小説
古き世代を看取って
 会議がある時は、衛兵が扉の前に立っている。ヘルムートは扉を開けてすぐ、戸惑っている衛兵に声をかけた。

「何が起こっているか、状況は掴めてる?」
「い、いえ。城壁門の方で音が鳴っているのは分かるのですが…!」
「そんな事は分かってる。
 君もここに待機。いざという時は、中の彼らを守るように」
「は、ははっ!」

 衛兵の敬礼を受けて、ヘルムートは急ぎ廊下を走りだした。

「うわあああ?!」
「ひるむなー!取り押さえよー!」
「きゃあああー!!」
「だれか!だれかあー!」
「ぎゃあああ?!」

 男の悲鳴、女の悲鳴、兵士達が戦う声、誰かを呼ぶ声、馬の嘶きが、轟音と共にヘルムートの”耳”の中に嵐のように入ってくる。戦争でも始まったのかと錯覚するほどだ。たまらず耳を塞ぐ。

「ヘルムート!!」
「ヘルムート様!」

 聞き覚えのある声が、階段を降りようとしていたヘルムートにかけられた。

 廊下の先を見やれば、執務室から出てきていたアランとリーファが駆け寄ってくる。只事ではないと思ったのだろう。アランはいつも執務室に飾っていた白い鞘の長剣を携えていた。

「何があった!?状況は?」
「僕も今から行くところでさっぱりだよ!でも、入り口の方で何かが暴れているらしい」

 アランの険しい表情がより一層ひどくなっていく。剣に籠める力が増していく。

「魔物か?」
「今の所、獣の声は聞いてないね。敵からの宣戦布告も聞こえない。
 聞こえるのが悲鳴と轟音だけ」

 アランはしばらく考えたようだが、埒が明かないと思ったのだろう。諦めて縦に首を振った。

「…そうか。では一緒に行こう」
「うん」

 アランがふと気が付いて、後ろにいたリーファに声をかけた。

「リーファ、お前は危ないから部屋へ戻ってい───」

 振り返りながらそこまで言いかけて、ようやく後ろにリーファがいない事に気が付く。
 階段を見やると、リーファは一足早く階段を駆け下りていた。半年前の惨事による恐怖を忘れたかのように、踊り場を走り視界から消えようとしている。

「り、リーファ!戻れ!」

 アランは声を荒げるがリーファの足が止まる事はない。

「───ち!何なんだ、あいつは」

 舌打ちを一つして、アランが階段を降りていく。ヘルムートも後を追いかける。

「リーファ、どうしちゃったの?」
「知るか!先の音を聞いて急に外に出たがったから一緒に来ただけだ!」

 話を聞くとまるで動物の本能のような言い方だ。時間きっかりに散歩を要求してくる犬のようだ。

「…いや、あれは音が聞こえる前から上の空だったような…?」

 アランが自身の言葉に違和感を覚えている内に、1階の景色が広がる。

 言わずもがな、1階は混乱を極めていた。
 南の役所フロアは書類が飛び散り、役人達が悲鳴を上げて狼狽えている。役所フロアの南端は部署ごとの個室になっているが、どうやらそちらのガラス窓が派手に破損したらしく、怪我人も出ているようだ。

 役所フロアは通りにくいと思ったのだろう。リーファは食堂へと通じる東の出入り口から出て行った。
 ヘルムート達も人ごみを縫って東の出入り口を出て、城壁門に向かって駆けて行く。

「あれか…?!」

 城壁門周辺の光景に、ヘルムートは目を剥いた。

 ラッフレナンド城南側に位置する城壁門周辺は、西に礼拝堂が、東に来城者用の小規模な庭と馬車の停留所があり、東の端に兵士宿舎がある。
 騒動は、その礼拝堂と庭の間の通路で発生していた。

 集まっている幾人かの兵士は何かに巻き込まれたようで、庭の植え込みなどに倒れている。
 庶民は遠巻きに成り行きを伺っているようで、見計らって城下へと逃げていく者もいるようだ。
 神父は何を思ったか、礼拝堂の前で跪いて必死に祈りを捧げている。
 この荒れた場のそこかしこで悲鳴や呻き声が聞こえてきて、馬車の停留所では馬が興奮して嘶いていた。

