小説
古き世代を看取って
(子犬はないだろ、子犬は)

 ヘルムートは自身の才”山彦の耳”で執務室の温い攻防を聞き流しつつも、思わず胸中で突っ込んでしまった。

(確かにアランを動物にたとえるなら『犬』だけどさ。子が付く程子供でもないと思うんだよね。
 金の毛の長毛種で、大型の血統書付きの成犬かなぁ。従順で賢いんだけど、ほんのちょっとだけお馬鹿なのもまた可愛いんだよね───おっと、ようやく集まったか)

『犬耳を生やし尻尾を振って愛想をするアラン』という妄想から、ヘルムートは現実へと気持ちを切り替えた。

 日の光が傾き始めたこの小会議室に、公務の合間を縫ってへ集まった役人は十八人いた。今最後の一人が席につき、ほんのりと賑やかだった場が静まり返って行く。

 彼らには共通するものがある。
 今、城を二分している派閥の片割れ───”現王派”。
 その筆頭であり、王の側仕えでもあるヘルムートは、人の集まりを確認するとぽつりと話し出した。

「───さて。皆に集まってもらったのは他でもない。
 陛下の事で………その。大変、面倒な事になった」

 言葉は大分濁したが、それで大体は伝わっているのだから恐ろしい。役人のひとりが苦々しく頷いた。

「ええ、噂は聞き及んでいます。側女殿を正妃に迎えたいと」

 一体どこから仕入れてくるのか疑問だが、城の中の情報は存外早く皆に伝わっていく。
 アランがリーファに求婚してから一週間が経過しており、あの場にいた誰もが口を噤んでいたにも関わらずこの有り様だ。どこかに自分と同じ”耳”持ちがいるのかもしれない。

「いつかはこうなるような気はしましたがねえ。いや、認める訳ではないですが」
「はっはっは。おふたりの仲睦まじい御姿は、恋人を通り越してもはや夫婦かと思う程ですからなあ」
「オーグレーン殿、賭け金二十オーロ、お願いしますぞ」
「御冗談を。まだ成婚が決まったわけじゃないんですから、むしろこれからじゃないですかな?」

 と、何とも役人達の雰囲気は緩い。

 それもそのはずだ。アランがリーファに求婚した事と、アランが結婚する事は別問題だからだ。
 リーファが正妃の条件を満たせない女性だからこそ、今後の活動に支障を感じないのだろう。

 しかし、気にする者がいないわけじゃない。

「…それで、側女殿は何と?」
「彼女は、当初から態度を崩していない。
『陛下の御子を生み、時期が来たら去るのが仕事』と言い切ってる」

 ヘルムートが淀みなく答えると、役人のひとりが顎髭を撫でつつ相槌を打つ。

「…ふぅむ。年頃の娘なら、若き王からの求婚は憧れでしょうに」
「勤め始めた頃にルールは教えておいたからね。
 夢見る程子供でもない、という事なんじゃないかな」
「側女殿の場合、出自が怪しい所もあるとか」
「ご実家は謂れがある土地だと聞いてますが…」

 その辺りの話が流れているとなると、やはり役所周りで噂が上がってしまうのだろう。”人の口には戸が立てられない”とはよく言ったものだ。

「そこも含めてなんだろう。母方の親族は詐欺を働き、父親は流れの商人と聞くし。
 土地は…父親が知り合いから無償で借り受けているだけらしいけど」
「無償で?」
「家は住んでいないと傷みますからな。手入れが要るのでしょう」
「おお、なるほど」
「流れの商人でしたら、奥まった土地よりは城下の入り口の方が動きやすいでしょうからなあ」

 そんな他愛ない会話で場が和んでいく。

 ◇◇◇

 アランはあれから、リーファに対して正妃になる事を求め続けている。
 しかしそれは、意味のない要求だ。
 そもそもリーファは正妃になる条件を満たせない。承諾しようが拒否しようが、ただ単にアランが喜ぶだけで、リーファが正妃になれる道が出来る訳ではないのだ。

