小説
刻まれたその名は
 ペトロネラ=グライスナーは、ラッフレナンド領南の国境に近いプリュランの町長の娘だ。
 プリュランの町は芸術の国シュリットバイゼに近く、南方面の物資や文化が通るだけあって、その町長の娘も華やかな印象を受ける。

 栗色の髪はカールされて腰まで伸び、空色の瞳の側をラメのついた赤いアイシャドウが添えられ、口紅は艶やかな赤だ。派手な見た目と聞こえは良いが、アランから見ると少々厚化粧のような印象を受けた。

(リーファは殆ど化粧をしないし、メイドの化粧は控えめだからな…こんなものか)

 着ている衣服には心当たりがあった。細かい刺繍の施された青磁色の前掛けとワンピースは、リーファがシュリットバイゼで着替えさせられたという服一式と雰囲気が似ている。あちらの流行服のようだ。

 相変わらずアランの”目”は、彼女が放つ黒いもやを映し出しているが、それでも初めて見た時に比べれば幾分か薄まっているような気がする。リャナから聞いていた通り、気持ちに因るものもあるのだろう。

「さすがラッフレナンド城が誇る公文書館。珍しい蔵書の数々に、ただただ溜息が漏れるばかりでしたわ」

 公文書館と本城を繋ぐ渡り廊下を歩きながら、ペトロネラは口角を吊り上げて微笑んだ。

「…貴女は本がお好きなようだ。おすすめの書籍を聞いても?」
「ええ。”シュリットバイゼの歴史探訪”がよろしいかと。
 シュリットバイゼが何故芸術の国と呼ばれるのか、初代国王の王たる軌跡が事細かに書かれておりますの」

(またか…)

 うんざり、という程ではないが、彼女のシュリットバイゼかぶれには少々呆れていた。

 彼女の好みは、食事、服、生活様式、音楽など、どれもシュリットバイゼ由来のものばかりだ。
 確かにあちらは文化の発信地で、魔術を忌避しているラッフレナンドと比べれば文明的に進んでいるかもしれないが。
 しかしここまで露骨だと、『もうあちらに住めば良いのでは?』とすら思ってしまう。

「この国も興されて長いが、シュリットバイゼも伝統のある国だ。学ぶべき所は多いのだろう」
「ええ、ええ!」

 肯定されて機嫌を良くしたペトロネラがはつらつと笑う。

 顔立ちは美人の部類だし、体つきも女性らしい。
 掛け値なしの美女すらも見飽きているアランからすれば、化粧が派手な事以外は取り立てて特徴のない娘だとも言えるが、社交界に出すのならこの位が無難とも言えなくもない。

「この国は魔術灯も無いのが残念でなりませんわ。あれがあるだけで城も街もずっと明るくなりますのに。
 陛下はご存じかしら?シュリットバイゼ東のラントールでは、実証実験として人が町を歩くと、その道筋の街灯が勝手に灯る試みをしているそうですのよ。
 夜の町を歩く楽しみが増えるのは、良い事と思いません?」

 本城2階を巡りながら話半分に聞き流し、3階の階段を上がっていく───と。

「───これは、どういう事なのかな?」
「…?」

 3階に到着して、すぐ異変に気が付いた。廊下の先を見やると、リーファの部屋の扉が開け放たれヘルムートが何か騒いでいる。
 ペトロネラも騒ぎが気になったようだ。怪訝な表情でアランを見上げ、ふたりで側女の部屋へと顔を出した。

「何事だ」
「ア、───陛下」

 ヘルムートが慣れない言葉でアランを呼ぶと、部屋の中から聞き覚えのない女達の、きゃあ、という声が聞こえた。

 側女の部屋では、見慣れない四人の女達が左右のソファに座っていた。
 リーファはというと、一人用の背もたれ付き椅子に座って苦笑いを浮かべている。恐らく、奥の机の備え付けの椅子だろう。わざわざ持ってきたらしい。