 そして、騒動の中心にいたのは一人の女だ。

 胸元が大きく開いた赤紫色のワンピースは体の線がはっきりと出ており、女のグラマラスな姿態を強調している。濃鼠色の豊かな髪の幾房は青紫色に艶めいていた。見た目だけなら三十歳代後半くらいか。宝石が散りばめられた樫の杖を手に携えた、典型的な魔術師のようだ。

(魔術師、いや魔女の来襲か?!そんな、こんな急に───)

 ヘルムートは息を呑んだ。

 ヘルムートは経験していないが、ラッフレナンドの歴史を見ても、魔術師が報復の為に襲撃に来る事はあったと聞いている。
 しかし多くは複数で訪れ、まず城下を襲撃。折りを見て城へ宣戦布告を行う事が殆どだったらしい。恐らく、常駐している城下の兵と挟み撃ちにされる事を恐れたのだろう。

 単身で、しかも城下で何の問題も起こさずに直接城内に現れたケースなど、聞いた事がない。

 魔女の周囲を複数名の兵士が取り囲み、じりじりと間合いを詰めていく。魔女は杖をぶらぶらと揺らし、真っ赤な唇を不敵に吊り上げる。

 魔女の背後に陣取っていた兵士が、剣を構えて踏み出そうとした時。

「「───やめて下さい!!!」」

 このラッフレナンド城全域に届くのではないかという程の大声量に、その場にいた誰もが彼女を見た。

 声の主リーファは、ヘルムート達と兵士達の中間辺りに立っている。よく届いてしまう”声”を抑えるイヤーカフをあえて外し、眼前の魔女を厳しく睨みつけていた。

 そして次に発せられた言葉に、誰もが耳を疑った。

「「一体何やってるのっ?!師匠!!」」

(…師匠?)

『師匠』と呼ばれた魔女が、リーファを視界に捉えた。探していた玩具を見つけたとばかりにぱっと顔を明るくした魔女は、リーファに愛想良く手を振っている。

「はあい」
「「はあいじゃない!全く!」」

 城では見た事がない程激昂しているリーファは、ずかずかと魔女に向かって歩いていく。
 そこを、一番近い所にいた兵士が焦った様子で立ちふさがった。

「そ、側女殿、申し訳ありません!何だかよく分かりませんが、今は危ないのでお下がりを…!」
「「で、でも」」
「───皆の者、待て」

 それほど距離があるわけではない。アランは顔を強張らせながら、騒動の場へと近づいた。

「…皆、一度刃を収めよ。命令だ」

 アランの発した命令が、周囲にざわりと動揺を広げていく。今の今まで暴れていた魔女を前にして、立ち向かっていた兵士を制したのだ。兵士の戸惑いは当然だった。
 しかし城の主が命じた以上、従う他はない。兵士達は渋々剣を降ろし、鞘に収めていく。

 アランは兵士の輪の内側へと入り、魔女へ一歩踏み出す。剣は鞘に収められたまま、左手に握られている。魔女の間合いは分からないが、アランの立ち位置は剣の間合いよりはやや遠いだろうか。

 緊迫した空気の中、アランは毅然と名乗りを上げた。

「…私はこのラッフレナンド国の王、アラン=ラッフレナンドだ。
 招かれざる客よ、そちらの要件を聞こう」
「へえ?あんたが今の王様?ふうん…」

 妖艶な魔女は眉根を跳ね上げ、どこか値踏みするようにアランを眺めた。最初は顔を、次は視線を下げ、その口の端を吊り上げていく。
 そして、どこぞの少女のように快活に笑い、イヤーカフを付け直しているリーファに親指を立ててみせる。

「いい男掴んだじゃないかい。やったねリーファ」
「あああああ、あのねぇ…っ!」
「…控えろ、リーファ」

 怒りをむき出しにして戦慄いているリーファを、アランは淡々と窘めた。

 最近はアランに楯突く機会も増えたリーファだが、アランがない交ぜの感情を圧し潰し命じるのだ。苦虫を?み潰したような顔をして、リーファはスカートをつまみ首を垂れた。

「…申し訳ありません………陛下」
「…ふふん?」

 リーファが大人しく従うのが面白いのか、魔女がどこか感心した様子で肩を竦めている。