小説
奇譚・その後日談───”嘘つき夢魔の目・4”
「失礼致します」

 一方シェリーは、切り分けたチョコレートケーキを小皿に移してアランの側へ持ってきた。

 丁寧にカットされたケーキの断面は、チョコレートを混ぜ込んだスポンジ生地とラズベリーソースの層が織り成しておりとても美しい。ホイップクリーム入りの皿が添えられており、好みで乗せてもよさそうだ。

 誰に遠慮する事もない。フォークを手に取り、ケーキに差し込もうとして───ふと、思いついてしまう。

(今のリーファに不満はない。が…時には疑ってみる事も、必要…か?)

 リーファの記憶は戻り、諸々の騒動も片付きつつある。グリムリーパー王に対する懸念も一応決着はついたし、このケーキも間違いなく美味だろう。
 しかし───

「どうしました?」

 アランを見下ろすリーファに、奇妙な仕草は見られない。背筋を正したまま、手を止めたアランを不思議そうに見ているだけだ。

 少しの間アランはリーファをじっと凝視し───やおら、リャナの方へと顔を向けた。

「…小娘、お前がケーキを食べてみろ」
「え?」

 アランのまさかの発言に、リーファは目を丸くした。
 一心不乱にクッキーを頬張っていたリャナも、ぽかんと口を開けている。

「ん?いいの?」
「ああ、食え」

 アランがぞんざいにケーキの小皿を押しやると、リャナは紅い瞳を輝かせた。

「え?あれ?」

 リーファは、テーブル上で行われているやりとりをおろおろと見つめていた。
 シェリーも、奇妙なものを見るような形相でアランを見下ろしている。

「わーい、いただきまーす」

 リャナは行儀よく両手を合わせ、そそくさとフォークでケーキを切り分け始めた。一口大になったケーキにホイップクリームを絡め、口の中に放り込む。
 すぐさま、リャナの顔が幸福で満たされた。頬を紅く染め目を潤ませて感激している。

「うわー!このケーキおいしー!
 ちょっと酸味がある感じがまたいいっていうか!
 ホイップクリームが合わさると、チョコの甘みがマイルドになってそこがまたいいっていうかー」
「ええっと…ホイップクリーム、追加で乗せれますのでよかったらどうぞ」
「わーい、やったー!」
「紅茶も、おかわりありますよ」
「ごちそうさまですー」

 リーファからホイップクリームを、シェリーからは紅茶のお代わりを貰いながら、リャナはご機嫌で残りのケーキも平らげていく。

「………ふむ」

 周囲の反応を腑に落ちない様子で眺めているアランを見て、シェリーが怪訝に訊ねてきた。

「…珍しいですね。今日はチョコレートケーキの気分ではありませんでしたの?」
「そうではない。ないが…」

 アランがリーファに顔を向けると、視線に気づいてこちらを見下ろしてきた。

「菓子に、一服持っているのでは、と思ったのでな」

 ケーキの最後の一口を食べようとしていたリャナの手がピタリと止まる。

 リーファは一瞬、誰の事か理解できなかったようだ。リャナと顔を合わせて目をぱちくりさせ、シェリーと顔を合わせて首を傾げている。
 そしてようやく、自分が疑われていると気が付き、自身を指差した。

「わ、私がですか?」
「何か隠しているだろう?」

 アランの追及に、リーファは頬を手で押さえて考え込んでいる。

 リャナはフォークに刺さったケーキを少し眺めたが、さっさと口に放り込んで幸せそうに嚥下した。最後に唇をぺろりと舐めて満足そうだ。

「隠して?隠してか………。
 あ…うー…。す、すみません。黙ってて」

 申し訳なさそうに深々と頭を下げるリーファを睨み、アランは紅茶を一口含んだ。

「何を入れた?返答次第ではただではすまさんぞ」

 その脅し文句に、リーファの肩がびくりと怯んだように見えた。
 しょんぼりと顔を上げ、ぽつりぽつりと白状する。

「…アラン様が、いつも甘い物ばかりをたくさん食べるのが心配で…。
 でも、食事制限をお願いしても聞いてもらえませんし、せめて滋養になりそうなものをお菓子に少し混ぜてました…。
 あ、でも、別に毒になるようなものではないんです。
 疲労に良いと聞いて、先週作ったケーキには柑橘系のドライフルーツを混ぜて…。
 アーモンドは血の巡りを良くするらしく、先日はフロランタンを作りましたし…。
 今日のケーキは、栄養価が高い人参を粉末にしたものを混ぜました…」
「っ?!」

 何か思っていたものと違う返答が来てしまい、アランは持っていたティーカップを落としそうになった。持つ手に力を込め、紅茶の雫をなんとか零さずに堪える。

 こちらの動揺をそっちのけに、クッキー皿の侵略を再開したリャナがリーファに訊ねている。

「ニンジン入ってるの?全然分かんなかったけど」
「チョコレートの風味で誤魔化されてるんでしょうね。
 エリナさん…薬剤所の人に教わって、味見もしてもらってますから大丈夫ですよ。
 そんなすごく効くものではないんですけど、『なんだか体の調子がいい』なんて褒めてもらってます」

 和気藹々とふたりが話し込んでいる間に、アランはシェリーの冷たい視線を一身に浴びていた。蔑むような目は、『何を勘ぐっているのかこの男は』と言わんばかりだ。

 アランの”目”は、リーファの姿を曇らせてはいなかった。
 ケーキを食べようとした時も、疑念を向けた時も、白状させた時もだ。
 アランが疑って尚この結果ならば、リーファの気持ちに一切のやましさがないという事なのだろう。

(…もう、疑うまい)

 深い深い溜息を一つ零して、アランはリーファを呼びつけた。

「………リーファ、寄越せ」
「え、はい?」
「ケーキだ。さっさと持ってこい」
「は、はい。分かりました」

 苛立たしげにケーキを要求され、リーファは慌ててワゴンのもとへ歩いて行った。

「それと、今度から菓子の内容は報告するように」
「は、はい」

 既にカットしてあるケーキを小皿に盛り付け、リーファがホイップクリームを乗せている。
 そんな様子を眺めながら、クッキーを嚥下したリャナがアランに疑問を投げかけた。

「何で今疑っちゃったの?」
「…うるさい」

 本当に、何故今疑ってしまったのだろうか。

 半眼で渋い顔をするアランを見下ろし、シェリーが呆れた様子で溜息を零していた。

 ◇◇◇

 注文されたものを手渡し、ちゃんと代金を預かって。
 次回の注文分を受けて、諸々の人達と軽く話をして、リャナはラッフレナンド城を後にした。

 城の石橋を渡り切り、しばらく城下の大通りを歩いていて、ふと言いそびれていた事を思い出し、城下から遠方の城をぼうっと見上げる。
 アランに話す意味はないので、黙っていても問題はなかったのだが。

「メアリード様の一件をきっかけに、夢魔達は感情を読み取られない技術を持つようになったのよね。
 もともと覚えやすいものだったから、っていうのもあるけれど。
 …夢魔の血を引いてるなら、感情を読み取られないように心を閉ざす事は出来るのかもね」

 自分の周りには誰もいない。誰も、リャナの独り言に耳を貸す者はいない。
 城を覆う堅牢な城壁の上に、見た事があるようなないような人影は見えるが。
 こんな呟き声など、あの距離ならば届くはずはない。ないはずなのだ。

 ふふ、と試すように微笑んで、リャナはそっと城下を後にした。