小説
刻まれたその名は
 アランのお見合い、二日目午後。

 三人目の見合い相手であるエレオノーラ=クラテンシュタインは、正妃候補の中では最年少の少女である。
 ラッフレナンドの南に広大な小麦畑を有したクラインという村があり、エレオノーラはそこを統治しているクラテンシュタイン伯爵の娘だ。

 プロフィールによると、アランが訪問した際にエレオノーラを助けた経緯があり、それがきっかけで今回の見合いに参加した、とあるのだが。

(覚えがない………。
 あの頃は正式に王子として認められたばかりで、あちこちに連れ回されていたからな…)

 薄情な話だが、村の事は一応覚えているのだ。

 村の規模の割に村人の生活水準が高く、農民にしては見栄えの良い家に住んでいた事に驚かされた。城下なら下級貴族が住んでいるような庭付きの邸宅から、鎌や鍬を持った農民が元気よく出かけて行くのだ。
 道路の整備も完璧で、どういう金の使い方をすればこうなるのかと調べたものだ。

 結局、クラテンシュタイン伯爵がプールしている資金を、優先的に村民の福利厚生に充てていた、という事らしい。
 伯爵家自体は比較的質素な生活を送っているようだが、代わりに村人からの評判は良いようだ。
 村の印象が強すぎるあまり、伯爵令嬢の印象が薄くなってしまった、という事なのかもしれない。

 年齢は十二歳らしく、金髪碧眼で菫色のワンピースが似合う可愛らしい少女だ。
 アランの好みの年齢からは大分外れているが、『五年も経てば美人になるのでは』と期待出来ない事もない。

 また、アランの”目”で見た彼女は、他の候補と比べて黒いもやが極端に少ない。午前中のエイミーとは対照的だ。

「エレオノーラ=クラテンシュタインです。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 スカートの裾をつまみ恭しくお辞儀をして顔を上げた少女は、緊張に表情を曇らせてはいたが何とか笑顔を向けてくれる。

「ああ、よろしく。エレオノーラ。
 ───確か五年ぶり…だっただろうか?」
「!」

 胸に手を添えにこりと笑ったアランの言葉に、エレオノーラが驚いたように顔を上げた。

「見違えたものだ。もうすっかり一人前のレディと言えよう。
 …あの時は抱いて差し上げる事が出来たが、さすがにもうそれは恥ずかしいかな?」
「!!!」

 エレオノーラの顔が真っ赤に染まり、取り乱して頬を押さえている。

(…これはこれで)

 エレオノーラの反応が面白く、アランは意地悪く口の端を吊り上げてしまう。
 何の事はない。ヘルムートが昨夜聞き耳立てていた内容をそのまま言っているだけなのだが。

 言葉を無くして戸惑っているエレオノーラをこのまま眺めるのも悪くはないが、それでは何も進まない。アランはエレオノーラに手を差し伸べた。

「積もる話もあるが、まずは城の案内をさせてはくれないか?
 一通り見終わった頃に、ティータイムとしよう。その時にでも、色々話を聞きたいものだ」
「は、はい…」

 おずおずと、しかし嬉しそうにエレオノーラはアランの手を取った。

 ◇◇◇

 謁見の間から始まり、本城南側の役所関連のフロアを抜け、時計回りに礼拝堂、公文書館、庭園を散策する。
 北にある牢獄エリアは簡単な説明に留め、東側の修練所に差し掛かると視界に食堂が見えた。

 小腹が空いたから食堂へ寄ってティータイムでも良かったのだが。
 アランは、昨日の出来事を思い出していた。

(昨日作っていたという菓子はどうなったのだ…?)

 エレオノーラを、ちら、と見下ろすが、彼女は手ぶらで菓子袋らしきものは持っていない。さすがにスカートの中に隠しているという事もないだろう。
 この見合いの後に手渡しの可能性もあるが、自分への好感度を上げたいのならばこのタイミングに渡すのが良いと考えるのではないだろうか。

 アランは試しに鎌を掛けてみた。午前中はあまり甘味は食べられなかったし、エレオノーラの思惑とは違っていたとしても、今自分がそれを求めているのだから拒否する事はないだろう。

