小説
奇譚・その後日談───”嘘つき夢魔の目・3”
「…やはり思い込みが、この”目”の状態を左右するのか…」
「リーファさんもヘルムートも、最初から見えなかった感じ?」

 聞き捨てならない呼び方をするリャナを、アランはじろりと睨みつけた。

(ヘルムートは小娘を『お姉さま』呼び…。
 小娘はヘルムートを呼び捨てとは………何なんだ、一体)

 自分の知らない所で、共通点のないふたりに謎の繋がりが構築されているのは、とても気味が悪かった。

(しかし、ヘルムートにも事情があるのだろう…。
 結婚前にアルトマイアー家の素行を勝手に調べた時はかなり腹を立てていたし、兄だからと詮索をするのは野暮か…。
 ………いい加減、私も兄離れしないとな………)

 自分には関係ない事だと心に言い聞かせ、アランはとぼけた素振りで肩を竦めているリャナから視線を外した。

「………そう、だな。リーファは、会った当初はよくもやを撒き散らしていたが、見えなくなったのは最近だ。
 ヘルムートは…物心ついた頃には、ああだったな」
「それだけ気の置けない間柄、って事でいいんじゃない?
 あたしも感情が見えなくなった友達は何人かいるし、あんまり気にしなくてもいいと思うんだよね」

 どうやらこの事象自体は夢魔の中では常識だったようだ。もう少し早く相談しても良かったのかもしれない。
 しかし、性質を安定させる努力は必要か。念を押すように、アランはリャナに訊ねた。

「…初対面の者に対しては、正しく効果が表れると思っていいんだな?」
「そうだね。その考え方でいいと思うよ。
 怪しいなって思ったら、ちょっとだけ疑ってみるとまた見えるようになるかもね。
 まあ、リーファさんを疑うことはないと思うけどなぁ」
「疑ってみる…か」

 リャナの言葉を、アランは独り言ちた。
 信じている者達を疑う気はないが、自分の”目”が信じられなくなってしまった時、初心に返る覚悟は必要なのかもしれない。

 ◇◇◇

 コンコン、と扉を叩く音で、アランは入り口の方へと顔を上げた。
 扉越しに艶のある女性の声が聞こえてくる。

「失礼致します。ティータイムの支度が整いましたが、休憩になさいますか?」
「ああ、やってくれ」
「はい」

 扉は開かれ、美貌のメイド長シェリーが入室して首を垂れた。その後ろからリーファも顔を出し、同じく頭を下げる。

 廊下の空気と共に、ふわっと甘い香りが執務室に入ってきた。シェリーが動かしてきたワゴンには、ティーセット一式とケーキやクッキーが盛られた皿がある。
 艶やかなチョコレートソースがまんべんなくケーキを包み、真ん中にホイップクリームが添えられて美味しそうだ。底の深い皿には、ウサギの形を模したクッキーが山と積まれている。

 リーファは扉を閉めてアランの側まで近づき、スカートをつまんでお辞儀をした。

「アラン様、只今戻ってまいりました」
「ああ、お帰り」
「リーファさん、こんにちわー」

 笑顔いっぱいでリャナにも挨拶され、リーファもにっこり愛想を返した。

「リャナ、こんにちわ。戻りが遅くなってすみませんね。
 シェリーさんに頼んでいたケーキが気になって、厨房にちょっと寄ってまして」
「ううん、大丈夫。気にしないで」

 ワゴンの側で黙々とシェリーが紅茶を淹れる音を聞きながら、アランはリーファに問いかけた。

「それで、グリムリーパーの王はどうだった?」
「はい。『ラッフレナンド王にありがとうと伝えて』と。とても喜んでましたよ」

 ほっこりと顔を緩めたリーファを見やり、アランはソファの背もたれに体を預け誇らしげに笑った。

「だろう?ああいう手合いには、身内を遣うのが一番なのだ」
「それで、ラダマス様から伝言を預かっていまして。
『今度リーファに何かしたら、わたしが直々に君の魂を刈り取りに行ってあげるよ。楽しみに待っててね』と」
「──────」

 アランの顔からさっと笑みが消え、口を真一文字に引き締めて目を閉じた。
 あっという間に顔を青くしたアランを眺め、リャナが心底嬉しそうに笑っている。

「ぷぷー。だっさー」
「じ、冗談ですからね?」
「…そう、言い切れるか?」
「あー…、自信はありませんが…」

 悩まし気に困り果てているリーファを見て、またリャナがケラケラ笑っていた。

 黙り込んでしまったふたりに、紅茶をテーブルに配しているシェリーがフォローしてくれる。

「首の皮一枚繋がった、という事で良いのではないでしょうか。
 リーファ様がこちらで穏やかにお過ごしの間は、何事もないのでしょうから」
「そう信じたいものだな…」

 どっと疲れが降りかかってきた気がして、アランは大きく溜息を吐いた。

 ふと正面を見やると、チョコレートの香りに誘われたのかリャナがワゴンのケーキをじっと見つめていた。恍惚な表情を浮かべ、涎が溢れかえりそうだ。

「おいしそう…リーファさん、あれ食べていいの?」

 リーファが、は、と顔を上げて、慌ててリャナを呼び止める。

「あ、それは駄目なんです。全部アラン様が召し上がる分なんですよ」
「は?!結構大きいけど、これ全部食べるの?!」
「すごいんですよ。これが全部入っちゃうんです。あっという間なんですから」

 自慢話のように聞こえはするが、リーファの表情はどことなく悩ましげだ。
 アランは出された紅茶に砂糖を注いで混ぜ、口に含ませた。

「頭脳労働は甘いものが必須なのだ。当然だろう」
「いやいやいやいや、多すぎでしょ。
 ラダマス様に殺される前に高血糖で死ぬでしょ」
「医師には何も言われていないのだ。私はいつも通りに食べるぞ」

 意思を曲げる気のないアランに、リーファは抗議する気力もないようだ。諦めた様子で溜息を吐いていた。

「そういう事ですので…。
 あ、こっちのクッキーはいっぱい焼いたので、食べていいですよ」
「わーい、やったーっ!」

 山のように盛られたクッキーがテーブルに置かれ、リャナは子供のようにはしゃいでいる。早速クッキーをひとつまみして、その美味さに口元を緩ませた。