小説
それは罰と呼ぶには程遠く
 二週間も経つと、今回の呪術に関する報告が届くようになっていった。
 執務室で、ヘルムートが集まってきた報告書を読み上げる。

「エイミー=オルコット、アドリエンヌ=ルフェーヴル両名の周囲でも、同様の怪異は起こっていたよ。
 まずセグエの町の方からだけど…エイミーについているメイド三名が体調不良で仕事を辞めてる。内容は食あたりや怪我なんからしいね。
 新しいメイドを募集してるけど、怪異の噂が町中に広がっていてなかなか決まらないみたい。
 エイミーは辺境伯らとは別に居を構えているから、オルコット辺境伯と辺境伯夫人は怪異の被害は受けていない。
 でも、エイミーの周囲が荒れて行っているのは知っているらしくて、リタルダンドの知人に相談を持ち掛けているようだね」
「…リタルダンドは魔術研究が盛んな国だ。呪術についても詳しいだろう。
 セグエからならあちらの首都の方が近いし、ラッフレナンドよりは頼りになるだろうと思ったか」

 膝の上に侍らしたリーファの腿を撫で回しつつ、あまり興味なさそうにアランがぼやく。

「ペルダンのアドリエンヌは、親のルフェーヴル町長と一緒に住んでいるからか被害の話が出てるよ。
 町長は、植木の手入れ中にギックリ腰をしたらしくて寝たきり状態に。
 町長夫人は、調理中に右腕をやけどをして療養中だそうだよ。
 アドリエンヌは両親を介護していて、最近すっかり老け込んでしまったとか」
「…町長と夫人には悪いが、因果応報、というやつだな…」

 アランは不意にリーファの髪に顔を埋め、香とリーファ自身の匂いを楽しむ。
 されるがままに弄ばれて、リーファは熱くなる吐息を堪えようと必死だ。それを見下ろして、アランの笑みが濃くなる。

「で、ビザロなんだけど…。
 タールクヴィスト男爵は起き上がる事は出来るようになったらしい。
 夫人はまだ床に伏したままだけど、会話が出来る程度に症状は軽くなってきているとか。
 ウッラ=ブリットが町を離れた事で、怪異自体は落ち着いてきているのかもしれない」

 ウッラ=ブリットは、ラッフレナンド城に在籍していて親戚でもあるゲルルフ=デルプフェルトに預けている。
 ゲルルフは呪いについては懐疑的な姿勢を見せたが、ウッラ=ブリット自身がその危険性を訴え、城下のデルプフェルト邸で自主的に引きこもっているという。

「…まあ、こんなところかな」

 執務机の上にヘルムートが報告書を置くと、アランは小さく頷いた。

「では、ウッラ=ブリット、エイミー、アドリエンヌ三名の在宅起訴の手続きを行うよう、明日の会議で議題に挙げる。
 …本来なら城に召喚したい所だが、状況が状況だからな。仕方がない」
「解呪はどうするの?教会関係者の領分だけど…セニョボス神父は何て?」
「『見てみないと分からない』だそうだ。まあ、呪術の場は分かっているのだ。何とかさせるさ」

 リーファがソワソワと執務室の柱時計を見やっている。アランがその姿を怪訝に見下ろすと、リーファが顔を向けて口を開いた。

「アラン様、私そろそろお菓子作りの支度に行ってきます」

 どうやら時間を気にしていたらしい。下拵えが必要なものなら、早めに動いておかないとおやつの時間に間に合わないのだろう。

「そんな時間か。今日は何を作る?」
「スフレパンケーキを作ってみようかと。
 ちょっと手間はかかるんですけど、ふわっふわに作れるレシピを爺様に教えてもらったんです」

 そう鼻息荒く答えるリーファは嬉しそうだ。
 あの禁書庫の老人が料理をしているイメージはないが、教えてくれるのだから自炊くらいはするのかもしれない。

「…本当に爺は何でも知ってるな………まあいい。
 せいぜい私を満足させられるものを作ってこい」
「はい」

 リーファはアランの頬に口づけて席を降りる。アランとヘルムートにそれぞれ頭を下げて、執務室を後にした。

 リーファの足音が廊下の先で遠くなっていく。自分の耳には聞こえなくなった頃を見計らって、アランはヘルムートに問いかけた。

「それで?」
「うん?」
「まだ何かあるのだろう?報告が」
「うん、まあ、ね」

 ヘルムートの”耳”は、まだリーファの足音を追いかけていたようだ。しばらく執務室の扉を眺めていたヘルムートだったが、適当な所でアランに向き直る。
 声を少し抑え、ヘルムートは報告書の読み上げていない部分を告げた。

「ビザロのハドリー牧師が失踪した」
「───ふむ」

 その内容に多少驚きはしたが、リーファに聞かせられない話なのは何となく予想は出来ていた。

「密偵に預けたリーファの手紙は、牧師に手渡したそうなんだ。
 だけど、その直後から行方が分からなくなってる。
 教会のシスターには『タールクヴィスト邸へ行ってくる』と伝えていたようなんだけど、タールクヴィスト邸の者は誰も牧師の姿を見ていないらしい」

 ヘルムートの話に、アランは目を細める。

 ハドリー牧師に宛てた手紙には、『ビザロのタールクヴィスト家の者が呪いを受け、ラッフレナンド王に助けを求めにきました。何かご存じでしたら教えて下さい』という内容が書かれていた。特に解呪の依頼などはしておらず、ただ情報提供を求めただけだ。
 しかしビザロに住んでいる以上、怪異の話は耳に入っていたはずだ。リーファの手紙によって呪いの発生源が知れて、グリムリーパーとして解呪しにいった可能性はある。

「タールクヴィスト邸で何かのトラブルに巻き込まれたか…?」

 考えにくい事ではある。聞く限り、グリムリーパーに天敵らしい天敵は存在しない。そんな彼らを足止めさせる事態など、想像がつかないが。

「時間の感覚が人間と違う連中だ。どこかに遊びに行っただけなのかもしれないけどさ。
 ───リーファに言おうか悩んだんだけど…」
「気に掛けるだろうからな…黙っておけ」
「そうだね…」

 ヘルムートが開け放たれたベランダの方を眺めている。アランにも、厨房を借りに行ったリーファの鼻歌が聴こえてきた。