。夜、寝ている男のもとへ忍び込み、精を搾り取る魔物───と言われている。

 夢魔の生態はさておき、リャナはリーファの知己である事をきっかけに、気が付けば城内で訪問販売の真似事をしにちょいちょい来ている。
 魔物を城に招くなど大問題なのだが、これが持ち込む道具がそれなりに有用である為、最近は手放しにくくなっているのも事実だ。

「まあ、別に言ってもいいんだけどさ」

 何故かリャナは、早々に発言を撤回してみせる。
 あっという間の方針転換に、アランは眉間のしわを深くした。

「…守秘義務はどうした」
「リーファさんから、聞かれたら答えていいよって言われてるから。
 王様、きっとあれこれ難癖つけて聞きたがるから、って」
「………」

 アランの気持ちを汲むリーファを褒めてやるべきか、『もう少し言い方を考えろ』と叱るべきか。どちらにしても、不満がアランの顔を渋くさせる。

 一方リャナは、部屋にあるソファに袋を置き、荷物の中から幾つかの小瓶をテーブルへ置いていた。
 アランがリャナの向かいのソファに座ると、少女は一つ一つ説明を始めていった。

「こっちの薬は傷消しの軟膏。治りにくい傷跡を消すお薬ね。
 見えなくするだけで、傷が治るわけじゃないやつ。
 ぬればすぐに効果があるから、急ぎ傷を消したい時に使うのよね」
「何故そんなものを」
「王様がケガさせてるんでしょ?よく知らないけど」
「…まあ、あるな」

 用途を想像してふふんと笑ってやると、リャナが心底嫌そうに舌を出した。

「なにそれ。きもちわる。
 …魔術で傷を治す事はできるけど、傷跡は結構残るんだから。
 ただあんまり魔術に頼ると、いざって時に自分で自分を治す体の力が働かなくなるんだ。
 こういうのを使ってる人は結構多いよ。あたしも使うし」
「お前が何故使う」
「もうっ、あたし戦士なの!パパの片腕目指してるんだから!
 剣術や魔術の訓練すれば、怪我するに決まってるでしょっ?
 …でも、パパに傷だらけの体見せられないじゃん。そんな事したら『女の子なのに』って説教されちゃう…」

 敵対している国の城に正面から侵入して、兵士達を混乱させた挙句王に剣を向けた実績のある子供が、傷だらけの体を恥じるとは奇妙な話だ。
 アランが女心を理解できないのか、リャナの考え方がおかしいのか───いずれにしても。

「…どうでもいいな」
「だったら聞くな、ばーか」

 この小娘の罵倒を真に受けていたらキリがない。悪態をつかれたが、アランは無視した。気を取り直して、一番近くに置いてあった小瓶を手に取る。

「それで、こちらの瓶は?」
「栄養剤。飲み薬ね。これは人間の男の人用」
「男女違うのか」
「男と女で体のつくりが違うんだから、男女一緒のはずがないでしょ?」
「そう、か…?」
「これ多分王様に、だと思うよ。リーファさん、最近王様が疲れてるような気がするーって言ってたから」

 リーファがこれを注文した時の光景が浮かぶ。複数本買っていない所を見ても、『試しに一本買ってみようかな…』とでも思ったのだろう。
 リャナに気取られないように、アランは緩みそうになった口元を指で押さえた。

「…ふん」

 ちら、とリャナはアランを盗み見ていたが、大して興味はなかったようだ。

「それとこれが───」

 リャナの商品説明がまだまだ続く。

 ◇◇◇

「こんなとこかなー」

 一通りの説明を終えて、喋り疲れた様子のリャナは大きく溜息を吐いた。

(…説明におかしな所は感じられなかった。
 建前だけで、商売をしに来ている訳ではないのだな…)

 心の中でだけそう感心しつつ、アランは率直に感想を述べる。

「…特に問題はなさそうだな」
「当たり前じゃん。毒でも盛られると思った?心当たりでも?」
「そんなものはないが───」

 即座に否定して、

「───いや。あったな…」

 思い当たる事がふっと湧いて、アランは顎に手を置いて考え込む。

「へー、あるんだ?あのリーファさんに?意外だなー」

 目をぱちくりさせ、リャナが不思議そうに顔を覗き込んでくる。紅い目の真ん中で瞳孔がきゅ、と広がり、見透かされているような感じがして気分が悪くなった。