小説
古き世代を看取って
 次の日。
 新しい兵士宿舎は日が明るい内に完成し、兵士達の引っ越しは夕方までに完了した。
 評判は概ね良好で、最上階の集団浴場にはしゃぐ者も多いようだ。

 一時的に寝床として提供されていた本城の3階はすっかり静かになったが、片付けなどがある為、まだ側女の部屋の封鎖は解かれていない。

 ◇◇◇

 夜、リーファはターフェアイトの目の前に姿を現した。
 人間としてではなく、グリムリーパーとして。

「お楽しみの所呼び出してすまないねえ」
「…お構いなく。明日厄介な事になっても困るので…」

 揶揄うターフェアイトに、リーファは声を潜めて熱っぽく溜息を零す。

 王の寝室でアランから、『早く帰って来ないと、この体を足腰が立たなくなるまで攻め立てるぞ?』と脅されているので、出来れば早めに終わらせたい所だが、こればかりは独りで急いても仕方がない。

「こんなところに扉があったのね」

 リーファ達が立っているのは謁見の間。玉座の側だ。ターフェアイトは玉座の後ろの大きな支柱を見つめている。

 この柱の中は、グリムリーパーであるリーファですら侵入が出来なかった場所だ。恐らく、城の外よりもずっと強力な結界が張られているのだろう。

「”ドゥナムモック・イブ・エウツ・エマン・フォ・エマン・ロタートシニムダ・ターフェアイト───ネポ・エウツ・テクサック”」

 柱に手をかざし唱えた解錠の呪文により、柱だった部分が分解され内部を明らかにする。装飾らしいものはこれといってない、ただ床が広がっているだけの筒状の柱だ。

 柱の中に足を踏み入れながら、リーファはターフェアイトに訊ねた。

「私の手伝いがなかったら、どうやるつもりだったの?」
「さあて、どうしたかねえ。
 まずは王サマ誑かして、歯向かうやつら全員殺して素材にしちゃうかねえ」
「人体分解は師匠得意じゃないくせに…」

 結局茶化されてしまい、リーファはまた溜息を零した。

「”テグ・ッフォ”」

 ターフェアイトの呪文に反応し、床の紋様が緑色に光る。そして床は少しずつ降下を始め、謁見の間の玉座が視界の上の方へと消えていく。

 ◇◇◇

 時間をかけてはいるが、かなり下層まで降りてきた事は何となく理解できた。恐らく、ラッフレナンド城を覆う湖の底よりもずっと低いだろう。

 床の光に照らされている城の柱の模様は、途中で無骨な岩盤に変わって行く。普段空気の流れのない場所だからか、この場が重苦しく感じる。
 まるで、この下の魔術師達の思念が煮詰まっているようだ。

「魔術師は、何を思って結界の動力源になったのかな…。
 城の地下でただ眠り続けて、結界を維持するだけの命…。
 …私には、理解出来ないわ」
「あんただって、あの王サマの為に色々してあげてんじゃないの?
 カールに聞いたよ。呪いを解いたり、幽霊騒ぎを収めたりしたそうじゃないか。
 王サマの子供も孕んだんだって?駄目だったみたいだけど」

 一介の兵士にも為した事が伝わっていて、リーファは恥ずかしくなった。互いに城にいるのだから、どこからでも情報は飛び込んでくるのだろうが、あまりにも筒抜けなのは気持ちの良いものではない。

「…それは。そうしないと、国が困るし…」
「同じ事さ。あいつらも、王の為にって望んでやってたんだ。
 あんたもあいつらも、考えてる事はなぁんも違わないさ」
「私は陛下の側にいるから、喜んでもらえるか何となくは分かるけど………彼らにとっての王は…」
「信じてたんだろうさ。外の情勢が分からなくてもね。
 革命なんか起こるはずもない。
 魔術師の王カロ=カーミスは自分達を裏切らない。
 魔術師王国マナンティアルが、いつか世界を席巻するに違いない。
 …終わりなど来るはずがない。
 そんな浅はかな願いだけを、ただ夢見てたんだろう…」
「………………」

