小説
刻まれたその名は
「当時、先王には四人の王子がいたが、そのいずれにも子がいなかった。
 王位継承権を有していたゲーアノート兄上は呪い付きな上、病弱で子を成せるほどの余力はなく。
 知っての通り、私とヘルムートにも呪いがついていた。末子のアロイスはまだ幼かったから問題外だ。
 しかしその約束を機に、シェリーは城を出るのを止めた。
 そのうち誰かが子を成すだろうと楽観視したのか、諦めたのかは知らんが…」
「そうして、今に至った…と…」

 シェリーがこの城にいる経緯に、胸が痛む。

 先王は、第一王子ゲーアノートが子を成せないと知った時点で、他の王子の事も考えるようになったのだろう。
 第二王子ヘルムートは継承権を放棄して、呪いを抱えたまま民間の女性と結婚した為子供が出来る保証はなく。
 第三王子アランは、呪いに加えてその才”嘘つき夢魔の目”により深刻な人間不信を抱えていた。
 第四王子アロイスは幼く、その子を望むには時間がかかる。

 王の家系は多岐に渡っており、自分の子に拘らなければ王位を継承できる権利者は幾らでもいる。しかし『自身の血統に王位を継がせたい』と考えていたのなら、王子達に子がいた方が安心できる。

 シェリーは伯爵家の令嬢らしく、他の貴族との繋がりも深い。王子達に女性を充てる為の仲介として留めておきたい意図はあったのかもしれない。

(あるいは───もしシェリーさんに、不妊の落ち度がないと考えていたとしたら)

 そこから先は、考えるのを止めた。酷く下衆な想像だ。

「…今尚、その口約束を気に留めているかは知らんがな。
 私も、シェリーには『好きにしてくれて構わない』と伝えてある。
 あの時は、特に何の反応も示さなかったが…。
 胎の子が生まれれば、シェリーの気持ちの区切りもつくのかもしれないと、そう思っただけだ」

 自分が下らない物思いに耽っている間に、アランはシェリーの事をこんなにも想っている。
 それが何だか嬉しくて、とても美しいものに見えて、リーファに笑顔が零れた。

「…アラン様って、シェリーさんに優しいんですね」

 思った事を言ってみたら、アランはあっという間に不機嫌に顔を歪めた。

「…今の流れでどうしてそうなった」
「そういう流れでしたよ、今のは」
「そんな訳がないだろう。そんな訳が」

 毛布の中から手がわいて出て、リーファの頬を目一杯引き延ばしてきた。
 緩すぎず千切れない丁度良い所まで延ばされ、リーファは痛みに涙目になった。

「ひはい、ひはいれふ。ごべんなさい。ほんなわけがないれふ」
「全く…」

 呆れつつも両頬を解放し、アランは再び天井を仰いだ。
 リーファは体を起こし、未だ痛みの残る頬を撫でる。じわりと痛みが引いていくのを実感しながら、アランの先の言葉を思い出しては口元を緩めた。

「…でもそういうの、何かいいなって思います。
 アラン様はシェリーさんの事を、ちゃんと見てるんですね。
 ───ちょっと、羨ましいです」

 うっかりまた口を滑らしたものだから、アランがこちらを見上げてきた。
 またつねられるのか、と引きながらアランを見下ろしていたら、彼は少し驚いたように口を開いた。

「つまりはやきもちか」

 首を傾げ、先の言を思い出す。

 シェリーに優しくて、それがいいと思って、『羨ましい』と言った。
 温かくなった気持ちを主張しただけなのだが、考えようによっては、それはもしかしなくても、”やきもち”と言えなくもないのかもしれない。

「あ、えっと。うんと。そういう事でしょうか?」
「そういう事だな?」
「あ、はい。はい。そういう事ですね。はい」

 体を起こしたアランにじりっと詰め寄られて、リーファはなし崩しに肯定した。否定でもしようものなら色々と厄介そうだ。

 しかしアランは、そのままリーファをベッドに押し倒してきた。胎に圧をかけないようにベッドに寝そべっているリーファを見下ろし、上機嫌に笑っている。

「心配などしなくても、お前の事もちゃんと見てやるさ。
 差し当たって何をして欲しい?
 妊婦は絶対安静だというし、欲しいものならいくらでもくれてやるぞ?」

 どうやらシェリーの話ばかりをされて、ちょっと拗ねていると思われているようだ。

(欲しいもの…かぁ)

 リーファは少し悩んだ。
 精神的には十二分に構われてしまっているし、差し当たって欲しいものもこれと言って無い。しかしここで断ると、今度はアランが拗ねてしまいそうだ。

 しばらく考え込み、そういえば大切なものがあったと思い出した。

「では、お腹の御子の名前を考えて下さい」
「む?」

 アランが言葉を詰まらせた。もっと即物的な物を求められると思ったらしい。

「…そんなものでいいのか」
「大切な事ですよ。
 まだ男の子か女の子か分からないので、どっちもお願いしますね」

 アランは体を起こし、顎に手を置いて考えている。
 しばらく考えても何も出てこなかったのか、ベッドに寝そべって天井を仰ぎ一考。
 今度はリーファに背を向けて考え込んでいる。

 やおら、アランはこちらに寝返りを打って、長い沈黙の後にぼそりと唸った。

「………………………………悩ましいな」
「一生ものですからね。
 まだまだ時間もありますし、暇な時にでもどうぞゆっくり考えて下さい。
 ───さあ、体に障りますからそろそろ寝ましょうか。アラン様はどうします?」
「…本を持て。聞いてやる」
「はい。じゃあ夢の中で名前、考えておいて下さいね」

 クスクス笑って、リーファは側のキャビネットから本を取り出した。

 少しぶ厚めの絵本を適当に開いたら、ショーウィンドウに飾られたドレスを眺める一人の少女とウサギの挿絵が目に留まった。
 ”エミリアーナのドレス”───今日は、リーファが気に入っている御伽噺のようだ。