小説
それは罰と呼ぶには程遠く
 こんなに帰りたくないと思ったのは、同級生達に教科書を駄目にされた日以来かもしれない。

(黙って出かけたから…きっと、叱られるよなぁ…)

 怒鳴られるだろうし、折檻もされるだろう。縛り上げられたり、ある程度の辱めは覚悟しなければならない。

(でも、覚悟の上で城を飛び出して来たんだし…。少しは痛い事されても受け入れなくちゃ…)

 ハドリーを送り届けたリーファは、空間を渡りラッフレナンド城の上空に姿を現した。眼下には北西の庭園が広がっている。深夜の時間帯だからか、巡回兵の姿はあまり見られない。
 こちらの空は薄曇りの為か月も星も出ておらず、闇が濃い。まるでリーファの後ろめたい気持ちを表しているかのようだった。

 リーファは空を滑るように、本城3階の側女の部屋のベランダへと降り立つ。
 ガラス戸をすり抜け、暗闇に埋め尽くされた部屋へと入ると───ベッドの中で、何かが蠢いた。

 この部屋にはリーファの体以外はないはずだ。その体も、今はグリムリーパーが抜け出しているから動くはずはない。
 恐る恐るベッドに近づき───その情景に、リーファは震えた。

「アラン…さま…?」

 ベッドの中で蠢いていたのは、アランだった。

 彼は、眠りについているリーファの裸体に覆いかぶさり、時に唇に優しいキスを落として、時に腕に吸い付き、思い出したかのように体に指を這わせている。
 いつもの愛撫とは何かが違った。まるで、体の反応を確かめているかのような慎重さだ。

(まさか…私がここを出てから、ずっと…?)

 一心不乱に行われるその狂態に、リーファは恐怖に顔を青くする。

「リーファ………リー…ファ………」

 憔悴を滲ませたアランの呼び声は、リーファの戻りに気付いてのものではなかった。彼の目は、意識のない茜色の髪の女をぼんやりと見下ろしていたのだから。

 人間の体とグリムリーパーが繋がっている間は、体にされている感覚がグリムリーパーにも伝わってくる。
 アランがリーファの体に触れ続ける事で、どこにいるか分からないグリムリーパーに今の有様を知らせようとしたのだろうが。

(儀式───なのね………私を、呼び戻す為の…)

 御伽噺の王子がキスで眠り姫の呪いを解くように、アランもアランなりの方法でリーファを起こそうとしているのだと、気付かされる。

(帰りたくないなんて、言ってられない…っ)

 こんなアランの姿をこれ以上見ているのは忍びない。リーファは意を決して、自分の体に入っていった。

 ───ぎしっ

「───いっ………つ………うぅ………っ!」

 体に戻り真っ先に感じたのは、顔をしかめる程の痛覚だった。激痛で体が跳ね、ベッドの軋む音が響いた。

 噛みついたのか、抓ったのか、爪を立てたのか。暗闇で気が付かなかったが、手、足、首、胸、腹、腿と、至る所から痛みが走った。
 左頬は叩かれたようで、腫れの痛みとガーゼの感触と薬の匂いがいっぺんに感覚を刺激する。

「───リー、ファ………」

 自分の下で覚醒したリーファを、アランはどこか放心した様子で見下ろしていた。闇の中、アランの藍色の双眸が揺らめいている。

「アラン、さま………。ごめん、なさい………私………」

 指を動かすのも躊躇われる痛みだが、力の入らない右手を何とか上げ、アランの頬を撫でる。
 アランがその手を握りしめ目を伏すと、手にしっとりと生温かいものが伝って来た。

「おまえは…私の、ものだ…!ならば………人間だろう…おまえは…っ!
 何故───何故、行った…!?」

 右手を握り潰されるのではないかと思う程の握力に、リーファは表情を歪めた。痛みに振りほどこうと体が反応するが、アランはより一層力を込めてくる。
 これが罰と言うのなら、甘んじて受け入れなければならない。しかし、これだけは言わなくてはいけない。

「私が、人間だったら………アラン様にとって…周りにいる、その他、大勢でした………」
「!」

 アランの動揺が手を通して伝わってくる。力が抜けたアランの手からリーファの右手が零れ、ベッドに落ちた。

「あの日、この部屋で…アラン様に声をかける事もなかったし…。
 アラン様も、エリナさんと私の話を、気にも留めなかったでしょう…。
 すべては…私が、グリムリーパーだから、なんですよ…?」
「──────」

 何も言い返せず、アランは呆然とリーファを見下ろしている。唇は震えるが言葉にはならず、受け入れがたいと言わんばかりに微かに首を横に振っている。

「責任を、感じました………。
 あの人たちが、呪術に手を出した事も………ハドリーさんが、呪術に囚われた事も…。
 私が、ここに来なければ………側女に、ならなければ…起こらなかった事。
 だから…だからせめて、私が、ここにいる責任は、果たさなければと…」

 闇に隠れて見えなかったとしても、精一杯の笑顔をアランに向けた。

「アラン様の、側女として………相応しく、ありたいですから、ね」

 言いたい事を全て言ったリーファは、徐に目を閉じ、体の力を抜いた。

「言いつけを…守らなかった事の、罰は、受けます。───どうぞ、罰してください」

 瞼の裏の暗闇の中、リーファはその時を待った。
 どんな罰が下るか。今の時点で相当辛いのに、これ以上の罰とは何なのか想像がつかないが、緊張すればするだけ痛みは酷くなるはずだ。

(せめて、アラン様の気が済むまでは、受け入れないと…)

 そう覚悟をしていたら、アランがゆっくりとリーファに覆いかぶさってきた。

 肩に隠れるように顔を埋めるから表情は分からない。
 しかし愚図る子供のように震えたアランは、消え入りそうな声で叫んだ。

「もう、私を………置いて、行くな…!」

 それは罰と呼ぶには程遠く、そして長くかかる罪滅ぼしに違いなかった。

(…私は、いつかはここを出なければいけないのに…)

 心すらも逃がさないようにきつく抱き締めてくるアランを横目で見て、リーファの胸中に複雑な想いが過る。

 リーファの”死に際の幻視”は、相変わらずアランの早い死期を映してしまう。
 見立てでは、どんなに遅くても十年以内。死因は、病死か毒殺か。
 そして、その最後をリーファ自身が看取る事になる。

 かつて視た死期よりも早まってしまった明確な理由は分からないが、リーファ自身が問題になっている可能性は十分にあった。
 その為、アランには早く正妃を娶ってもらい、リーファの側女の任を解いて城から出してもらいたいのだ。
 アランの幸せな未来に、寿命を縮める死神は要らないのだから───でも。

「───はい」

 湧き上がる葛藤にフタをして、リーファは二つ返事で自分の王の背中を優しく抱き寄せた。

(今はただ、アラン様が望む限り、お側に…)

 やがて、リーファの存在を確かめるように、アランがどこまでも触れてくる。
 あれだけ全身に訴えかけていた痛みが、どこかの奥底からせり上がってきた悦びに塗りつぶされて行く。

「はぁ───あ、あぁ───」

 求められるまま、リーファの体が艶めかしく跳ねる。