「そういえば、昨日私の側女と会っていたそうだね」
「!」

 にこにこ顔だったエレオノーラの表情が、一瞬で暗くなる。実に分かりやすく取り乱し、まくし立てた。

「な、な、な、何の事でございましょう。
 陛下の側女様とは一度もお会いしておりませんが───」

 もわ、と一回り大きくなった黒いもやを一瞥し、アランは笑顔を崩さずに石畳の上で片膝をついた。

「エレオノーラ」
「ひゃい!」

 変な声が上がったが気にも留めず、アランは子供を説き伏せる父親のようにエレオノーラを見つめた。

「御父上から、私は嘘が嫌いだと言う話は聞いていなかったかな?」
「そ、それは…!」

 あくまで笑みを崩さずに言うと、エレオノーラは俯いて黙り込んでしまう。

 ”嘘つき夢魔の目”の話は特に公布したつもりはないが、城内の噂などあっという間に地方に伝わってしまう事位はアランもよく知っている。
 エレオノーラにも父親を介して伝わっているからこそ、この反応なのだろう。

「どんな事をしていたのかな?」

 優しく問いかけるとエレオノーラはしばらく狼狽えたが、やがて諦めた様子でぽつりぽつりと話してくれる。

「………陛下の事を、色々教えて頂いて………。
 本当に、リーファさんは、色々とお教え下さったのです。
 食堂でよく食べるメニューや、お好きな色、飽いている時はゲームに興じている事など…。
 それと………甘い物が大好きだと…」

 望んでいた言葉が出てきて、アランは小さく頷いた。

 気が付けばエレオノーラはその大きな瞳に涙をいっぱい溜めていた。悔しそうに、本当に悔しそうに、言葉を吐き出す。

「それで、リーファさんと一緒に昨日クッキーを焼いたのですが…。
 …陛下に、お渡し出来ればと、思ったのですが…。
 ………………………。
 ………お、落として、駄目にして、しまいまして………!」

 そしてふにゃりと顔を歪ませ、声を詰まらせて泣いてしまった。

 アランは、泣きじゃくっているエレオノーラを無言で抱き寄せた。そして、その背中を撫でてあやしながらも、別の事を考えていた。

 エレオノーラの黒いもやが、また一回り大きくなっていたのだ。

 しかし菓子を作っていたのは事実だし、アランに渡そうと奮闘していた事も知っていた。リーファが側についていたなら菓子の出来に問題はなかったはずだ。それならば。

(落としたのではなく、別の理由で駄目にしてしまったのか…?)

 きな臭さを覚えながら、胸の中ですすり泣く少女にアランは問いかける。

「…その駄目にしたという菓子はどちらに?」
「へ、部屋に…」

 と言いかけて、エレオノーラはアランの質問の理由を察したようだ。

「し、しかし、レーネに…側仕えに処分するよう申し付けたので、今頃はもう…」
「よし」

 アランはエレオノーラの言い訳を無視して立ち上がり、すたすたと本城への道を辿りだした。

 ずずっと鼻をすすり、エレオノーラは後を追いかける。

「あ、へ、陛下?」
「まだ間に合うかもしれないだろう?」

 駄目になった菓子を食べるつもりだと確信したようだ。エレオノーラは驚いた様子でアランの視界に飛び込んで立ちふさがる。

「い、いえ、そんなっ。も、もう間に合いません!
 わたくしの側仕えはとても食いしん坊で…きっともうお腹の中に違いありません!」

 黒いもやが出ていない所を見ると、どうやらそこは本当らしい。が。

「では、一度確かめに行かねばな」
「でも…っ、でもでもでも…!───きゃあ!」

 言い訳がましいエレオノーラに両手を突き出し、アランはあっという間に抱き上げてしまった。
 羽根のように軽い少女を腕の中に捕えて、不敵に微笑む。

「聞き分けが悪いのなら、その唇を塞いでしまおうか?」
「───!」

 幼くても女は女、という事なのかもしれない。何をされてしまうのか悟ってしまったエレオノーラは、口を押さえ顔を紅潮させて黙り込んだ。

 静かになった所で、アランは気兼ねなく本城の東口から入って行った。
 階段を上って行く中、少女の温もりと早鐘を打つ音が肌に伝わってくる。

 やがて3階に到着すると、廊下の途中で計ったように佇んでいたヘルムートを見つける。
 らしくもなく恭しく首を垂れる従者に、アランは声をかけた。

「ヘルムート」
「はっ」
「後で話が聞きたい」
「かしこまりました。───後程」

 それだけで理解した王の従者を、不思議そうにエレオノーラは眺めていた。