 部屋は雑多な印象を受けた。左のクローゼットは開け散らかしてあるし、誰が寝そべったのかベッドがぐしゃぐしゃに乱れていた。この寒空の中、奥のガラス戸も全開だ。

 アランの問いかけにヘルムートが答える前に、側で見ていたペトロネラが女の一人に声をかけた。

「まあ、ザシャ。このような所で何をなさっているの?」

 ザシャと呼ばれた茶髪を結いまとめた少女は、特に悪びれる事もなく舌を出しておどけてみせた。

「すみませんペトロネラ様。他の側仕えの方々に誘われて、つい」

 どうやらこの場にいる全員、正妃候補の側仕えのようだ。

 今の時間、ペトロネラ以外の正妃候補は講義を受けているはずだ。
 しかし側仕えまで講義に参加する事はないので、彼女達は待機を命じられている。
 もっとも、彼女らとて食事もすれば用も足すだろうから、見張りがいない場所以外は自由に散策する事は可能としていたのだが。

 ───ぱしんっ!

 ペトロネラはすたすたと部屋へと入りザシャの前へ立つと、思い切り振りかぶって頬を平手打ちした。

 アランは勿論、リーファやヘルムートも呆気にとられる。薄ら笑いすら浮かべていた他の側仕え達も、今の一発で見事に静まり返った。

 頬を叩かれ呆然と顔を押さえているザシャを、ペトロネラは叱り飛ばした。

「つい、ではありません!
 見合い中の側仕えは、皆宛がわれた部屋で待機と言われていたでしょう?
 遊びに来たのではないのですよ。陛下の前でわたくしに恥をかかせないで頂戴!」

 ザシャの顔がみるみる青くなっていく。とんでもないことをしてしまったと、ようやく気が付いたのだろう。

「そ、そんなつもりは───も、申し訳ございません!」

 ザシャは席を立ち、深々とペトロネラに頭を下げた。

 そんなザシャを冷たく見下ろし溜息を零したペトロネラは、アランの元へと戻って優雅に首を垂れた。

「陛下、わたくしの側仕えがご迷惑をおかけいたしました。
 どうかこの通り、お許しいただければと」
「「「…申し訳ございません」」」

 ソファに座っていた他の側仕えも起立し、アランに向けて首を垂れた。

 事情はさっぱり分からないが、側仕えが揃いも揃ってリーファの部屋に押し掛けたらしい。
 情報収集が目的なのだろうが、この有様を見るにリーファも困り果てていたのではないのだろうか。”声”を抑えるイヤーカフをしているのにも関わらず、”耳”で聞きとってヘルムートが駆けつけてくる程だ。相当だろう。

 アランはテーブルの先でおろおろしているリーファに声をかけた。

「リーファ。お前はどうしたい?」

 リーファは驚いた様子で顔を上げた。ヘルムートも何か言いたそうにアランへと顔を向ける。
 少し戸惑っていたようだがやはり席を立ち、にこりと笑って答える。

「…み、皆さんを咎めないで頂けたらと思います。
 暇をしていた私の話し相手になって頂いていたので…。
 皆さんを罰するのなら、先に私に罰をお与えください。この部屋へ招いた私の落ち度です…」
「…ふむ」

 一つ唸り声を上げたアランは、未だ首を垂れる女達に告げた。

「………皆、顔を上げよ。
 この場については特に咎めない事とするが───側仕えの者の不逞は主人の評価にも響く。
 主人の事を思うのなら、不躾な真似はしないでもらいたい。
 …次はない」
「「「「はい」」」」
「ご恩情、感謝いたしますわ、陛下」

 側仕え達とペトロネラが再び頭を下げた。
 アランはヘルムートに顔を向け、目配せと共に命じた。

「ヘルムート、後を頼む。───さあ、ペトロネラ、散策の続きをしようか」
「はい」

 頭を下げたヘルムートに見送られ、アランとペトロネラは側女の部屋を後にした。