小説
あなたがいない城の中で───”何かが勝手に決まっていた・1”
 十日程が経ち、生理を終えたリーファは戻りの船で城へと戻ってきていた。

「ありがとうございました」

 船頭にお礼を言って船着き場に降り立ち、自分の腕を鼻に当てて匂いを嗅ぐ。

(匂い…大丈夫、かな?)

 禊の島では貫頭衣で過ごすので、今着ているワンピースは汚してはいない。一応島を発つ前に体を濯いできたから匂いはないと思いたいが、城にいる時は香をまとうものだから、アランに何か言われないか少しばかり気になってしまう。

(こんな事、城下にいた頃は考えた事もなかったのにね)

 昔の事を思い出しながら城壁の外と内を隔てる扉を抜け、本城を仰ぐと見慣れた女性に目を留めた。特に連絡はしていなかったのだが、シェリーだった。

「シェリーさ───」

 挨拶をしようとして、その違和感に固まってしまう。

 その姿は典雅でありながら煌びやか。優婉且つ理知的。
 花に例えるならば、白大輪のコチョウランと言えるだろうか。誰もを惹きつける華やかさがありながら、くどさを全く感じさせない立ち振る舞い。

 どれ程美しく着飾った淑女であっても、彼女を前にしたら霞んで見えてしまうだろう。
 本城を発つ前と比べてすっかり見違えたシェリーの手を取って、リーファは真剣に告白した。

「───アラン様の正妃様になって下さい」
「お断りします」

 にっこり微笑んだシェリーは、その柔らかな笑みを崩さぬままきっぱりと拒絶した。

 お断りされたがリーファは諦めない。以前からそうだったのは確かだが、理知的で礼節を弁え何よりアランを御せる絶世の美女に、尚もリーファは食い下がった。

「う〜〜ん、ですよね?ですよねえ?シェリーさんならそう言いますよねえ?
 でも今まで見てきた正妃候補の誰よりも、今のシェリーさんは相応しいと思うんです…っ」
「嫌なものは嫌です。あんな旋毛曲りへっぽこ王の所に嫁へ行け、など冗談ではありません」
「あ〜〜〜…良かったぁ。いつものシェリーさんだぁ…」

 自分でもおかしな所で安堵して、リーファは胸をなでおろした。
 その取り乱しように、シェリーは可愛らしく小首を傾げて苦笑した。

「もう、困った方ですね。
 わたしのような歳の者をからかうだなんて」
「からかってませんよ、どうしたんですか一体?
 いえ、以前からシェリーさんは掛け値なしの美人ですけど。
 でも、肌ツヤツヤ………指先キレイ………髪艶すっごい………っ!」

 目を輝かせてシェリーを観察しまくっているリーファを見て、シェリーはクスクス笑う。

「リャナから”滋養のあるもの”を頂きまして、それを食べた所このような具合になりまして。
 それと………一昨日、美容液パックをつけて就寝しましたから、肌はまだ効果が続いているのかと」

 ほお、と感心しながら改めてシェリーを見つめる。

 シェリーはリャナの商品を理由にしているが、栄養剤などを時折注文していながら見た目が変わっていないリーファ自身の事を思うと、こうまで劇的に変化するのは元々の素材が良いからではないだろうか。

 周囲の熱い視線を一身に浴びているシェリーと、城に居るのが奇跡に近いリーファ。
 元から張り合えるはずもないのだが、改めて天地ほどの差を見せつけられたような気がして、リーファは静かに肩を落とした。

「何か、今からアラン様の所へ行く気力がないんですが………」
「そうおっしゃらないで下さい。陛下はリーファ様のお戻りをお待ちしていたのですよ。
『戻りが遅い。何かあったのではないか』と、昨日はずっとぼやいていましたから」

「う」と唸り、リーファはここを発つ直前の事を思い出す。朝の忙しい時間だったから、挨拶もそこそこに発ってしまったのだが、話をしておくべきだったかもしれない。

「すっかり言いそびれてました…。
 先月は、戻ってきた途端汚してしまいましたから………」
「陛下にも、『先月の事を気に病んでいるのでは』とお伝えしてありますわ。
 女性なら誰しもそういう時はありますもの」

 少しばかり恥ずかしい話ではあるが、そこをフォローしてくれたのはさすがと言う他ない。機転を利かせてくれたシェリーに、リーファは深々と頭を下げた。

「ありがとうございました。助かります。
 ………そろそろ行きましょうか?」
「ええ。まずは陛下にご挨拶を。その後は改めて湯浴みをして頂き、肌を整えて頂きます」
「はい、よろしくお願いします」

 リーファはシェリーの先導で本城への道を歩いて行く。
 まだ朝の早い時間の為、城壁の門は城勤務の者達の行き来だけで、忙しなくはあるが賑やかではない。

 どこかぼんやりと、城の朝の風景を眺めていたリーファだったが。
 先行していた美貌のメイド長が不意に足を止め、振り向いて憂いを帯びた面持ちでリーファを見つめてきた。

「ああ………でも、ご挨拶だけでは済まないかもしれません」
「…と言うと?」
「一つ、お伝えする事が」
「はい」
「陛下が、─────────」

 顔を曇らせたシェリーから教えられた話に、リーファは驚き、怒り、呆れ、と表情を変え。
 やがて諦めと共に、大きな溜息を漏らしたのだった。

 ◇◇◇

 側女としてアランの側に就く事になった際、ヘルムートから幾つかのルールを言われていた。
 それは、ラッフレナンド王家に関わった女達が被った悲劇を繰り返さないように、と定められたものだ。

 一つ。側女は王の所有物である。王の命令には絶対服従する事。
 一つ。側女は正妃よりも序列は下で、逆らう事は許されない。
 一つ。側女の子は、王と正妃の子として認められる。子との接触は禁じられている。
 一つ。側女が不義を働いた場合は、裁判を通さずに王から直接処罰される。
 一つ。正妃の条件を満たさない側女は、如何なる理由があっても正妃になる事は出来ない。
 一つ。側女は王に愛を求めてはいけない。

 最後の文言は、リーファにルールを提示する直前にアラン達が付け足したものらしい。
 当時アランはリーファを冷たい態度で接していて、リーファは『努力しても寵愛など得られないつもりでいろ』という意図が籠められているのだと解釈していたし、それで良いと思っていた。

 体を差し出す事に抵抗がなかった訳ではないが、神に祈りを捧げるように、王の子を成し捧げる仕事なのだ、と。王の血族を絶やさない為と思えば、ある種神聖なものだ、と自分に言い聞かせた。

 腹を痛めた子がどういう未来を辿るのか、不安はないとは言えなかったが。しかし衣食住が整った環境だ。後は子次第と思うしかない。

 王の愛など、リーファにとって優先順位は一番低いものだった。御眼鏡に適うなど微塵も思っていなかったのだから、当然だ。