小説
あなたがいない城の中で───”三者の思惑に吐息が零れる・1”
 ラッフレナンド城1階の役場には、西側と東側に一ヶ所ずつパーラーが設けられている。手続きに来る者達にも開放はされているが、もっぱら役人が息抜きに立ち寄る場所だ。

 奥のカウンターで頼めば、紅茶、コーヒーなどの飲み物の他、クッキーなどの菓子を貰う事もできる。

 背の高いテーブルはあるが、長居は出来ないように椅子は設けられていない。立ちながら軽食と会話を満喫するスペースである。

 エミディオ=バレロは、危機管理課の役人だ。艶のある黒緑色の髪をオールバックでまとめた男で、中年特有のふくよかになっていく腹が最近悩みになってきた、どこにでもいるような男だ。

 そんなどこにもいるような彼にとって、明後日は一生に一度あるかないかの吉事になるかもしれないのだ。

「今日はいつになくご機嫌ですね、バレロ殿」

 鼻歌混じりでコーヒーを受け取り、空いているテーブルはないかと周囲を見回していたら、一人の役人が声をかけてきた。

「これはベンディーク殿、ご機嫌よう。こうして会うのは久しぶりですな」

 ヤン=ベンディークは税務課の役人だ。
 チョコレート色の長い髪を三つ編みで一つにまとめた青年で、仕事上の接点はないが共通の友人を介して時々飲みに出掛ける間柄だ。年齢は二十七歳だったか。仕事ぶりは知らないが、大分前に『昇進した』と教えてくれたから優秀なのだろう。

 ひとりで緑茶を飲んでいるベンディークのテーブルに近づき、バレロはティーカップを天板に置いた。

「最近忙しくてねえ。見合いの日に姪の顔を一目でも見れればと思ったのだが、無理そうだなあ」
「明後日でしたか。いやはや、姪御殿が見合いのお相手に選ばれて良かったですね」
「全くだよ。アルトマイアー殿の口添えが効いたようで何よりだ」

 ついつい、バレロの頬も緩んでしまう。

 明後日、現王アランの見合い相手としてこの城に来るのは、他ならぬバレロの姪だ。プリムローズ子爵家に嫁いだ姉の娘のひとりが、正妃候補として招かれる事になったのだ。推薦していた身としてはこれほど嬉しい話はない。

 バレロの笑顔につられるように、ベンディークも口元を綻ばせた。

「いや、今回は側女殿のご意見も参考にされたのだとか」
「ほお、側女殿の」
「少し前に側女殿の胎の御子が流れたでしょう?
 あれから陛下も、側女殿との相性も考慮されるようになったとか」

 ふむ、と相槌を打って、バレロはブラックのコーヒーを口に含む。

 以前行われた見合いの折に、正妃候補から受けた嫌がらせが原因で胎の御子が流れた、という話は噂程度には聞いている。
 長らく女性を側に置かなかった王にとって初めての愛人であり、初めての御子であったかもしれないが。

(側女殿との相性よりも、ご自分との相性を優先するのが普通じゃないのかねえ。
 御子も、次を期待すればいいのだし)

 と、バレロは考えてしまう。

「姪を選んで下さったのはありがたいですが………それほど気にする事なのですかねえ。
 先王の時代は、正妃と側女の相性など考えなかったでしょうに」
「あの時は先に正妃様が据えられ、後に側女が増えたそうですからね。
 自然と序列が出来上がっていたからこそ、争いなど起こらなかった。
 ………いや、起こってしまったようですが…」

 ベンディークがぼそりとぼやいた発言は、恐らく先王の側女達が不貞を疑われた一件の事だろうと予想はついた。
 バレロも話に聞いただけだが、序列が出来ていてもいざこざは起きてしまう良い───というとおかしな話だが───例だと言えるだろう。

 それにしても、不貞の一件は六年は前の出来事だ。誰に聞いたのか何となく想像はつくが、仕事に関係はないだろうに勉強熱心なベンディークに感心してしまう。

「それにしても………側女殿に対する陛下の寵愛は気になりますなあ。
 あれでは正妃候補が嫉妬するのも頷けます。
 しかし…。
 言っちゃあなんですが、あの娘のどこが気に入られたのでしょうなあ」

 声が大きすぎたのかたまたまだったのか、パーラーがほんの少しばかり静かになったような気がした。

(あ、やば)

 我に返ってあははと笑って誤魔化してみる。周囲がすぐに元の賑わいを見せると、ベンディークが苦笑いを浮かべた。

「私も、そこは分かりませんね。
 特段魅力的な肢体を有しているでもなく、顔立ちも十人並み。
 …いや、案外陛下は純朴そうな生娘を好まれるのやもしれません。
 ほら、『美人は三日で飽きる』と言うでしょう?」

 そう言われて、改めて側女リーファの容姿を思い出す。彼女は独りでいるか現王と一緒にいる事が多いから、とかく目につきやすい。

 このラッフレナンド界隈で一般的な髪の色と言われれば、黄色系や茶色系を指す事が多い。
 一方リーファは茜色の髪で、やや暗めの赤だ。瑪瑙色の双眸も、ここいらでは見られない瞳の色だ。物珍しさから側に置いているのはあるかもしれない。

 そしてベンディークの言う通り、その見た目の幼さから純朴な印象も受ける。城に雇われているメイド達をバラに見立てるなら、彼女はさしずめカスミソウか、と言えなくもない。

「…ふむ。そうなると、我が姪は陛下の好みには当てはまらぬやもしれませんなあ。
 姪は、花で譬えるならばアイリスのように優雅で品があるものですから───」
「───側女殿の魔術の虜とされているのかもしれませんよ?」

 姪自慢をしようとした所で、空気を読まずに割って入ってきたのは一人の役人だった。