小説
夫婦の真似事の果てで
 城で働いているメイドの多くが城下の寮住まいで、毎日寮と城を行き来している。
 しかし勤務時間の都合で夜も仕事がある者は、休憩室で仮眠を取るなどして空き時間を過ごすという。

 メイド達の休憩室はバックヤードとしての性質もあり、メイドの仕事に必要なものが一通り揃っている。
 テーブルと椅子が四脚、掃除用具の入ったロッカー、ティーセット一式とワゴン、小規模ながら調理台もあり、紅茶缶などを保管した戸棚もある。仮眠スペースはおまけのようなもので、部屋の一番奥の衝立の先でベッドが三台並んでいる。

「失礼します。執務室へお持ちするワゴンを借りに来ました」

 翌日、午後。
 何故か単独行動を許可されたリーファは、出来上がったベイクドチーズケーキを乗せた皿を持って2階の休憩室へと顔を出していた。

「お疲れ様です、リーファ様。こちらをお願い致します」

 出迎えてくれたのはマルタだ。
 恐らく今日は夜勤なのだろう。少し疲れた表情を浮かべ肩にブランケットをかけた金髪の美女は、既に用意されたワゴンを手で指し示した。

 いつも執務室に菓子を持ち込む時は、こうやって休憩室でワゴンを預かってから入室している。他のメイドがやるべき事をリーファが代行しているだけなので、ワゴンにはティーセットが一式揃った状態で用意されている事が殆どだ。

「…あれ?」

 ワゴンを見下ろし怪訝な顔をする。ワゴンの上段に、ティーセット一式が四客用意されていたのだ。

 執務室のティータイムに参加するのは、基本アラン、ヘルムート、リーファの三人だけだ。時々シェリーも加わるが、その時は下段のスペアセットを使う。
 一客多いという事は、普段のメンバー以外に誰かがいるという事だ。

「…今日、誰か来てるんですか?」
「ええ。薬剤所のエリナさんが。何でも、陛下の指導を買って出たそうで」
「エリナさんが陛下に…?」

 意外な組み合わせに、リーファは目を丸くした。

 エリナと言えば薬剤所務めの中年女性だが、剣術も相当な技量だと聞いた事がある。しかし、今ワゴンを持って行く先は執務室だ。剣術でも座学がないとは思わないが、『何故?』と疑問は尽きない。

「な、なんかよく分かりませんけど…そうなんですね。ありがとうございました」

 戸惑いながらもやるべき事はやらねばならない。
 ケーキ皿をワゴンに置き、戸棚からナイフ、小皿、フォークを取り出す。最後に湯の入ったケトルをワゴンに置き、リーファはマルタに頭を下げて休憩室を後にした。

 ワゴンを押して、廊下の先にある執務室へ向かう。そこまで遠い訳ではない。すぐそこだ。

「───バカバカしい。こんなもん、やってる訳ないじゃないですか」

 扉の横に立っている衛兵の姿を捉えた所で、執務室の中からエリナと思しき女性の呆れ声が聞こえてきた。声が大きいのか窓が開いているのか、声がだだ漏れだ。

「オスモさんこんにちわ、お勤めご苦労様です」
「これはこれは側女殿。お勤めご苦労様です。皆様、お待ちですよ」

 衛兵オスモ=ルオマに笑顔で挨拶をすると、彼は柔らかい微笑みで返事をしてくれた。

 チェインメイルにラッフレナンドの紋章が刺繍された青い前掛けをかけた格好は、衛兵の専用装備だ。オスモの短く刈り上げた髪色はライトグレーで、一見老け込んで見えるが二十歳代半ばとまだ若い。親兄弟も似たような髪色らしく、昔からなのだという。

 中の様子を聞いていたのだろう。何故か苦笑いを浮かべているオスモの横に立ち、リーファは執務室の扉をノックした。

「どうぞ」
「失礼いたします」

 部屋の中のヘルムートに促され、ワゴンを廊下に残したまま執務室へ入室する。

 執務室では、ベランダ側のソファにアランとエリナが向かい合って座っていた。テーブルの上には紙が一枚置かれていて、赤鉛筆で何かが書きなぐられている。

 傍目に見ても分かる程落ち込んでいるアランが気になったが、とりあえず執務机に寄り掛かって傍観していたヘルムートに声をかける。

「ケーキをお持ちしました。休憩になさいますか?」
「うん、支度をして」
「はい」

 許可が下りたリーファは一度部屋を出て、ワゴンを押して執務室に入り直した。

「ねえリーファ」

 声をかけてきたのはエリナだ。くるみ色の癖毛をポニーテールで結った中年女性は、恰幅の良い肩を竦めて溜息を吐いた。

「あんた、新婚夫婦がこんな事やってると思ってたのかい?」
「こんな事?」
「ほら、午前中に僕が聞いただろう?あそこでどんな話をしてるのかって」

 紅茶の支度をしながらリーファが首を傾げていると、ヘルムートが補足を入れてくる。

(そういえば…)

 リーファは午前中の出来事を思い出した。ヘルムートから、”家”でアランとどんなやり取りをしているのか、アランからどういう要求があったのかを細かく聞かれていたのだ。

「あんたのお母さんの性格じゃ、こういうのはやらないと思ってたんだけどねえ」
「まあ、そうですね。母の性格じゃやらないですね。ああいうのは」
「…し、しかし、リーファの父親は普段から留守にする事が多いというし、参考にならんだろう」
「留守がちだろうが定時退社だろうがないものはないんですよ。
 これじゃ女の負担ばっかりじゃないですか。
 何ですか、『起きた時、出がけ、帰った時、寝る前に妻からキスをする』って。
 んな、ちゅっちゅちゅっちゅしてる暇なんて主婦にはありゃしないんですよ。
 子供じゃあるまいに、朝位ひとりで勝手に起きて下さい。まったく」

 アランの反論をエリナは容赦無く畳みかける。ぐうの音も出ないのか、アランは愕然と口をパクパクさせていた。