小説
古き世代を看取って
 背中を向けるリーファへ、アランは窘めるように声をかけた。

「リーファ」
「あ、は、はい。失礼致しました」

 リーファは慌てて、約定書を玉座の前に控えたジェロームに差し出した。

 ジェロームもまた約定書の内容を見て「んむ?!」と呻いて驚き、気になって見に来たクレメッティもそれを見て「おう…」と吐息を漏らした。

 ジェロームは階段を上がり、玉座にいるアランに約定書を手渡す。
 誰もが目を丸くした約定書には、このような事が書いてあった。

 ───オスヴァルト=ラッフレナンドの名において、我が国ラッフレナンドを魔術師が快適に暮らせる環境に構築すると約束します。

 多くの魔術師を雇用し、他国に引けを取らない魔術国家にしていきたいと思います。
 体制が整った暁には、ターフェアイトを正妃として迎え入れたいと思います。───

 三人が複雑な表情をしていたのはこれが原因だったかと思い知る。しっかりと印まで押された正式なものだが、約定書の内容は子供の作文のように中身がない。

「本当にこんなやり取りをしたのか…」
「なにさ。疑おうっての?」
「いや、印章は本物だ。間違いない。間違いないのだが…。
 この書類を認めた時期は、先王の時代ではないな…」

 記載されている年号は”バルタズ”となっており、アランの祖父バルタザール王の頃の年号だ。つまりこの約定書は先王オスヴァルトの治世の物ではなく、更に前の代の王の物となる。しかも、年代を見るにかなり若い頃の日付だ。

(あの色狂い、幼少期からああだったのか…)

 約定書に捺印された印章は王のもので、王子であったとしてもおいそれと手が出せない。しかしこうして書類が出てきているという事は、バルタザール王が認めた上で約定書を作らせたという事になる。

(貴族と縁のない女を正妃にしようとなると、法律の改定が必要となる。
 正妃に関わる法律は、次代の王から試行される。
 先王の色狂いはさておいても、バルタザール王の頃から、条件に合わぬ女を正妃に据え置く考え方はあったという事か…?)

 あるいはオスヴァルトの熱意に気まぐれで付き合っただけかもしれない。オスヴァルトには腹違いの兄弟姉妹がいたから、この時点ではまだ王位継承権は有していないはずだ。
 いずれにしても、今に至るまで法に手は加えられていないし、オスヴァルトはターフェアイトを正妃にしていないのだ。

「確かに先王は大の魔術師贔屓でございましたな。
 当時は魔術師を雇用する政策や、国外からの召致の検討にご執心でしたから…」

 先王の代から勤めていたジェロームは、そう口を挟む。

「…こうして約定書が出てきたという事は、祖父バルタザール王もまた魔術について理解を示していたのやもしれん。
 先王からいきなり魔術師贔屓が始まったのではないと思ってはいたが…」
「ですが、正妃の条件を満たしておりませんぞ。
 先王が崩御されて久しく、約定は無効でしょう。ましてや、魔女など」

 クレメッティが反論すると、ジェロームもアランに上申する。

「約定書が作られている以上、控えがどこかに残っているかと思われます。
 無効は無効としても、破棄の手続きは必要かと」

 アランは黙したまま頷く。魔女を断罪する事は出来るが、印章が捺された約定の破棄はしておかなければ後々厄介な事になる。
 何より───

(こんなものの為にわざわざ来た、という事もあるまい………他に何か、あるのだろう)

 約定書自体は城へ入る為の方便で、ターフェアイトがここへ来た理由が他にある。しかし、今言う事は出来ない───そんな気がした。

 だが、拷問で吐かせる事は恐らく不可能だ。

 情けない話だが、先の騒ぎでターフェアイトに太刀打ち出来た者は誰一人としていなかったのだ。弟子だというリーファにも止められないだろう。
 こうして椅子に拘束しているのも、ターフェアイトにとってはただ座っているのと同義なはずだ。

 忸怩たる思いだが、一度方便を受け入れ、ターフェアイトの真意を探る必要がある。

「本来ならば牢屋へ放り込んで魔女裁判となるが…。
 先王が約定を認めているならば、控えがどこかにあるはずだ。
 控えを探させ、約定破棄の手続きを取る。
 その間、魔女ターフェアイトは拘留の名目で置いておく。
 ───良いな?」
「御意」
「御心のままに」

 ジェロームとクレメッティは王の決定に恭順の意を示す。

 続いてアランは、リーファの方へと顔を向けた。

「リーファ。その間、お前が魔女ターフェアイトを監視しろ。
 ターフェアイトが何かをやらかした場合、お前が罰せられる。心して見張れ」
「かしこまりました」

 リーファもまた、アランの決定に深く首を垂れた。

 アランが正面を見据えると、ジェロームは顔を上げ声を張り上げる。

「それでは尋問は以上としますが、何か意見があるものは───」
「し、失礼します!」

 割って入ってきた声の主は、謁見の間の開けっ放しの扉の向こうにいた。
 その場にいた誰もが一斉に声の先を見ようとすると、傍聴している者達をかき分け、慌てた様子の一人の兵士が入ってくる。

「魔女の遣いを名乗る者が、大量の荷を持って城門の前で立て篭もっています!」

 そこまで余裕綽々で黙り込んでいたターフェアイトは、ふふ、と笑って肩を竦めた。

「女は荷物が多いもんさ。
 太っ腹な王サマは、一部屋位貸してくれるんだよねえ?」

 にやっと意地悪な笑みを漏らしたターフェアイトを見て、リーファが大きく溜息を吐いたのだった。