小説
古き世代を看取って
 そこは硬そうな岩肌が広がる洞窟だった。
 足元はレンガが敷かれた部分もあるが、殆どは岩盤で歩きにくい。その暗さも相まって、下手に歩けばすぐに転倒してしまうだろう。
 幸い目的の場所は灯りがついており、人間でも気を付ければ歩けない事もない。

 ターフェアイトとリーファは昇降台から離れ、レンガが敷かれた先に歩いていく。
 大して時間をかけずに光のある場所へと到達し───リーファは、息を呑んだ。

「ここが…」

 そこには、巨大な魔術陣が敷かれていた。
 形状は円で、青白い光を放っている。内側に星型八角形の線が引かれ、その内角を縫うように小さな円が描かれている。
 青白い光の中にも、その周囲の地肌にも、小指の爪程の大きさのフェミプス語がびっしりと刻まれている。
 そしてシステムの稼働を示すように、魔術陣からは青白い光の泡が浮かんでは消えていた。

 その光景はとても幻想的と言えた。しかし、どうにもやるせない気持ちがこみ上げてしまう。

(人の命を削って為されたものを、”美しい”って言っていいのかな…。
 …望んで命を捧げたのなら、そう言ってあげた方が彼らは喜ぶのかな…)

 星型八角形の外角には、八人の人間が仰向けに眠っていた痕跡があった。
 しかしその内の七人は、ボロボロの衣服を残すのみとなっていた。恐らく肉体の一片すらも、システムの糧となったのだろう。

 肉体を失った者達の魂は、自分達が眠りについた場所にただ佇んでいる。
 ターフェアイトの話によれば、最後の一人が力尽きた後、魂が予備動力として使われる事になっているのだという。

(魂も、眠る事があるのね…)

 滅多に見られない魂の姿に、リーファは関心を寄せる。
 本来、魂は眠る事などない。疲労など起こさないので、好きな時にどこへでも行けるし、生前よりも満喫して過ごす者もそこそこいる。

 しかし、三百年以上この場に閉じ込められていたのならば、当然飽きもするだろう。
 何かしらの経験を積めば伸びていく魂の尾の長さがさほど伸びていないのを見ても、死んで早々に眠りについたのが見て取れた。

 周囲を見回し、ターフェアイトが状況を分析する。

「一人は何とか残ってるかねえ。システム全体に綻びが出たのは、土地の劣化が原因か。
 システム内で循環するはずの魔力が、土地の修復に充てがわれて、消耗が激しくなったんだろう」

 魔術陣には、右奥から中央にかけてヒビのようなものが入っていた。
 リーファは体験した事がないが、ラッフレナンドもごくまれに地震が発生するらしく、恐らく過去魔術陣に亀裂が入ったのだろう。
 システムが稼働する範囲内で自己修復はしているようだが、歪までは正常に戻るはずもなく、負荷として寿命を縮めてしまったようだ。

「魔術陣の切り抜きと補修。地盤の補強、動力の入れ替え…。
 出来たら、足場の整備もしたい所だけど…」
「朝から始めて、夕方には何とかなるさ。大方予想通りだ」
「陛下と来賓の方々には、作業中に来て頂くのが良さそうね…。
 手筈通り、カールさんから来賓の方々へ事前説明をしてもらって───」
「お………お………………」

 明日の作業を打ち合わせていると、しわがれた老人の呻き声のようなものが聞こえてきた。思わず、リーファの背筋に冷たいものが走る。

「………ま、に…あっ、た………」

 魔術陣の一番奥、唯一生きている人物から発せられていると気づく。

 ターフェアイトによれば、システム稼働中は魔術師達は眠りについており、目を覚ます事はないと言う。
 眠り続ける事で体力を維持する意図もあるようだが、何よりも長い年月留まり続ける事によって起こりうる、発狂を防ぐのが主な目的らしい。

「…おや。何かの拍子に起きちまったようだね。まあ、そういう事もあるさ」

 呑気な事を言い、ターフェアイトは魔術陣の中へと入っていく。リーファも、魂達の横を抜けて声を発する人物を見下ろした。

 ぼろきれをまとったその人物は性別すら判別が難しかったが、声音を聞く限り男性だと推測できた。
 頭蓋骨に沿って痩せこけた頬。毛のない頭。落ち窪んだ眼窩は、恐らく光など映さないだろう。リーファ達の声だけで、誰かの来訪に気づいたようだ。

「けっかいを…まもる………にない、てが………あらたに………あら、われた………。
 さあ………いだい、なる………おう、を、まもる………もの、たちよ………ここへ………」

 その人物は仰向けのまま、骨と皮になった腕をゆるゆると上げて来訪者を歓迎した。

「…久しいねえ。
 随分干からびちまったけど、その寝床でその声って事はユークレースかい?」

 ターフェアイトの言葉に、ユークレースと呼ばれた魔術師は濁った闇色の瞳を薄っすらと開けた。
 焦点の定まらない目で、ターフェアイトを見上げる。

「おお…、おお…!なつかしい………ターフェ、ターフェアイト…!
 みなのもの、めをさませ…!われらの、どうほう………ターフェアイトが、もどったぞ………!」

 生きているのもやっとの状態だろうに、ユークレースの震えた声は洞窟にどこまでも響き渡る。
 しかし、既に朽ち果てた肉体は声を発する事はない。魂も寝ぼけているのか、ほんのり明滅を繰り返すだけだ。

 ターフェアイトは周りの反応を気にする訳でもなく、まるで数年振りに再会した親友のようにユークレースに話しかけた。

「少しばかり待たせちまったね。
 結界の張り直しを王に打診し続けてたんだが、なかなかうんと言ってくれなくてねえ。
 全く、二代目、三代目ってのは、初代の苦労を理解してなくていけない」
「よいのだ………われらは、おうの、ために…あるもの………。
 おうの、ために…いき………おうの、ために、しする、は………ほんもう………。
 われら………まじゅつ、しが………せかい、の………しゅご、しゃ………なの、だから………」
「そうだ…そうだったね」

 ターフェアイトは微笑み、ユークレースの側で膝をついた。

「王の為に死するは本望───」

 手を広げると、その中で魔力が編まれていく。
 詠唱すら必要としないただの魔力であるそれは、やがて黒光りするナイフへと姿を変えた。

「だからもう、苦しまなくていいんだよ。ユークレース」

 砂山にシャベルを突き刺すように、ユークレースの胸にターフェアイトのナイフが深々と入って行った。