小説
あなたがいない城の中で───”何かが勝手に決まっていた・2”
 城の中を行き来するメイドが、誰も彼も三割増しに美しく見えるのは目の錯覚などではないはずだ。
 リャナが持ち込んだ”滋養のあるもの”が、これほどの効果を生んだのかと思うと軽く目眩を覚えた。良い事には違いないのだが、リーファの気持ちはどんどん竦んで行く。

(やっぱり湯浴みしてからにした方が良かったかな…)

 後悔したが、執務室の扉は目の前だ。後戻りなど出来るはずもない。

 ───こんこん

 執務室の側で番をしている衛兵に笑顔で会釈をしていると、先行していたシェリーが扉をノックした。

「どうぞ」
「失礼致します」

 開かれた扉の先には執務机の傍らにヘルムートが、椅子にはアランが、まるでリーファを待っていたかのように出迎えた。

「リーファ様をお連れ致しました」
「ああ、ご苦労」

 シェリーに促され、リーファも執務室へと入っていく。
 いつも通り執務机の前へと立ち、左足を後ろ内側に引き、右足を軽く曲げ、背筋を正したままスカートをつまんで首を垂れた。

「アラン様、ご機嫌麗しく。リーファ、禊を終え只今戻りました」

 アランの笑みは柔らかい。口元を綻ばせ、少し揶揄うように問いかけた。

「おかえり、リーファ。…今回は、少しばかり戻りが遅かったのではないか?」
「前回は粗相をしてしまいましたので、念には念をと。ご容赦下さい」
「まあそんな所だろうと思っていたが。今日からより一層私に尽くすように」
「はい。
 …急ぎ戻りましたので、一度身を清めたいと思いますがよろしいでしょうか?
 その後、以前と変わらないご寵愛を頂ければと思います」
「…まあ待て。お前に告げねばならん事がある。───おいで」
「はい」

 手招きをされ、リーファはアランの元へと近づいた。足を開き両手を広げるアランの椅子に、リーファは浅く乗り上げる。

 アランはまず唇にキスをして、惜しみなく体を撫で回してきた。応じるように、リーファはアランの煌めく金髪に指を通し頭を撫でる。
 しばらく愛撫は続いたが、やがてアランはリーファの程よく膨らんだ胸に顔を埋め、ぐりぐりと押し付けて思いっきり深呼吸を始めた。

(すっごく嗅いでくる…)

 犬のように嗅ぎこまれるのは止めてほしいのだが、アランが求めるのだから受け入れるしかない。アロマテラピーという言葉はあるが、人の体臭にも同様の効果があるのだろうか。

 そこそこ時間をかけて満足したのか。アランは顔を離し、リーファを膝の上へと降ろした。
 安堵がこめられた溜息が、アランから零れていく。

「…安心した」
「え?」
「ここしばらく、リャナが持ち込んだ砂糖菓子をメイド達が食べていてな。
 …シェリーから話は聞いたか?」
「え、ええ。はい。”滋養のあるもの”、でしたっけ?
 美人なシェリーさんがすごく美人に見えて、びっくりしました」

 目の前で褒められてしまい、視界の端で恥ずかしそうにシェリーが俯いている。

「ああ。メイドからも役人からも評判は良い。『城内が一際華やかになった』とな。
 それは大変良い事なのだろう。
 なのだろうが………こうなんというか………目が、眩む」

 うんざりした様子で目頭を押さえるアランを見上げ、リーファは先程から感じている劣等感のようなものを思い出した。アランが感じているものとは違うはずだか、妙に親近感を覚える。

「ええっと………メイドさん達が綺麗に見えるのは、アラン様的にも良い事だと思ったんですが…。そうじゃないんですね…?」
「飽きる…とは少し違うが………疲れる、な。
 メイド達が色気づいて見えてな。声をかけられる頻度が増えた気がして、落ち着かない」
「あー…」

 疲れた様子のアランを見て、リーファは何となく腑に落ちた。

 王城という環境で礼儀作法を学ぶ目的のメイドも多いと思いたいが、人の行き来の多い環境故に出会いも多い。当然、”魅力的な男性”を探す意図もあるのだろう。
 言わずもがな、その”魅力的な男性”の最上位にいるアランも、対象と見なされる訳だ。

 女性からのアプローチがある、というのは男性からしたら嬉しいような気もするが、アランの場合そうは思わないのだろう。

「お前が普通で安心した。そうだな。お前はそれでいい」

 そう言って、アランはリーファの額にキスを落とした。
 これが嫌味なら落ち込みもするが、アランがあまりにも安らいだ表情で言うものだから、リーファの心中もなかなか複雑だ。

「何だか褒められてるような、そうでもないような感じですが…。
 アラン様に喜んでもらえたみたいで何よりです」
「ああ、私も心置きなく告げる事が出来る───リーファ」
「はい」
「先日の見合いだがな、残念な事に破談となった」
「まあ」

 相槌は打つがリーファは特に驚かなかった。シェリーに先に言われていた事もあるが、むしろ縁談が決まった方が、城内ももう少し浮足立っていただろう。

「やはり”目”の具合が良くないな。
 相手の顔を黒いもやが潰してしまうから、どんな会話も不快でしかなくてな」
「そうですか………。
 残念ですけど、ご縁が無かった、と思うしかないですね…」

 アランの唇が、リーファの茜色の髪を撫でる。ようやく編み込める程に伸びてきた髪が、アランの戯れで崩れて行く。どうせ後で髪は崩すから、その位は我慢しておく。