小説
あなたに贈る「×××××」
 部屋の扉を閉めると、リーファは言われるままベッドに入ってきた。側女の部屋で過ごす時と同じように、ベッドの左側を空けて布団の中へ潜る。
 彼女が部屋の中を落ち着きなく見回す中、アランもベッドの空いた場所へと潜り込んだ。

 久しぶりにベッドで身を寄せたリーファは、初夜の時のように顔が強張らせていた。
 その気持ちを解きほぐすように、アランはリーファの髪を指で梳く。アランが気まぐれに断髪してそれなりに経ち、短かった髪は肩下辺りまで伸びていた。

「…伸びたな」
「もうすぐ、一年になりますからね。…もう、あんな風に切らないで下さいね?」

 ここに来た頃の傷んだ髪質ではなく、今のリーファの髪は指通りも滑らかだ。良い手入れをすれば髪の質も良くなる、という事なのだろう。

「あの刈り立ての触り心地が良いのだが………しかしシェリーにどやされたからな。我慢してやるさ」

 リーファがクスクスと笑った。当時の事を思い出したらしい。

「やっぱりあの時怒られてたんですね。
 当たり前じゃないですか。髪は女の命なんですから」
「髪が無くなったくらいで女が死ぬ訳がないだろう。それに」
「っ───ひぁん…っ」

 リーファの右耳の上のある場所を指で撫でると、彼女から変な声が上がった。おかしな反応をして、恥ずかしそうに顔を赤くしている。

「女の命だとかいう頭に、こんな跡を残すなど。どんなやんちゃだったんだお前は」

 リーファが反応した場所は、Lの形の痕が残っていた。太さは女の小指位か。顔の方へと伸びているから、髪をかき上げると痕がはっきり見える。

「そう言われても…よく覚えてないんです。子供の頃に気が付いたら出来ていて…。
 だから髪で隠してたのに、アラン様が切っちゃうから───あ、ん、んぅっ…」

 喘ぐ様が楽しくて、ついつい指でなぞってしまう。
 しばらく戯れに撫でまわしていたが、やがてリーファが機嫌を悪くしてアランの手を引きはがした。

「もうっ、はぐらかさないで下さい。
 何も話してくれないなら戻りますよ?───きゃ」

 そう言ってリーファは体を起こすが、アランは素早くパジャマの襟を掴んで引き倒した。
 アランは体を起こし、ベッドに沈んだリーファに覆いかぶさる。目と目がかち合って、リーファが身じろぎを止めた。

「そう急くな。………お前が私に聞きたい事を、話してやる」

 アランの答えに、ぱちくりと、大きな瑪瑙色の双眸が瞬いた。

「私が聞きたい事…」
「あるだろう?一つや二つ。それに、何なりと答えてやるさ」
「………………」

 リーファは少しの間、アランから視線を外した。
 何かを考え込む仕草を少しだけしてみせ、そして口を開く。

「…何故、最近部屋に来てくれなくなったのか、私を避けていたのか、教えて欲しいです…」
「そうだな。…そうだろうな」

 分かっていた事だったから、アランは素直にそれを認めた。
 アランがベッドの上で身を起こして胡坐をかくと、リーファもゆっくりと起き上がり、アランと向かい合うようにして腰を下ろした。

「私の顔も見たくないのであれば、そう言って欲しいんです。
 それならそれで、手荷物まとめて城を離れるだけなんですから。
 それでアラン様がせいせいするのなら、私は、それでもいいと思います…」

 ちら、とリーファの顔を覗き見る。
 普通に見るだけなら何も映らないが、注視しようと努めればリーファからうっすらと黒いもやが漏れている。
 嘘は嫌いだが、こんな嘘なら可愛いものだ。

「…そんな事を、私が言ったか?」
「言ってないですけど。でも何も言ってくれなければ、どうしていいか分からないじゃないですか。
 私は薄情な女だと───エニルの事を引きずらない、冷淡な女だと、思われてると…」

 リーファは身を小さくして俯き、声を詰まらせた。その瑪瑙の瞳はさざなみのように光り揺らめき、溢れそうな涙を堪えている。

(…そんな事を考えていたか…)

 自分のつまらない感情でリーファを振り回していたのだと、アランはつくづく痛感した。

「…お前が周りを気に掛け、一日も早く調子を取り戻そうと躍起になっていた事くらい、分かっていたさ。自己犠牲が過ぎるお前を、どうして薄情などと思う」
「………なんか、あんまり褒められてないような………」

 疑念は払拭されたもののあんまりな物言いに、むう、と不満そうな唸り声が上がる。

「ふふっ、拗ねるな。質問には答えてやる」

 アランは薄く笑んで、頬を膨らまして拗ねるリーファの柔らかい唇に軽くキスをする。
 甘く噛むようなキスに、泣きそうになっていた面持ちにほんのり赤みが増し、リーファは恥ずかしそうに口元を押さえた。

「…もう」

 キスで有耶無耶にされたが、喜んでしまっている自分を否定する気もないようだ。諦めた様子で肩を竦め、柔らかい表情ではにかんだ。

 やがてアランはリーファを視界から外し、ぽつりぽつりと話し始めた。

「………お前が使っている側女の部屋は、私の産みの親が使っていた部屋でな。
 名はネージュと呼ばれていたが、本名ではなかったらしい。名づけは先王がしたと聞いている」

 そこまで話すとリーファは目を瞬かせ、かつての事を思い出したようだ。

「それは、以前城下の墓参りに行った時の…」
「…ああ、そうだ」

 特に否定もせずに、アランは小さく頷いた。

 あの時は、名前すらも刻まれていない集団埋葬地に花を手向けただけで説明もしなかったのだが、リーファとしても何か思う事があったのだろう。

「だが私は、彼女と大して接点があった訳じゃない。
 側女の子は、産んですぐに乳母に預けられ育てられる。
 そして側女の愛情は子に向けられるものではなく、王ただひとりに向けられるものだ。
 ………実際彼女も、私を産んだつもりはなかったようだ」
「そんな…」
「そういう家庭もあるという話だ」

 目を伏せ落胆しているリーファの頭を撫でておく。
 労わっているつもりなのか、頬に触れたアランの手を、リーファの手が優しく重ね合わせてくる。
 ほんのりと人の温もりが伝わってきた。アランにだけ伝わる事が許された温もりが。

「…だが、彼女が産みの親と知らされて以来、何故かあの部屋が一番落ち着く場所だと思うようになった。
 匂い…なのかもしれない。あの部屋に、懐かしさを感じていたのだ。
 彼女が逝って五年…いや、もう六年は経つのだがな」

 名残惜しくも、アランはリーファから手を離した。ベッドの先の窓から見える、側女の部屋の一角を見つめる。

「だが………先の見合いで部屋は荒らされ、彼女に連なる一切が失われた。
 分かっていた事だったがな………もう何も、残っていないのだと。改装して、思い知らされた」
「それで最近は…」
「自分の居場所じゃないような気がしてな…」
「そう、でしたか…」

 視界の外で、リーファが肩を落とす。目を伏せて何か考えているようだ。

(幻滅されたか…)

 いい歳した男が母の影を追っていたのだ。当然だった。それが原因でリーファとの間にも距離が生まれてしまったのだから、怒って当たり前だ。