 その位の余興であれば付き合ってもいい、とヘルムートは彼女に伝えたのだが。

『私は、アラン様に素敵な正妃様を娶って頂きたいんです。
 他の国の王族に引けを取らない、お似合いの国王夫妻になってほしいんです。
 私はいつか出て行かなきゃいけないんですから、アラン様の心残りになるような事、言える訳ないじゃないですか』

 呆れた様子でそう答える彼女の感情に、嘘はないように見えた。

 アランも『伽で薬を盛ってもなかなかうんと言わない』とぼやいており、強情なリーファに手を焼いているようだ。

(でも、リーファのアランに対する感情は何に当たるんだろうな…。
 嫌いならあんな態度は取れないし、無関心ならもっと淡白にいなすだろう。
 でも、異性愛、敬愛、他愛、博愛………どれも、違う気がする)

 アランに対する情が深いのは確かだ。
 しかし一方で側女の責務には忠実であろうとしており、離れる意思は固い。離れる事が最善であるかのようにすら振る舞ってみせる。
 今は愛情を与えていても、いつかは子離れをしなければ、と心に決めている母親のようだ。

(案外、リーファにも分かっていないのか…?)

 リーファにかけられた、恋愛感情に疎くなるという呪い。アランへの態度の正体は、その辺りにあるのかもしれない。

 ◇◇◇

「アルトマイアー殿?」

 我に返って会議室を見回すと、全員が不思議そうな顔をしてこちらに視線を向けていた。

 ごほん、と一つ咳払いをして、ヘルムートは話を戻した。

「ごめん。考え事をしてた。
 何にせよ、リーファ以上に陛下の御眼鏡に適う女性を宛がう他ない。
 引き続き、正妃条件を満たせそうな年頃の女性を選出してくれ」
「国内だともう殆どいませんねえ」
「そろそろ国外も念頭に入れたい所ですな」
「そうだね。
 あと、陛下の”目”の不快感は、一緒にいた期間の長さで緩和されているようにも見える。
 以前破談になった女性に当たってみてもいいのかもしれない。
 悪い感触じゃなかった女性が何名かいたはずだから───」

 ───ごうんっ!

「「「!?」」」

 唐突に、城全体に轟くような音が響き渡った。

 会議室全体が大きく揺れ、天井のシャンデリアが不規則に暴れている。誰かがテーブルに置いていたペンが、慣性に従い転がって落ちていく。

「うおわあ!」
「な、なに?!」
「地震!?」
「お、おたすけえ!!」

 感じた事のない衝撃が伝わってきて、皆が皆おろおろと取り乱す。テーブルを支えに立ち上がる者、頭を抱えてその場に伏せる者、テーブルの下に隠れる者と、バラバラだ。

 ゴゴゴゴ───

 幸い揺れ自体はすぐに治まったが、城の外から聞こえてくる地響きのような音は今尚続いている。

 ヘルムートの”耳”が、一斉に城内の音全てを捉えた。
 強い風のような音と、女性の悲鳴と、兵士達の声、剣を抜く音。
 どうやら、何者かがラッフレナンド城の入口付近を襲撃し、兵士達が応戦しているようなのだが───

(僕が全く気が付かなかった…?!)

 いつもとは異なる事態に、ヘルムートは表情を険しくした。

 ヘルムートの”山彦の耳”は、遠くの物音も全て耳で捉える事が出来る。寝ている時は無理だが、起きている時ならば常に”耳”で異変を聞き取っているのだ。
 ところが先の衝撃よりも以前に、喧噪も破壊音も聞こえてこなかった。役所の手続きの会話や、巡回している兵士達の鎧の音、ついでにアランがリーファにちょっかいをかける声ばかりだったのに。

 只ならぬ違和感に身の毛がよだつ。テーブルや椅子にしがみついておろおろしている役人達に、ヘルムートは声を荒げた。

「皆ここで待機!確認してくる」

 ヘルムートは席を立ち、会議室を飛び出した。