『なんだか可哀想』という言葉が口から出かかったが、何とか呑み込んだ。

 彼らがその道を選ばなかったら、このラッフレナンドという土地自体がどうなっていたのか分からない。
 もっと早くに城が劣化して、使い物にならなくなっていたかもしれない。他の国から攻め込まれて、滅んでいたかもしれない。

 彼らの思惑が外れたから、今リーファが生まれてきて、こうしてこの場に立っている。
 彼らが信じている物事の上に立って『可哀想』だなんて、彼らに失礼だ。

「それはそうと、管理の権限はあんたに与えておいてもいいのかい?」
「…そうね。
 本当なら陛下にお願いするんだけど、どの道丸投げになってしまうだろうし。
 カールさんもまだ運用については不安そうだったから、私が一時預かるわ。
 …出来るだけ早く、魔術師を起用して、引き継いでもらわないとね」
「あんたは、この城には留まらないのかい?」

 意外そうなターフェアイトの問いかけに、リーファは一時言葉を失う。
 どうやら彼女は、リーファがいつまでもいると思っていたようだ。

「王サマは、あんたの事を大層気に入ってるみたいだったけど」

 そう言われてしまい、リーファはここしばらくの事を思い出す。

 求婚以降、リーファに対する執着をより強く感じるようになったのは確かだ。薬を盛ってまで強要される事はなくなったが、顔を合わせる度にその話題を出され、うんざりする機会は格段に増えた。
 ターフェアイトが来てからは接する頻度が減った為、短い時間で効率よくリーファを求めるようにしているようだ。

「…その事は…本当に、困ってるの。
 私は側女で、陛下の御子を産むのが仕事。お務めを終えたら、ここから出て行かないといけなくて…。
 …情が移っているように見えるのは、”好きにしていい女”が私だけだと思い込んでるからだと思うのよね。
 もっと魅力的な女性が側にいてくれれば、私なんてすぐに手放してくれると思うんだけど…」

 アランの才”嘘つき夢魔の目”は確かに厄介だ。しかし何にでも例外はあるようで、黒いもやを発しない女性も中にはいるらしいのだ。

 そんな女性の殆どは『それ以外の理由で苦手』という話だが、それはそれとしても、片っ端から女性を探していけば、いつかはアランが認める女性が見つかるはずなのだ。

「…そうじゃなきゃ、困るの。お互いに」
「…見たんだね」

 察しのいいターフェアイトの声音が、リーファの耳に反響する。

 ───本城の一室。恐らくは、2階の私室。
 ベッドに、独りの男が臥せっている。
 長い金髪と、藍の双眸。顔はやつれ、うわ言のように何かを喋っているが聞き取る事は出来ない。

 男が臥すベッドの傍らには、人の姿が幾人かあった。
 皆俯き顔を見る事は出来ないが、メイドと思しき女は赤子を抱き、もう一人の妙齢の女の側には五歳位の少女がいる。

 そして、ベッドのすぐ側で泣きじゃくっている女は───

「………ええ」

 脳裏に焼き付いた光景に、リーファは歯を食いしばった。
 存在があるのか分からない、血が上るような感覚がある。意味があるのか分からない深呼吸を、何度も繰り返す。

 怒りとも悲しみともつかない感情に興奮しているリーファを見て、ターフェアイトは苦笑して肩を竦めた。

「あんたが決めた事だ。好きにすりゃあいい。
 あんたなら、自分が為せる最善も問題なくやってみせるだろう。
 …だがね。人なんてものはそうそう都合よく動く訳じゃあない。
 逃げ切れるよう、ちゃんと退路は確保しとくんだよ」

(………最善………退路………)

 ターフェアイトの言葉を、リーファは心中で反芻する。

 何も考えていなかった訳ではない。少なくとも”退路”の用意は一つある。誰も傷つかないはずだ。
 でも。

(その退路を私は為せるの…?)

 何度も繰り返してきた問い。案は出ても、実行する度胸も勇気もない。
 だから、結局のところは先延ばしにするしかないのだ。『それが今ではない』と、心に言い聞かせて。

「そう…ね」

 心にもない相槌を打つと、周りを覆っていた岩盤の壁すらも消えてなくなり、視界が広がった。